今日もみんな制作してます。
1年生も課題2である自画像に取り組む生徒が出てきました。
そんな中、3年生はというと…
ポテトチップスを使って“あひる口”ですって。
たわけ。笑
それでは報告です。
ヤンソンよ、お前はここが美術部だってことを忘れてはいまいか。笑
何かトークが文芸部チックだから…。
まぁ読むなら俺は三島由紀夫を薦めるがね。
さて、3年生を中心に続々と構図が決まっていってます。
1,2年生はまだまだいろいろ考え中みたいですね。
急がず(あんまりボ~っともしてられないけど)美術室にある過去の作品を見たりしながら決めてくれたらと思います。
でも、下級生の構想の話を聞いてると、まだまだ「ただ自分の好きな絵を描く」レベルで終わっている感じがするのは顧問だけだろうか?
最も描きたいものは何なのか?
それを最も活かすための構図は考えられているのか?
本当にその場所で正しいのか?
視点の方向はそれで良いのか?
描きたいものを活かすための背景になっているのか?
配色はそれで正しいのか?
絵として、表現として成立しているのか?
ただの写真の劣化コピーのようになっていないか? etc…
自分の本当に描きたいものや自分の気合いを鑑賞する人に伝えるには、それ相応の努力が必要なのです。
ただ、好きなように描けば良いってもんじゃない。
それでは子どものお絵かきなのだ。
高校生になったのだから、そこから一段階上にいく努力は絶対した方がいい。
魅力的なキャラができれば、そのおもしろい漫画ができるわけではないと同じです。
コマ割り、台詞、すべての要素をきちんと考えて初めて作品が成立するわけです。
自分の構想をスケッチしてそれを客観的に見ることができるか、そこが大事です。
自分の気持ちだけが盛り上がってるだけで、鑑賞する人に伝わらず、説明しないと理解できないってのはアウト。
だからさ。何でもかんでも盛り込む必要はないのよ。
要素が多くなれば多くなるほど描き込むのはたいへんになるんだし。
複雑怪奇なものを理解するのも、時間の限られている鑑賞者の人たちにとってはけっこうたいへんな作業なのだ。
天丼もラーメンも好きだからって天丼にラーメンのスープをかけないでしょう?
…ん~。例えが例えになってないね~な。笑
君たち若いんだもの。奇をてらう必要はない。
こうしたら評価されるはずとか
この方が入選しやすいとか
そんなこと考えずにさ。
いや、それ(結果)も大事なんだけどさ。笑
『何も考えなくて良いから、まず私の絵を見るだけ見ろ!』っていう
人の心をえぐるっていうかさ、その気合いを作品に表現する努力をしてくれ~。
その方が絶対将来のためになるから。
市函さんのさ、“根っこ”さんが良い例だ。
描きたいものにかける魂が大事なんだよ。
そのかける魂が人に伝われば、作品の持つエネルギーはとんでもなくダイナミックなものになるのです。
部員諸君は若い。やりなおしはいくらでもきく。
わざわざ長いものに巻かれようとしなくていいし無駄に迎合する必要もないよ。
「ただ自分の好きな絵を描く」
それでいいのだ。
あれ、矛盾してるか?
いや。してねぇ~はずだ。笑
1年生も課題2である自画像に取り組む生徒が出てきました。
そんな中、3年生はというと…
ポテトチップスを使って“あひる口”ですって。
たわけ。笑
それでは報告です。
ヤンソンよ、お前はここが美術部だってことを忘れてはいまいか。笑
何かトークが文芸部チックだから…。
まぁ読むなら俺は三島由紀夫を薦めるがね。
さて、3年生を中心に続々と構図が決まっていってます。
1,2年生はまだまだいろいろ考え中みたいですね。
急がず(あんまりボ~っともしてられないけど)美術室にある過去の作品を見たりしながら決めてくれたらと思います。
でも、下級生の構想の話を聞いてると、まだまだ「ただ自分の好きな絵を描く」レベルで終わっている感じがするのは顧問だけだろうか?
最も描きたいものは何なのか?
それを最も活かすための構図は考えられているのか?
本当にその場所で正しいのか?
視点の方向はそれで良いのか?
描きたいものを活かすための背景になっているのか?
配色はそれで正しいのか?
絵として、表現として成立しているのか?
ただの写真の劣化コピーのようになっていないか? etc…
自分の本当に描きたいものや自分の気合いを鑑賞する人に伝えるには、それ相応の努力が必要なのです。
ただ、好きなように描けば良いってもんじゃない。
それでは子どものお絵かきなのだ。
高校生になったのだから、そこから一段階上にいく努力は絶対した方がいい。
魅力的なキャラができれば、そのおもしろい漫画ができるわけではないと同じです。
コマ割り、台詞、すべての要素をきちんと考えて初めて作品が成立するわけです。
自分の構想をスケッチしてそれを客観的に見ることができるか、そこが大事です。
自分の気持ちだけが盛り上がってるだけで、鑑賞する人に伝わらず、説明しないと理解できないってのはアウト。
だからさ。何でもかんでも盛り込む必要はないのよ。
要素が多くなれば多くなるほど描き込むのはたいへんになるんだし。
複雑怪奇なものを理解するのも、時間の限られている鑑賞者の人たちにとってはけっこうたいへんな作業なのだ。
天丼もラーメンも好きだからって天丼にラーメンのスープをかけないでしょう?
…ん~。例えが例えになってないね~な。笑
君たち若いんだもの。奇をてらう必要はない。
こうしたら評価されるはずとか
この方が入選しやすいとか
そんなこと考えずにさ。
いや、それ(結果)も大事なんだけどさ。笑
『何も考えなくて良いから、まず私の絵を見るだけ見ろ!』っていう
人の心をえぐるっていうかさ、その気合いを作品に表現する努力をしてくれ~。
その方が絶対将来のためになるから。
市函さんのさ、“根っこ”さんが良い例だ。
描きたいものにかける魂が大事なんだよ。
そのかける魂が人に伝われば、作品の持つエネルギーはとんでもなくダイナミックなものになるのです。
部員諸君は若い。やりなおしはいくらでもきく。
わざわざ長いものに巻かれようとしなくていいし無駄に迎合する必要もないよ。
「ただ自分の好きな絵を描く」
それでいいのだ。
あれ、矛盾してるか?
いや。してねぇ~はずだ。笑