寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
(過去掲載分は「付録」の「話・話」を開いて下さい)

(第3626話) あと35年

2024年02月08日 | 人生

 “「子は親の歳を超えるまで生きないと駄目だ」とよく言っていた母が、昨年104歳で永眠しました。70歳の私が母の歳まで生きるのは大変です。あと35年生きないと母の歳は超えられません。これは困ったぞ!
 私が小さかった頃の母は、仕事に追われながら家事を切り盛りして、5人の子どもを育て上げました。小柄な体で無理して働き続け、体が悲鳴を上げ、病気になり入退院を繰り返していたのを覚えています。晩年はデイサービスに通い、趣味を増やし、いろいろな物を作ってくれました。
 私は65歳で絵手紙を始め、5年で2回の個展を開きました。昨年は静岡県主催の「あいのうた短歌コンテスト」に応募しました。11月に発表と表彰式があり、私は入選を果たしました。残念なことに母は8月に亡くなりました。母がこの賞を取らせてくれたのだと思います。亡くなる2日前には元気で「よく来てくれた。ありがとうよ」。これが母との最後の会話になりました。見ていてください。私はまだやりたいことが沢山あります「人はいつか命の火が消えるだろうが、あと35年生きてみせるよ。私の入選短歌です。「愛のうた顔も手足もしわだらけ百四歳の母に捧げる」ありがとう、母さん。”(1月14日付け中日新聞)

 浜松市の中村さん(男・70)の投稿文です。70歳の男性が104歳まで生きる、これはまた大変な決意をされたものである。子は親の歳を越えるまで生きなさい、これはそう思う。医療も食事も労働も、昔に比べ時代は良くなった。今までの親なら超えても当然かもしれない。ボクの父親は68歳で亡くなった。もう10年も長生きした。母親は96歳で亡くなった。母親を超えるにはもまだ20年近くある。これはかなり難しい。そして男と女の違いもある。平均寿命で8歳の差がある。おかしな理屈であるが、それを差し引くと88歳になる。これだともう10年である。これは可能であるし、これは是非達成したい。
 こんなことでどのような望みを持とうが、勝手である。中村さんは是非104歳を目指して欲しい。ボクも88歳どころか96歳を目指したい。「人は考えたとおりの人間になる」である。まずは思うことである。


(第3625話) 安心見守り隊

2024年02月06日 | 出来事

 “地元には児童の登下校を見守るボランティアがいる。黄色の上着の背中には「安心見守り隊」とある。私が小学生のときのことだ。同じ方面に住む児童がいなかったため、いつも1人で下校していた。そんな私に見守り隊のおじさんが気付いて、声をかけてきた。その日から、おじさんは校門からわが家まで付き添ってくれるようになった。その日学校であったことを私はたくさん話し、おじさんは私を家に送ったら、また学校に戻り、別の学年の児童の見守りを続けた。
 小学校を卒業して6年。家族でもないのに私を見守ってくれたおじさんはありがたい存在だった。見守り隊の活動がこの先も続くことを心から願っている。”(1月10日付け中日新聞)

 愛知県知立市の高校生・近藤さん(女・18)の投稿文です。ボクも老人会で登下校の児童の見守りをしている。子どもたちに触れるいい機会と思っている。そして他地区の実態はどうであろうか。つい最近、ボクの知人女性がこの見守り隊に参加して貰えないか、と言う誘いがあったという。彼女はもう76歳と言うことで断ったようだ。
 ボクの町内でこうした登下校の見守りが始まったのは20年近く前と思っている。そしてやり方は様々である。会を作ってほぼ毎日同じ人がしている。個人が1人でしている。ボクのところは、団体毎に当番を決めている。ですからボクの町内は関わっている人は多いと思います。老人会だけでも20人くらいが関わっています。問題は前にあげた2つです。会で行っている場合、新しい人が入ってくれればスムーズです。でもこれが難しい。老いて人手が足りなってくる。彼女のところもそうではないでしょうか。どんな会もそうですが、立ち上げたときは、やり手ばかりで盛んです。でも後継が続かない。1人の場合は、すべてがその人に係っている。ボランティアで継続的なことは、いつまでも働くようになったことや人との関わりを避ける傾向が強くなったことで、難しくなっていくと思います。


