しゃりお @ 撮り鉄倶楽部

最近の鉄道撮影記録と懐かしい国鉄時代の写真を気ままに更新してます。

あの頃の   甲種輸送    相鉄7000系電車

2011-08-31 23:15:15 | 国鉄時代
朝夕はだいぶ涼しくなったものの昼間は相変わらず暑い毎日です。
風呂上りに窓を開けたら外ではスズムシが鳴いております。
季節は確実に秋の気配です・・・


あの頃のセノハチ皆様いかがだったでしょうか?
他の方のHPやブログの記事と比べましたら、何とも薄べったい内容ではありますが私の思い出話と思って見てやって下さい。

今回はそのセノハチの撮影の帰りに糸崎駅で偶然出会った甲種輸送の写真です。

当時は今もそうですが糸崎駅は岡山管轄と広島管轄の境の駅であり乗務員の交代駅でもあるために、この糸崎駅で多くの列車が折り返しになるために乗換えが発生していました。

セノハチからの帰り糸崎駅で乗り換えのために下車し当時は蒸気時代からの機関区も残っていて貨物の取り扱いもありましたから、よく糸崎駅で撮影をしていました。
この日もフィルムを見れば糸崎でEF58等を撮影していたようです。

当時はホームに立ち食いそば屋がありましたから貧乏な私たちはよく利用していました。

そんなホームで ぽんたさんと撮影していると、突然やって来た真新しい見たこともない車両が・・・


EF66-48 + 相模鉄道7000系電車 甲種輸送      s.55(1980年).8.24             糸崎駅

当時は今のようにネットなどの情報はありませんでしたし、何より山口県下松市に日立製作所 笠戸事業所の車両工場がある事など知りませんでした。
そして新車の車両を回送する甲種輸送なんてのもまったく知りませんでした・・・(^^ゞ





相模鉄道7000系電車    カラー写真でないのが実にオシイ・・・

今まで見たことも無かったアルミ製のシルバーに輝く車体と斬新な赤のライン、そして何より大都会を走る相模鉄道の車両・・・
当時は写真でしか見たことのなかった関東の車両が突然、しかも新車でやって来た訳ですから二人して興奮したのを覚えています。






糸崎駅を関東に向け出発して行く・・・        車掌車 ヨ8000形が懐かしいな~。
今思えば当時も今の甲種輸送の時間と余り変わっていないようです。
ただ当時は車掌車が車両の前後に入っていたようで、今よりは車両を後打ち撮影しづらかったようですね~(笑

あれから約30年・・・当時新車だった7000系電車も現在 相模鉄道では急速に置き換えが始まっているようで全廃も時間の問題のようです。
時代の流れを感じます・・・(^^ゞ



そして、おまけ的な写真にはなるのですが・・・   糸崎駅にて

153系(低運転台) 新幹線博多開業前は急行車両として活躍していた153系電車もこの頃には快速や普通列車として走っていました。
この年に新快速が117系に置き換えられて新快速色の余剰車が多く山陽本線に流れてきていました。
その為、写真の編成も新快速カラーの車両との混合編成になっています。
冷房車両でしたのでこの当時 この電車が来ると当たり、非冷房車だとハズレなんてよく言ってたな~(笑
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日野川鉄橋で   伯備貨物を狙う  3087レ

2011-08-29 22:33:11 | 伯備線
秋雨前線で一時は秋を思わせる気温でしたが、ここの所 夏のぶり返しで暑いですね~。
早いもので8月も終わりになります。
子供の夏休みも間もなく終わり、家の子供は宿題は終わったのでしょうか・・・?(笑


