昨日は雨降りで我が家は久しぶりに揃って映画鑑賞の日となりました。
観たのは昨日記事にアップしたイタリア映画、「道」。
貧しい家の女の子が売られるシーンから始まります。
最初のシーンを少しだけ観て面白そうだから一緒に観ようと家人を誘いました。
少しだけ垣間見た印象からこの映画は
身を売られた少女が経験する様々な出来事の中で成長する話かなぁと思っていたのですが
ちょっと想像していたのとは違う話だったので驚きました。
苦労しながら成長する話と言うと
NHK の朝ドラみたいですよね。
そんな話ではありませんでした。
この映画は私は主人公とされている女性ジェルソミーナより、
悪人ザンパノの話では無いかと思っています。
結局悪事の果てに一人ぼっちになった彼を待っていたのは苦悩でしか無かったって事ですよね。
苦悩に身を捩らせる姿はそれまで見せていた強くて乱暴者の顔とは別人のように見えました。
後悔と寂しさと失った物の大きさに打ちひしがれる男の末路。
道って何を意味して付けたタイトルだったのでしょう。
フェデリコ•フェリーニは巨匠と言われる映画監督です。
そのカメラワークとか素晴らしいシーンが沢山ありました。
ジェルソミーナを演じた女優さん。
苦労したと思いますよ、この役にはね。
色々と作者に聞いて見たい疑問が沢山生まれました。
ザンパノは彼女が居なくなったらまたどこかで貧しい女の子を買うこともできるのです。
だからジェルソミーナは
そう考えることも出来たのです。
自分の代わりはどこにでも居ると思えば別に自分が彼のために嫌な思いをしなくても済むのです。
なのにまるで希望の光を見つけたみたいに
ザンパノの元に戻ることを決めるのです。
コレは最初はお金でもいつしか彼女はザンパノを愛していた言う話なんでしょうか。
ザンパノだってそんな彼女を邪魔にして寝ている彼女を見捨てて行ってしまうのですよ。
それなのに最後はひとりぼっちで苦悩している。
何なんだこの男、って感じですよね。
それまで働いてきた悪事を思えば当たり前だろう。
悪事を働けば末路はこうなるんだぞ、というお話だったのでしょうか。
ジェルソミーナってちょっと足りない女の子って設定みたいで
悪人がその純粋さに心を打たれるって話でもあったのでしょう。
世間ではジェルソミーナの話として知られているようです。
でも時間を忘れて退屈することなしに楽しめました。
さすが巨匠と仰がれた人の作品だと思います。
名作と呼ばれる映画をまた見たくなりました。
アメリカの商業映画はもうたくさんです⭐︎
ジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナはその後フェリーニの妻になって、二人は生涯添い遂げました。たしかフェリーニの病床で金婚式を祝って、それからまもなくフェリーニは亡くなったのだったと思います。
晩年のマシーナも品のある老婦人の役などやるといい感じでした。