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しゃりお @ 撮り鉄倶楽部

最近の鉄道撮影記録と懐かしい国鉄時代の写真を気ままに更新してます。

あの頃の   セノハチ (瀬野~八本松)  似て非なる・・・

2011-08-24 22:20:20 | 国鉄時代
瀬野機関区には当時EF59以外にもEF61 200番台が活躍していました。


EF61-211    補機運用側(上り方) 1エンド側にはEF59と同じくデッキや手摺り、自動開放を行う自動連結器などが取り付けられておりましたが、広島側(下り方)はその様な装備はなくスッキリした外観でした。

EF61 200番台はEF60形からの改造車で、当時はEF59の置き換え用としていましたがEF61形200番台は単機での補機運用を前提とした改造(重連機構は装備)を受け登場したのですが、当初のもくろみははずれパワー不足が問題となり、逆に重連運転だとパワーが大きすぎて結局、重量編成は従来どおりEF59形の重連運用、軽量編成はEF61形が単機で運用されるケースがほとんどでした。
皮肉にもこの問題のお陰で現在もセノハチで活躍中のEF67形が運用に入るまで老朽化が進んだEF59は生き残る事ができました。


瀬野機関区構内にはこんな機関車も留置されておりました。


EF61-7  s.55(1980年).8.24  瀬野機関区
車体も色褪せ、傷みも進んでいたように記憶しています。
車体や線路を覆い尽くす雑草が留置の長さを伺わせます。





同じ形式ながら似て非なり・・・   EF61 200番台とはとても同じ形式とは思えませんね~.
似ているのは前照灯の形くらい・・・(笑

当初の計画ではこのEF61-7号機も他のEF61と共にセノハチ用のEF61 100番台として生まれ変わる予定でしたが前記の事情で計画は中止になりこの機関車も広島機関区などで長らく留置後そのまま廃車になったようです。

※セノハチ用EF61は、EF60形改造車を200番台、EF61形改造車を100番台とする計画が立てられましたが、結局100番台は計画のみで中止になり幻に終わりました。


つづく・・・
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あの頃の   セノハチ (瀬野~八本松)  瀬野駅にて・・・

2011-08-23 22:11:22 | 国鉄時代
今日も雨降りの一日でした。
少々蒸し暑いのですが、お盆前の酷暑と比べれば仕事での疲れ方が違いますね。
秋雨前線真っ只中、一雨毎に秋が近づいております。


瀬野駅は国道2号線沿いにあり、子供の頃たまに家族で車で広島にお出かけの時は瀬野駅の前を通ると多くの機関車(EF59)が止まっていたのをよく覚えています。

当時はまだ広島市内からは通勤圏内だったのでしょうが、辺りはまだまだ開発途上で新興住宅街が出来たばかりでした。

今ではその瀬野駅近辺も広島のベットタウンとして大きく様変わりして瀬野機関区の敷地跡は住宅街へとつづく新交通システム路線の駅になっているようです。


瀬野駅ホーム横に隣接していた瀬野機関区  ここでは車両の点検などが行われていたのでしょう。
EF61-210  EF59-21      s.55(1980年).8.24         瀬野駅





EF59-21  
補機運用側(上り方) 1エンド側には八本松構内で自動開放を行うために自動連結器などが取り付けられており広島側(下り方)とは相まってデッキ付近は物々しい装備でした。

写真のEF59-21号機は現在もJR貨物広島車両所に保存されており、毎年JR貨物広島車両所で開催されるJR貨物フェスティバルには公開されております。





EF59-8       市販の扇風機が笑えますが効果の程はいかがだったのでしょうか?
EF59には角張った顔と丸みを帯びた顔の2種類の車体がありました。
前期型のEF53形から改造された角張った前面
後期型のEF56形から改造された丸みを帯びた前面





