“七十六歳になった父。小さい頃はいろいろな所に連れて行ってくれたし、父親参観日には必ず来てくれた。私たち三姉妹には「優しい父」という印象だったが、家のこととなると何もやらなかった気が・・・。夫婦二人となった今も、すべて母まかせ。好物のお酒すら母に「そろそろ買ってこんとなくなるぞ」と言う始末。母のストレスがたまってくると、姉妹で女子会を開き、母の愚痴を聞く。そんな時は「適当に相手して、ほかっとくしかないわ。『今日は夕飯別々ね!』って言ったりゃあ」と提案する。が、母は「いかんいかん。待っとるで」と帰っていく。
七月十二日、父の誕生日。母の誕生日ならみんなで盛大なお祝いを計画するが、誰も何も言い出さず。だが、誕生日の前々日は妹家族が鰻をご馳走。前日は姉家族がケーキを持って実家へ。そして当日、私が日付指定で大好物の日本酒をお届け。それぞれちゃんと計画していた。誕生日の翌日、母からライン。「お父さん大喜び。『やっぱり俺は娘たちに好かれとるんだ
な』だって。笑っちゃうね」「うん、笑えるね」と返しながら、思わず鼻でも笑ってしまった。お父さん、できることは自分でやって、お母さんと仲良くしてください。みんなからのお願いです。”(8月13日付け中日新聞)
愛知県知立市のパート・安藤さん(女・44)の投稿文です。家族の形態は様々である。本当に千差万別と言っていいだろう。どうしてこんなやり取りで夫婦や家族がなり立つだろう、と首をかしげることもある。それが成り立つのが家族の絆であろう。他人には立ち入れないことである。
それではこの機会に自分の家族を安藤さんと比べてみよう。ボクは子供の小中学生の時に学校時代に出かけた記憶はあまりない。子供らは多分優しいお父さんとは思っていないだろうし、逆に厳しいと思っているだろう。妻が子供らのところに、ボクへの愚痴などストレス発散に出かけることもないと思う。でも、妻が家族の中心を担い、子供らと繋がりを図っているは事実であろう。子供らが「お母さんと仲良くしてください」とも思っていないと思う。わが家夫婦が仲の良いことは十分に知っているからである。と、ボクは思っているが本当だろうか。
そういえば今日はボクの誕生日である。このコロナ下である。何か届くだろうか、夜までの楽しみである。