(第3624話) 「マダム、キャッチ!」

2024年02月04日 | 出来事

 “昨年の花冷えする頃でした。地下鉄の車内で、ちょっとした揺れに反応できず「おっとっとっと」と焦った時でした。「マダム、キャッチ!」と背中をしっかりと支えてくれる明るい男性の声。すぐに振り返り「ありがとうございます。おばあちゃんですが・・・」と言うと、彼はきっぱりと「いいえ、マダムです」と。彼の友達が数人、クスクスと笑っています。制服姿の高校生でした。私も嬉しいやらおかしいやらで、思わず大笑いしました。
 あの時、ひざから落ちたり転倒したりしていたら、とんでもないことになっていたと思いま1す。心底、ありかたく感謝しています。とっさのことで、もっときちんとお礼を言わなかったことが、今でも大反省です。なんと明るくユーモアたっぷりのやさしい人だったのでしょう。昨年は楽しいことが数多くあったけれど、やっぱり忘れられない一日です。
 毎日ウォーキングしても、どこも痛くなく、好きな所へ出かけられるのも、彼のおかげと思い「ありがとう」とつぶやいています。76歳のこんなおばあちゃんに「マダム、キャッチ!」とは。今日も思い出してニヤニヤしている私です。 ”(1月7日付け中日新聞)

 名古屋市の今井さん(女・76)の投稿文です。キャッチした人は高校生ですね。それにしても「マダム、キャッチ!」と言う言葉と行動は、普通では出てきません。凄い、素晴らしいと思いました。まずはとっさに体が動いたことです。ビックリして見ているのが普通ではないでしょうか。相手は、老いたと言っても女性です。それを男性が抱えるこむなんていうことは、何をいわれか分かりません。とっさに出た態度で、こんなことを考える間はなかったでしょうが、でも危うい行動です。もしこれが若い女性であったら、触ったところが危うかったら、どうなったでしょう。今は親切が親切で通らない世の中です。でもこれを救ったのは「マダム、キャッチ!」と言う言葉ではなかったでしょうか。まさに機転の利いた言葉です。こんな言葉はどこから出たのでしょうか。いろいろ含めて感心せざるを得ません。


(第3623話) 遺影

2024年02月02日 | 出来事

 “小さい頃からの遺影のイメージといえば、薄暗い仏間に飾ってある白黒のちょっと怖い感じのする写真だった。昨年6月に義姉が67歳で亡くなった。家族や兄弟思いで、明るくエネルギッシュな義姉は、闘病中も弱音を吐くことなく、最期は自宅で家族に見守られながら永遠の眠りについた。
 そんな義姉の死が思いのほかショックで、夕暮れ時や夜寝る前になると、義姉を思い出しては寂しく落ち着かない日々を過ごしていた。ふと葬儀の時の義姉の写真が素敵な笑顔だったのを思い出し、姪に送ってもらって部屋に飾った。それからは遺影に話しかけたり、ぼんやりと眺めたりして心が落ち着いた。
 遺影の大切さをしみじみと感じた私は、自分たちの遺影のことを考えるようになった。私たち夫婦も60歳を過ぎ、今は2人にI人が癌になる時代、遺影など遠い先のことと油断してはいられない。元気な時の顔の写真の方がよいではないか。私は、いつも写真を撮ってもらう時に笑顔を心がけているので、きっと娘がとっておきの一枚を選んでくれるだろう。問題は主人だ。歳とともに頑固になりつつある最近の写真は、どれも渋い顔である。これは何とかせねぱと、写真を撮るたびに「はい、笑ってー、にっこりねー」と声をかけるこの頃である。”(1月6日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・水野さん(63)の投稿文です。ボクは遺影について妻といつも話題にしながら動いていない。水野さんは、義姉の遺影から、その重要さに気づかれた。義姉の遺影の素敵な笑顔に、その写真を送ってもらって家に飾られた。こんなこともあるのです。遺族にはそれだけ重要なことなのです。子どもたちも考えていてくれるかも知らない。でも、まずは自分で気に入った写真を残しておくべきであろう。
 ボクの家の座敷には父母の遺影が飾られている。亡くなって何十年と飾ってある。遺影とはそういうものなのです。座敷に入る度にその写真が目に入る。そう考えると本当に重要なものです。子供ら遺族に良い顔を残す、考えるほどに大切になってきます。