美味しい梨を買いに来たのですが買うことが出来ず、少々テンション下がり気味でしたが、せっかくここまで来たわけですからしっかり撮影もしました。

撮影場所は去年の夏も撮影した日野川鉄橋
山陰本線と伯備線が交わって走ってきますから比較的効率良く撮影が出来ます。


この日は残念ながら大山は雲に覆われて見えませんし、米子市内は天気は良いものの大山方面の空は真っ黒で怪しい天気です・・・




日野川鉄橋に着いてすぐに スーパーおき がやって来ました。

3005D スーパーおき    この日は187系3両編成でやって来ました。    米子~東山公園





284M 115系(末期色)
食パン115系 G編成も情報によると8編成中 7編成は末期色に塗り替えが完了したようで何気にカフェオレ色は消えてしまいそうです・・・
末期色への塗り替えは急速に進んでいるようですね。





254D キハ47 たらこ色   こちらも塗り替えが進んでいるようですね。





1013M やくも13号           高速で鉄橋を通過して行きます。


そして今回この日野川鉄橋で撮影したかった伯備貨物



3087レ EF64-60         バリ順キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!!   
一度はここで撮影してみたいと思っていた伯備貨物、この時間ここでは順光で撮影できます。
本来なら雄大な大山を入れて撮影したかったところですが、天気が天気でこれは次回の課題に・・・





3427D とっとりライナー キハ126

とっとりライナー撮影後 撤収しました。

帰りに国道180号線 明地峠付近はゲリラ豪雨でまさかの通行止め・・・
県道8号線に迂回して帰りましたが、途中から雷を伴う豪雨に遭って大変な目に遭いました・・・
が、家に帰ってみると家の辺りは雨が降った痕跡がないのには驚きました。
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家族でお出かけ  梨を買いに行ったはいいが・・・ 合間に鉄分補給です♪ 

2011-08-28 22:20:00 | 伯備線
仕事休みの一昨日、家族で先日の家族旅行にも行った米子まで行って来ました。
家族旅行時に毎年お土産に梨を買って帰るのですが、今年は私の愛車が故障で旅行には軽四で行った為 お土産の梨がいつもの年より多く買って帰れませんでしたので、もう一度買出しにドライブも兼ねて出かけることにしたのです。

家を出発した頃はお天気は上々、
新見のショッピングモールで休憩がてら丁度 やくもの時間が近づいていましたのでモール近くの陸橋から撮影です。


1007M やくも7号                       石蟹~新見
この頃まではお天気は良かったのですが・・・


新見を出て明地峠辺りではお天気は曇り空に・・・当然 名峰 大山は雲の中・・・

折角なので3084レを撮影しようとのんびり車を走らせていると突然のゲリラ雨・・・

上溝口信号所に付いた頃も雨が降り続いておりましたが通過前には止み薄日が差してくれましたラッキー♪


3084レ EF64-67                      伯耆溝口~上溝口(信)
今度は快晴の順光で撮影したいですね~。


家族を連れて梨を買いに米子まで出かけた訳ですが結局の所、目的の梨は買えませんでした・・・(泣
何と私は知りませんでしたが梨の販売はちょうど収穫の端境期で今は販売はしていないとの事・・・
9/1からまた販売再開だそうです・・・ 残念・・・

スーパーなどに行けばそれなりに売ってはいるのですがお値段も高いですしね~(-_-;)
やっぱりお買い得の美味しい梨が食べたいですからね~。

せっかくここまで来たのですから気を取り直し、大型ショッピングセンター「イ○ン日吉津」で食事をして家族はここでショッピング、私は日野川鉄橋で撮影です(^^ゞ

つづく・・・
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あの頃の   セノハチ (瀬野~八本松)  後押しスペシャリスト EF59

2011-08-27 22:22:22 | 国鉄時代
昨日は家族と米子方面へ出かけました。
帰りにゲリラ豪雨に遭い国道が通行止めになったりしまして・・・
お出かけついでに、ちょっと鉄分補給もしましたのでこれは次回にでも報告したいと思っております。


さて、あの頃のセノハチ最終回であります。

瀬野駅からバスに揺られてやって来たセノハチ屈指の撮影地
当時はすべての上り貨物にEF59、EF61の補機が付いていて後押しをしておりました。
上れば次のために下ってきます。
当時は単機での回送は無く重連での回送が頻繁に行われていたようです。
私が撮影している写真では重連ですが時には4重連や最高で6重連での回送もあったようです。


