みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

70年ぶりの天下分け目の総選挙

2017年10月10日 | 俳句日記

写真は、昭和21年4月10日、戦後最初に
施行された総選挙で、初当選を果たした
婦人代議士たちの姿である。
この時に当選したのは39人であった。

前年、昭和20年9月2日、ミズリー艦上
で降伏文書の調印が行われると、GHQ
は、産軍の解体から占領政策を開始。
次に政治犯三千人を釈放した。

ついで10月19日、共産党を合法化する。
11月2日、日本社会党が結党される。
22日、労働組合法公布、29日、農地法
公布、翌年元旦、天皇の人間宣言。

1月4日、GHQの公職追放司令。
12日、野坂参三がソビエトから帰国。
17日、労働組合総同盟結成。
2月9日、日本農民組合結成。

3月17日、婦人民主クラブ結成。
そして、4月10日GHQの管掌のもとに
臨時総選挙が行われたのである。
結果は推して知るべし、赤一色である。

さらにGHQは、5月22日吉田茂を総理
に指名、新憲法制定を命じた。
11月3日、国会の議決の元に日本国憲法
公布、大日本帝国から日本国となった。

この経過を見ると、どこに日本人の意思
の元に臨時国会が招集され、どこに新憲
法が生まれたと言うのか?
なにが民主的手続きだ!

法案を押し付けられただけではなく、終
戦の年から周到に仕組まれた憲法制定ま
でのシナリオがあったのである。
でなければこのテンポで進む筈が無い。

更にご丁寧にGHQは、翌年4月25日に
新憲法下で行なわれた第一回総選挙に於
いて、公職追放中の政治家が活動するこ
とを禁止する声明を出している。

まさに、良識ある日本人の声を封殺して
、GHQとマルキストによって作られた
憲法であったのである。
だから世界の常識が通用しなくなった。

共産党や社会党の流れをくむ政党が護憲
を叫ぶのは、だからなのである。
今度の選挙はそのことが問われている。
健全な憲法を子供達に残したいものだ。

〈清澄な 風の逆巻く 秋来る〉放浪子
季語・秋

10月10日〔火〕晴れ
公示の日が来た。
渦中の人は、出なかった。
出るべきではない。
都民に、子供達に無責任な事例を残して
なにが改革者だ。
出れば政治・生命は完璧に死ぬ。
反省して出直せば良い。