冒頭に書いた国道2号線からはこの様な留置中の機関車達が見えていたのでしょう。
この写真の辺りは現在では新交通システムの駅になって随分と雰囲気は変わってしまっているのでしょうね~。



つづく・・・
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あの頃の   セノハチ (瀬野~八本松)  1980年 夏

2011-08-22 21:33:12 | 国鉄時代
お盆休みも終わり、またいつもの日常へ・・・
連休明けからめっきり秋の気配が漂って来ておりますね。
気がつけば家の周りを 赤とんぼが飛んでおります。
季節は確実に秋に向かってますね。

さて、最近ご無沙汰気味でした「あの頃の・・・」を久しぶりに更新しようかと・・・
時々、知り合いの方から「まだ?」みたいな催促らしきお言葉をいただきますが完全に私の気分と気力次第で更新してますから時間がかかります(笑

一部の方に好評の?「あの頃の・・・」懐かしの国鉄時代の写真はブログ左端のカテゴリー「国鉄時代」にまとめてありますので、そちらからご覧下さい。


今回はセノハチ (瀬野~八本松)をご紹介しようかと。

撮影はちょうど今から31年前のS.55(1980年).8.24 フィルムの端っこに珍しく撮影日を記入してました。
このブログでセノハチを紹介している頃にちょうど当時の撮影日が一致します。
当時は31年後にブログで皆様にご紹介するなどとは思いもよらなかった事でしょう。

今回の写真は白黒写真です。
当時は小遣いも少なく、その中からフィルム代、現像費用、遠征の旅費などを賄わなければなりませんでしたからアルバイトなどをしながら費用を捻出していました。

しかもフィルム代も馬鹿になりませんでしたから今の様にデジタルとは違い取り合えず撮影と言う訳にはいきませんでした。
このフィルムも36枚撮りですがセノハチの撮影は20枚程度で後はそれ以外の列車の撮影でした。
当時の私のブームはコダック社の「トライX」
白黒フィルムで撮影し自分で現像なんて荒業も当時はやっておりましたっけ(^^ゞ
そんな事もあって当時はカラーフィルムより安くて使い勝手の良かった白黒フィルムもよく使っておりました。

おそらくはこの時も遠征費用捻出の為に白黒フィルムでの撮影になったのでしょう。

前置きが長くなりました。

一緒に撮影に出かけたのは今も撮影仲間の ぽんたさん 当時はよく二人で撮影に出かけておりました。
今もよくご一緒しますが・・・(笑



EF61-201             s.55(1980年).8.24         西条駅
EF60からの改造車でした。
当時はEF59の置き換え用としていましたがEF61形200番台は単機での補機運用を前提とした改造(重連機構は装備)を受け登場したのですが、当初のもくろみははずれパワー不足が問題となり、逆に重連運転だとパワーが大きすぎて結局、重量編成は従来どおりEF59形の重連運用、軽量編成はEF61形が単機で運用されるケースがほとんどでした。





EF59の重連でセノハチ越えの出発待ち・・・            瀬野駅
言わずと知れたセノハチ越えのスペシャリスト
広島側面(下り側)2エンドのみ警戒色(トラ模様)も特徴でした。

西村京太郎の推理小説「特急さくら殺人事件」のトリックとして、セノハチでの走行中解放をトリックに使って登場したのも逸話ですね。



つづく・・・
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家族旅行の帰り道       伯備線を毎日走る気動車

2011-08-20 21:55:55 | 伯備線
今にも雨が降り出しそうななか江島大橋を見学し、お天気が悪くて大山が見えないので予定していた大山バックの境線の撮影&山陰本線 日野川鉄橋での撮影を諦めることに・・・
ただ幸いなことに今回の家族旅行では初日は快晴で二日目は不安定なお天気でしたが小雨には降られたものの運良く大雨に遭うことがなく雨を上手く避けながらの旅でラッキーでした。
撮影を中止したことで米子インター近くにある大型ショッピングセンター「イ○ン日吉津」で楽しむ事に。
これがなかなか奥さん、子供に好評で私も十分楽しめました。
ショッピングセンターで楽しんだ後は、いつもの山陰土産の定番 お菓子の寿城で試食しながらのお土産を買い求めて帰路につきました。

