みちのくの放浪子

九州人の東北紀行

新月

2017年05月26日 | 俳句日記

今日は、何事も始めるのに良い日。
六輝が「大安」、
中段は「成」で新規事の開始は吉、
二十八宿は「婁(ろう)」で契約、取引
に用いて吉。

しかも、新月。
月の満ち欠けによるバイオリズム「セレ
ンデイピティ」では、満月に向かって万
物が増長し始める日なのだ。
さあ!立ち上がれ。

〈枇杷の実の 月に代わりて みのる哉〉
放浪子

5月26日〔金〕雨
移転の準備にかかる。

星総合病院

2017年05月25日 | 俳句日記

若い頃、寝屋川の精神病院で住み込みの
介護士見習いとして働いたことがある。
苦学生であった。
その二年後、今度は患者として、裏門司
の結核療養所で一年を過ごした。

その後も10日以内の入院は何度か経験
したが、昨年は3カ月間星総合にご厄介
になってしまった。

病院という空間は不思議な空間である。
別乾坤と言ってもいい。
患者、先生、看護師、技師、薬剤師等、
建物、部屋、機器等、そして、音、匂い
喧騒と静寂、光と闇、生と死。
興味の尽きることのない事象が、全て手
の届くところにあって、しかも其れに触
れることは出来ない。
つまり、ここで当事者になることは許さ
れないのである。

もう既に霊界に居て、この世に働く人々
を眺めているようなものなのである。
そこで、詩が生まれ絵が出来る。
自由なものは、自らの精神だけなのだ。

そんなことを考えていると、死は魂の解
放だとする理屈が分かるような気がして
くる。
ここで働く人々が、あの世に患者を導く
如来や菩薩に思えてくる。
勝手な患者の引水である。

ところが、彼らが違うのは如何様な患者
であっても見捨てはしないという、強烈
な使命感をお持ちである事だ。
そこのところに於いて、彼らは本物の如
来に、本物の菩薩に成られる。

ありがたい御存在である。
私も、余命をいただいた。使命を思い出
して、もうひと暴れしよう。

〈五月雨や 如来と菩薩に 別れ告げ〉
放浪子

5月25日〔木〕雨
朝から宣告を受けに行く。
どうやら転移はないらしい。
よし、後は気力だ。




みちのくへ

2017年05月24日 | 俳句日記

雨の季節が近づいて来た。福岡では久々
の雨となった。
その雨をついて福島に帰ることにした。
検査から40日も経てば、所見数値も変
ろうと言うものだが、区切りだけは着け
ておかねばなるまい。
もう一度検査やり直し、何てことになら
なければ良いがと、思い思いしながら、
明日は、郡山の病院に、結果説明を聞き
に行く。

そんなちぐはぐな日程になってしまった
のも、思えば半島情勢に原因があった。
結果説明の予定日より前に、緊張が高ま
ったからである。
私の病気より、東アジアの病気の方が遥
かに優先されたのである。何故ならば、
九州には親がいて子がいて、孫がいる。
弟がいて、友がいて、債権者もいるので
ある。
謂わば私の歴史がそこにあるのである。

ふたつの病気を前にして、如何様な処置
も出来ない自分であるが、取りも直さず
福岡の皆に、なにごともなかつたのが、
幸いであった。
病の方も、そんなふうにおさまれば良い
のにと、思っている。

〈けふ立ちぬ 小笹の山の 走り梅雨〉

〈判決を 負う身を北へ 運ぶ哉〉放浪子

5月24日〔水〕雨
明日、検査結果の所見を聞く。
運命や如何。

額の花(額紫陽花)

2017年05月23日 | 俳句日記

紫陽花は、日本が原産なのだそうだ。
その原種が写真の額紫陽花で、下の鞠に
なった通常種は、園芸用に改良されたも
のだと初めて知った。

アジサイの色は酸性土壌だと青に、アル
カリ土壌だと赤紫色になることは夙に知
られている。
今は、ピンクや黄色がかったものなどの
様々な色彩を楽しませてくれているが、
これは欧米で改良されたものらしい。
これからの季節、こんな基礎知識を知っ
ているだけでも、街歩きが楽しくなろう
というものだ。

其れにしても、梅雨の雨が似合う額アジ
サイやハナミズキは、手のひらで雨をす
けるように咲いているのが面白い。
まるで梅雨空と、雨の糸でつながってい
るように見えてくるのである。

〈彼誰の 闇に伏し待つ 額の花〉

5月23日〔火〕薄曇り
アジサイは、闇の中でも薄く光って見え
ることがある。
金属イオンがそうさせているのだとすれ
ば、興味深い。

育和の森

2017年05月22日 | 俳句日記

約六十年間、福博の街に威容を誇ってい
た九州電力の本社が、私が地方巡業して
いる間に建て替えられていた。
周囲のビルの谷間も、それまでに増して
緑が目立つようになっていた。
本社ビルと隣のビルとの間に、「育和の
森」という植林された小径があった。

もともと福岡市は、都市の緑化では先進
都市である。
半世紀前の名市長として名高い、進藤一
馬氏が「緑進会議」と言う超党派の緑化
推進団体を起こし、力を入れたからだ。


この件を発議する議会で、エピソードに
残るヤジがあった。
福岡市の中心部であった天神は「福岡の
顔である」と趣旨説明を読み上げると、
すかさず郊外を選挙区とする議員から、
「じゃあ、我々の地域は、ケツか!」と
ヤジが飛んだ。

いささか品位に欠けたヤジだが、言わん
とする処は理解出来る。
要は、我々の地域に対する所見もお待ち
なんでしょうね!と言う、問いかけなの
である。

「じゃあ、働くな!」などとは大違いで
ある。議員、特に党人派の地方議員さんは、人々や地域への親愛があってこその
議席なのである。
だから時折、品格を忘れたヤジも飛ばす
が、これは愛嬌と言ってもいい。

だが「信」ならぬ「愛なくば立たず」。
都会議員出身の議員とは思えないヤジで
あった。

福岡も、ここ二、三日、明らかに夏とな
った。
都心部に緑が豊富にあるのは、市民の健
康の為にも、民生安定上も結構なことで
ある。
九電さんも、考えてくれたもんだ。

しかし、折角の新緑のプロムナード(育
和の森)を通り抜けるには、夏(げ)入りし
た日差しにいちだんと照り返る青葉に、
まなこを顰めながらの苦行があった。

〈行き交うも 顰み目の 夏の小径〉放浪子

5月22日〔月〕快晴
いよいよ東北に帰る準備に入る。
しばらくは、また九州とお別れだ。
人間至る処、青山ありで放浪した身、
慣れてはいる。
とはいえ、狭い日本のこと。
少々、住み飽いた。