瀬野機関区には当時EF59以外にもEF61 200番台が活躍していました。

EF61-211 補機運用側(上り方) 1エンド側にはEF59と同じくデッキや手摺り、自動開放を行う自動連結器などが取り付けられておりましたが、広島側(下り方)はその様な装備はなくスッキリした外観でした。
EF61 200番台はEF60形からの改造車で、当時はEF59の置き換え用としていましたがEF61形200番台は単機での補機運用を前提とした改造(重連機構は装備)を受け登場したのですが、当初のもくろみははずれパワー不足が問題となり、逆に重連運転だとパワーが大きすぎて結局、重量編成は従来どおりEF59形の重連運用、軽量編成はEF61形が単機で運用されるケースがほとんどでした。
皮肉にもこの問題のお陰で現在もセノハチで活躍中のEF67形が運用に入るまで老朽化が進んだEF59は生き残る事ができました。
瀬野機関区構内にはこんな機関車も留置されておりました。

EF61-7 s.55(1980年).8.24 瀬野機関区
車体も色褪せ、傷みも進んでいたように記憶しています。
車体や線路を覆い尽くす雑草が留置の長さを伺わせます。

同じ形式ながら似て非なり・・・ EF61 200番台とはとても同じ形式とは思えませんね~.
似ているのは前照灯の形くらい・・・(笑
当初の計画ではこのEF61-7号機も他のEF61と共にセノハチ用のEF61 100番台として生まれ変わる予定でしたが前記の事情で計画は中止になりこの機関車も広島機関区などで長らく留置後そのまま廃車になったようです。
※セノハチ用EF61は、EF60形改造車を200番台、EF61形改造車を100番台とする計画が立てられましたが、結局100番台は計画のみで中止になり幻に終わりました。
つづく・・・

EF61-211 補機運用側(上り方) 1エンド側にはEF59と同じくデッキや手摺り、自動開放を行う自動連結器などが取り付けられておりましたが、広島側(下り方)はその様な装備はなくスッキリした外観でした。
EF61 200番台はEF60形からの改造車で、当時はEF59の置き換え用としていましたがEF61形200番台は単機での補機運用を前提とした改造(重連機構は装備)を受け登場したのですが、当初のもくろみははずれパワー不足が問題となり、逆に重連運転だとパワーが大きすぎて結局、重量編成は従来どおりEF59形の重連運用、軽量編成はEF61形が単機で運用されるケースがほとんどでした。
皮肉にもこの問題のお陰で現在もセノハチで活躍中のEF67形が運用に入るまで老朽化が進んだEF59は生き残る事ができました。
瀬野機関区構内にはこんな機関車も留置されておりました。

EF61-7 s.55(1980年).8.24 瀬野機関区
車体も色褪せ、傷みも進んでいたように記憶しています。
車体や線路を覆い尽くす雑草が留置の長さを伺わせます。

同じ形式ながら似て非なり・・・ EF61 200番台とはとても同じ形式とは思えませんね~.
似ているのは前照灯の形くらい・・・(笑
当初の計画ではこのEF61-7号機も他のEF61と共にセノハチ用のEF61 100番台として生まれ変わる予定でしたが前記の事情で計画は中止になりこの機関車も広島機関区などで長らく留置後そのまま廃車になったようです。
※セノハチ用EF61は、EF60形改造車を200番台、EF61形改造車を100番台とする計画が立てられましたが、結局100番台は計画のみで中止になり幻に終わりました。
つづく・・・