帰りに国道181号を車で走らせていると伯備線 根雨駅手前でキハ121系気動車に追い抜かれました。
時刻表では伯備線に一日2往復(そのうち1往復は土休日運休)気動車が生山駅まで入線している事は知っていましたが、今まで撮影でこの辺りに夕方まで居た事がなかったので見たことがありませんでした。

しかも私には余り馴染みがないキハ121系・・・ 撮影せねば・・・(^^ゞ
車を走らせ根雨駅に停車中のキハ121を追い抜きましたが、10分ほど列車が遅れているためか根雨駅発車後、結構な速度でキハ121が走ってきます。
何とか少々のリードを保ったまま有名なネウクロの直線踏切に私が到着した時には踏切の警報機は鳴っいてそこまで列車がやって来てました・・・
慌てて車を止めて取り合えず撮影したのがコレ


946D キハ12系                      黒坂~根雨
先ほどまで雨が降っていたようで空は真っ暗でしかも夕方・・・
露出も何も合わせている時間は無かったです(-_-;)





後追いでも一枚          このキハ121系、偶然にもトップナンバーでした。
ギリギリでの撮影で露出も構図も合わせる事が出来ませんでしたが何とかゲット!
ま、二枚とも出来はイマイチで記録程度で・・・(^^ゞ

この後 生山駅で様子を見ますが暗くて撮影不可でした。

またチャンスがあれば伯備線内で撮影したいですね。

これまでキハ126系とキハ121系の違いが私 飲み込めていませでしたがキハ126系が片運転台、キハ121系が両運転台なんですね~。


この後、ゆっくりく車を走らせて帰宅しました。

恒例の家族旅行 今年も無事に楽しく終えることが出来 来年も家族旅行が出来るように仕事頑張らないとね~(~_~)
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天に突き抜けそうな急勾配       江島大橋

2011-08-19 15:11:51 | その他
境港で家族で一頻り観光し、お天気も小雨に遭いながらも何とか水木しげるロードを一回りできました。

本来なら境港から米子方面に車を走らせながら境線を大山をバックに撮影予定でしたが空は今にも降り出しそうなお天気・・・
場所によっては先ほどまで降っていたようで路面が濡れていたりしております。

このまま米子市内へ車を走らせようかと思ってましたが、思い出した場所があったのでちょっと寄り道してみました。

それは 江島大橋


スキーのジャンプ台の様な急勾配・・・ 正面から見るとかなりの角度であります。
一気に車で上ると飛んで行きそうな錯覚に・・・

両岸に工業団地や松江方面への抜け道になっているのか乗用車や大型トラックの交通量が多いです。




一番高い中央部で水面から44m70cm、橋の構造は橋脚と橋げたが一体になったPCラーメン構造。
中央に位置する二本の橋脚の間隔は250mありPCラーメン構造の橋としては、浜名湖の浜名大橋を抜いて東洋一、世界でも三番目の長さのようです。
天気が悪くてコンクリートの橋が見えにくい・・・残念


私の撮影した写真ではイマイチその急勾配と橋の全景が上手く伝わりませんね~・・・
下手な写真でスマン(^^ゞ





橋の真下まで行ってみました。
周りには大きな建物がないので近くまで行って見ると余計に大きく感じます。
境港への大型の船舶が通行するためにこんな高さになったようです。


天気がイマイチなのと急に思いたって行ったのでロケハンなし、後は私の下手な写真のおかげでなかなか橋の高さと、その急勾配が伝わりませんでした・・・(-_-;)
快晴の時にでももう一度訪れてみようかと。

境港へお越しの際は是非 観光ルートに入れてみてはいかがでしょうか?
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