寺さんの【伝えたい話・残したい話】

新聞記事、出来事などから伝えたい話、残したい話を綴っていきます。
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(第3029話) 心は隠さず

2020年10月03日 | 意見

 “昼食を取るために入った料理店の張り紙が目に留まった。イラストとともに「店員は衛生管理のため、マスクをしています。でも、マスクの下は笑顔です」と書かれていた。感染拡大が続く新型コロナウイルスの影響で、今や外出する際のマスク持参と着用は現代社会の暗黙の了解となった。さて、飛沫を防ぐために口元を隠すことによる功罪ってどんなものがあるだろうか。
 功は手洗いや消毒も合めて衛生管理への意識が高まったことだろう。一方、マスクで見えなくなるからとの理由でひげそりや化粧といった身だしなみで手抜きをする人が少なくないと聞く。やや拡大解釈し、これまで以上に意図的に感情を表に出さなくてもいいやと考える人が既にいるかもしれない。「コロナ禍だから仕方ない」とする風潮がはびこればその方が問題だ。マスクをしていても良心までは絶対に覆い隠したくない。私は今、そう強く思っている。”(9月12日付け中日新聞)

 名古屋市の大学職員・佐藤さん(男・27)の投稿文です。コロナ禍の対策でいろいろしてきているが、功罪はどうだろうか。佐藤さんは口元を隠す功罪について、功は手洗いや消毒も合めて衛生管理への意識が高まったことと言われる。これはあろうが、マスク着用は罪の方がはるかに大きいと思う。ともかく表情が分かりずらいのである。この料理店のように「マスクの下は笑顔です」と書かねばならないのである。、目だけで表情を表すのは、一般には難しいことであろうし、また読み取ることも難しい。この先どんな風になっていくのだろう。
 同日の中日新聞に「マスクの妄想」と題して、哲学者の鷲田さんの文が掲載されていた。一部を紹介する。
 “マスク。元はといえば「仮面」を意味する。顔を隠すのみならず、それを偽る装具でもある。マスカレードといえば仮面舞踏会のことだ。しかし、「彼は穏やかなマスクをしている」と言うように、人の容貌もまたマスクである(日本語の「おもて」もお面と同時に素顔を意味する)。仮面も容貌もマスクと言うことから一つ、見えてくるのは、人がほんとうの心根を隠して顔をつくろうとき、顔それじたいが仮面になっているということだ。とすれば、マスクをつけることも容貌の演出の一つだということになる。そう、顔がマスクだったら、マスクをつけることは顔を二乗することにほかならない”。
 マスクは白いものと思っていたが、今やマスクは色形様々、ファッションの様相である。鷲田さんの言われるように演出用具である。化粧の一部である。二乗になっただけである。楽しむ人も現れよう。そのように考えれば、そう慌てふためくこともなかろう。しかし、ますます素顔は分からなくなっていく。


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