日経ビジネスオンラインの記事です。
致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。
(http://www.chichi.co.jp/monthly/201108_index.html)
昨日に続いて、小林秀雄の実妹で、劇作家でいらした高見澤潤子さんの記事です。
────────────────────────────────────
「兄・小林秀雄から学んだ感受性の育て方」
高見澤潤子(劇作家)
『致知』2001年10月号
特集「先知先哲に学ぶ人間学」より
────────────────────────────────────
兄に感受性を養い育てるには
どうしたらいいかと聞いたとき、兄はこう答えた。
「始終、怠ることなく立派な芸術をみることだな。
そして感じるということを学ぶんだ。
立派な芸術は、正しく豊かに感じることを
いつでも教えている。
先ず無条件に感動することだ。
ゴッホの絵だとかモーツァルトの音楽に、理屈なしにね。
頭で考えないでごく素直に感動するんだ。
その芸術から受ける何ともいいようのない解らないものを感じ、
感動する。そして沈黙する。
その沈黙に耐えるには、
その作品に強い愛情がなくちゃいけない」
感じるには、理解力とか判断力とかいうものではなく、
心の才能というものが必要なのである。
子どものような純粋な謙遜な気持ちが
なくてはならないのである。
いろんな知識を得、経験を重ねると、
こういう素朴な心を、私たちはみんな失ってしまう。
人間は心の底から感心し、感動しなければ
よいものは創れないし、よい考えもおこらないと思う。
また、個性について兄がこんなことをいったのを覚えている。
「人間は、自分より偉い、優れた人に出会ったら、
その人を心から尊敬できるような
ナイーブなものを持っていなくちゃ駄目だ。
他人への信頼と無私な行動とが一番よく
自分の個性を育てるものだ」
私はこの言葉を聞いたとき、正直なところ、
本当にそうなのかと疑問を持った。
個性というものは自分に与えられているものだから、
自分が育てなければならない、
自分の個性と思われるものを努力して、苦労して、
自分で磨き上げなければならないと思っていた。
しかし年をとるとともに、この言葉が
真実であることがわかってきた。
個性を育てるのに、たいていの人は私のように誤解して、
間違った方向をとってしまう。
ことに、人を尊敬するとか、他人を信頼し、
無私になることは却って自分を殺してしまうと思って、
俺が俺がという気持ちを持とうとする。
そうすれば、ますます個性を育てることは
難しくなるであろう。
兄のいうように「心から尊敬できるナイーブなもの」が
大切なのである。
────────────────────────────────────(以上)
“頭で考えないでごく素直に感動するんだ。
その芸術から受ける何ともいいようのない解らないものを感じ、
感動する。そして沈黙する。
その沈黙に耐えるには、
その作品に強い愛情がなくちゃいけない。”
感受性を養うには芸術に接するのがいいとはよく言われることですが、小林秀雄さんの説明は一味違いますね。
“沈黙する”というところ、私の勝手は小林さんのイメージでは、“思考する”と当てはめてしまいそうですが、
違うのですね。
“その沈黙に耐えるには、
その作品に強い愛情がなくちゃいけない。”
なんとも深い言葉です。
“沈黙”するとは、自分に向き合うという意味でもあるのかも知れません。
“愛情”とは、作品への愛情であると同時に、自分への愛情、信頼でもあるのかな、と思いました。
“個性”についての小林さんの言葉も一風変わっていますね。
“他人への信頼と無私な行動とが一番よく
自分の個性を育てるものだ”
一体どこからこんな発想が出てくるのかと思います。
私も、その時の高見澤さんのように、
“個性というものは自分に与えられているものだから、
自分が育てなければならない”
と思っていました。
しかし、そうすると確かに、
“俺が俺がという気持ち”が入りやすくなってしまい、
“ますます個性を育てることは難しく”なってしまうのかも知れませんね。
“心から尊敬できるナイーブなものを大切にすること”
深くて繊細な表現ですね。
やはり相手の中に、自分の個性をそっと映し出していくように感じます。
日経ビジネスオンラインの記事です。
「彼氏はいますか?」
「将来、子供は欲しいですか?」”
「オヤジギャグは、女性の心をつかむため?」
「全国の女性部下を持つ上司たちが、監督のノウハウを知りたがってるでしょ」”