みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

名月(十五夜)

2017年10月04日 | 俳句日記

名月と言えば蕉翁の名作、

《名月や 池をめぐりて 夜もすがら》

が、すぐに思い出される。
翁、43歳の作らしい。

一茶にも、名作中の名作がある。

《名月を とってくれろと 泣く子かな》

二人の心の置き処が窺われてゆかしい。

漱石先生にも次の句がある。

《名月や 故郷遠き 影法師》

五高時代に詠んだものか、倫敦で詠んだ
ものかは知らぬが、若い頃の作だろう。
ただ、この影法師は、ひょっとして李白
の「月下独酌」を踏まえたものか?

酒飲みで『月下独酌』を知らぬ人は無か
ろう。
何せ、飲む相手がいなければ、月と我が
身の影を相手に飲もうじやないか、なん
て粋な漢詩なのだから。

漱石先生の頭には、この万世に残る名作
がよぎり「影法師」と結んだのではなか
ろうか。
ただし、李白は春の月を詠んでいた。

今日は、旧暦の八月十五日。
中秋の名月の日である。
池をめぐるも良し、孫と眺めるも良し、
独酌も良し、月は永遠の友である。

〈名月や 生むも死ぬるも 月次第〉放浪子
季語・名月(秋)

10月4日〔水〕晴れ
早朝の天が高いほど清しいことはない。
区役所に出向く前に大濠公園で、鯉と雀
と鳩と鴨、そして亀に餌を与えながら、
手作り弁当を食べた。
今の日本で飢えるということがあるのだ
ろうか?
あるとすれば、余程コマーシャリズムに
侵されている。
かつて、戦後のアメリカドラマに憧れを
待たされた愚を繰り返しているだけだ。
生きる目的を正せば、飢えることのない
社会が出来上がっている。
知恵のない生活は、犯罪を生むだけだ。