寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第2881話) 家族葬に寂しさ

2019年12月08日 | 意見

  “家族葬という言葉をよく耳にするようになった。身内だけの葬儀も事情によるのだろうが、後から亡くなったことを知って驚き、告別式に出てお別れしたかったと思うことが随分増えた気がする。
 先日も自治会から訃報の回覧があり、葬儀・告別式の案内に加え「喪主の意向で家族葬」とあり、故人と親交のある方はどうぞ参列くださいと書き添えられていた。にもかかわらず実際に参列したのは私も含めて数人で、故人の早すぎる死や人柄を思うとあまりにも寂しい見送りだった。時代の流れかもしれないが、田舎でも人情が希薄なのか、残念に思えた。
 私はわが意思を家族にこう伝えている。「たくさんの花に囲まれて大勢の人に見送られたい」と。”(11月19日付け中日新聞)

 三重県桑名市の農業・森山さん(女・74)の投稿文です。近年のいろいろなことの変わり様は凄まじいものがあるが、その一つが葬儀のあろう。葬儀が変わると言うことは、身内はもとより周りの人との人間関係も変わると言うことである。葬儀を機会に親族関係を切る人もあるし、いろいろな付き合いをなくす人もある。何でも簡素化、合理化である。簡素化が合理化であろうか。たかが葬儀では無いのである。
 家族葬が増えたと言うより、ほとんどが家族葬になった。そしてボクの地域では、家族葬は回覧も何の連絡もない。隣で亡くなった人があっても随分後に知る例もある。ボクはせめて回覧だけでもと思っているが、ボクが外野で言っているだけでは何も変わらない。ボクが町内役員になったらすぐにも取り上げるが、当分その機会はない。葬儀の簡素化は地域の絆を極めて薄めた気がする。
 さてボクはどのような葬儀にして欲しいか、どう伝えよう。普通の一般葬にして欲しいと伝えてはあるが、もう少し具体的に言い、連絡先も分かるようにしておかねばと思う。


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