重連で回送され瀬野へ向かうEF59×2                  瀬野~八本松
EF59は広島側(下り方)は警戒色(トラ模様)が特徴でいかにも特殊車両という雰囲気がありました。











「番堂原 第4踏切」今でも結構有名なS字撮影ポイント    八本松方面を望む
今ではちょうどこの辺りに県道83号志和インター線の高架が通っています。

ここちょうど16.7‰の「勾配標」のある場所なんですが、写真右下辺りに勾配標が写ってはいますが何故かこの写真の勾配標は上り方の勾配標がありません・・・ 



EF59-5+重連で回送中       s.55(1980年).8.24

撮影後、二人で国道2号線沿いを歩いて八本松駅に向かったのを覚えています。
今から思うとこの撮影地から八本松駅までは結構な距離があり、よく歩いたな~と・・・
夏の暑いさなかで途中で喉が渇いて休業中だったガソリンスタンドの自動販売機でジュースを買ったような思い出が・・・

結局、セノハチを訪問したにはこれ一回きりでした。

セノハチはJR幹線で補機を必要とする三大難所の一つに数えられていました。
あとの二つは信越本線の碓井峠と奥羽本線の板谷峠ですが、ご存じの通り碓氷峠は廃線、板谷峠は補機運用廃止となったため「最後の補機区間」となるわけです。
現在のセノハチの主(後押しスペシャリスト) EF67形も噂によればEF210の改造機に置き換えになるとか・・・
時代は変わっても今だ難所には変わりなく、これからも後押しスペシャリストがセノハチの主には変わりありません。
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あの頃の   セノハチ (瀬野~八本松)  思い出の撮影地

2011-08-25 18:17:17 | 国鉄時代
瀬野駅と瀬野機関区での撮影を終えた後、フィルムを見ると当時の私とぽんたさんは駅前からバスに乗って八本松方面の撮影地に向かっています。

当時は今のようにパソコンや携帯電話でネットによる撮影地の下調べや情報はもちろんありませでした・・・。

私たちは、鉄道雑誌での写真や、たまに家族で広島方面に出かけた時にセノハチ辺りは国道2号線沿いをほぼ併走していますので先人の撮影者が居た辺りを覚えておいて、大体の勘で当たりをつけてバスに乗った記憶があります。

それでもバスに乗ってしまえば訳が判らなくなって沿線の適当な停留所で降りる準備をしていたらバスの運転手さんが「撮影する場所はここじゃない」みたいな事を言われて、しばらくバスを走らせ「ここで降りなさい」と言われるがまま下車した記憶が今も鮮明に思い出として残っています。
当時はバスの運転手さんもセノハチの撮影者を多く乗せていたので撮影者が下車するポイントを知っていたんでしょうね~。

バスの運転手さんに導かれて下車した撮影地は、今でもセノハチの有名定番撮影地でした。


EF58-52   荷物列車                        瀬野~八本松
写真上にも写っていますが、ちょうど国道2号線と山陽本線が交差する有名撮影地
今でも国道から山陽本線を俯瞰した写真をよく見かけますね。





EF61-204       荷物列車などの軽量編成にはEF61 200番台が単機で運用されていました。
補機運用側(上り方)の物々しい装備とは違い広島側(下り方)はスッキリした外観です。





EF66-?機番不明       下り貨物列車          s.55(1980年).8.24     
四角いばかりの機関車のなかで当時もやはりEF66 0番台は洒落たスタイルで華がありました。    





EF66-32   特急鮮魚貨物列車 「とびうお」    冷蔵車 レサ10000形の白い貨車が渋い!
これが通ると魚屋の店先のようなニオイがしたのを記憶しています。


当時は今のようにコンビニなどと言うものは無くて、自動販売機も今ほど多くはありませでした。
朝早く遠くに撮影に出かける時は母親の手弁当を持ってでかけたものです。
この時も二人で夏の暑い最中 撮影しながら母親の作ってくれた弁当を木陰で食べた思い出があります。


つづく・・・
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