寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第2783話) 子ども会解散

2019年05月08日 | 意見

  “私が住んでいる町内の子ども会が来年度で解散するそうです。二十代の一人っ子の長男が小学生だった頃、町内にはたくさんの子どもがいて子ども会の活動も盛んでした。私は二度役員をし、祭りやバス旅行などの引率をしました。子ども会はわが子以外の子どもと触れ合う貴重な機会でした。
 私自身、小学生のときは故郷の岐阜県羽島市の子ども会に所属していました。活動の一環で鼓笛隊ができ、私はその一員として祭りの日に町内をパレードしました。寺に集まってお経を習い、冬の夜は「火の用心」を呼び掛けて回ったこともあります。保護者が大きな鍋で作ったおでんのおいしかったことといったら。そんな思い出の数々が懐かしくよみがえります。
 進行する少子化の上、働く親が増えて役員の担い手を探すのも難しく、子ども会の運営は立ち行かなくなっているのかもしれません。地域での次代を担う子ども会が各地でなくなっていくのは寂しい限りです。”(4月17日付け中日新聞)

 愛知県尾張旭市のパート・加藤さん(女・57)の投稿文です。ボクも子ども会の思い出は多い。ボクが小学生の頃、ちょうど子ども会が盛んになる時代であった。世話をして下さった寺院も熱心であった。紙芝居や玄灯会、ゲームにスポーツに、いろいろなことを経験させて貰った。ボクは小学校卒業後も長いこと係わった。今は子どもが少なくなる、子ども会の行事が減る、子ども会がなくなる。これはどこもかしこも同じ、今の時代の流れである。なくなる原因が、子どもが少なくなったからであろうか。ボクにはそれよりも子ども会の面倒を見ようとする親が少なくなったことが第一原因と思う。子ども会は子どもだけでは運営できない。親などが当たらねばならない。昔はこの人ならばやって貰えると思う人を役員に選んでいた。自然活発になる。今の多くはくじ引きのようである。消極的な人にも当たる。これではなくなる訳である。
 これは何も子ども会に限らない。増えるばかりの老人でも同じである。老人会は今まさに存続の危機にある。老人会は老人が運営する。若い老人が老人会に入らないのである。担い手が見つからない。担い手が見つからないことでは子ども会も老人会も同じである。


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