致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。(http://www.chichi.co.jp/book/7_news/cd_kouwa3.html)
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致知出版社の「人間力メルマガ」
【2011/7/27】 致知出版社編集部 発行
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私はこれまで千日回峰行という行に自分自身を立たせてみて、
「人生とは何ぞや」「信仰とは何ぞや」という熱い思いで、
23歳の時からお山を歩き続けてまいりました。
行は1日48キロ山道を16時間かけて、
9年がかりで合計4万8,000キロ歩き続ける
というものでございました。
この行には、たった一つの掟(おきて)がございます。
ひとたび足を踏み入れますと、
決して途中でやめることは許されません。
万が一の時には、短刀で自分の腹をかき切るか、
腰に結わえてある「死出紐(しでひも)」で首をくくるか、
二つに一つです。
「行を終えたら行を捨てよ」
これはお師匠様から一つだけ授かった言葉です。
行とは、山へ行った回数で価値が決まるものではない。
どんな経験を積んでも決してそれを勲章にすることなく、
ただ善なる功徳のみを徹底的に
積み重ねよという教えだと思います。
平成3年5月3日、目を開けた瞬間から
千日回峰行者になるための自分の定めが始まりました。
目を開けると身体の重い日もあります。
調子の「いいか悪いか」ではなく、
「悪いか最悪か」のどちらか。
そのスレスレのところを行じていくので、
起きた瞬間に足が動かない日もある。
一度行に入ると医者に行くことも許されません。
ある日、突然右目が充血して
腫れあがってきたことがありました。
一週間たってもどんな薬をつけても治らず、
徐々に不安が募ります。
どうしてだろう、といくら原因を考えても分からない。
その時に、当時23歳という若さゆえ、
命の一つや二つ落としてもなんてことはない
という気持ちでいた自分のことが省みられました。
あんなに大きなことを言っていた人間が、
右目一つ霞んでくるだけでこんなにも不安になっている。
そう思った瞬間に、
「神仏から頂いたこの命は決して粗末にしてはいけない」
という戒めだったのだと気づいたのです。
それから数時間後には目の腫れが引き、
次の日には元どおりになっておりました。
『致知』2007年12月号より
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修験道の中でも最も過酷な行の一つといわれる
千日回峰行に果敢に挑み、見事満行を果たされた
塩沼亮潤大阿闍梨(しおぬま・りょうじゅんだいあじゃり)。
東日本大震災以降、その塩沼師が住職を務める
仙台の慈眼寺(じげんじ)へ、多くの方々が
ご自分の悩みを打ち明けに訪れると聞きます。
塩沼師は「自分に何ができるだろう……」と
煩悶されながらも、ご自分の話を聴かれた方々が、
元気を取り戻し、最後には笑みさえ浮かべながら
寺を後にされる姿をご覧になりながら、
ご自分の役割がここにあるのだということを
あらためて確信されたといいます。(後略)
…………………………………………………………………………………………(以上)
“ある日、突然右目が充血して
腫れあがってきたことがありました。
一週間たってもどんな薬をつけても治らず、
徐々に不安が募ります。
どうしてだろう、といくら原因を考えても分からない。”
“あんなに大きなことを言っていた人間が、
右目一つ霞んでくるだけでこんなにも不安になっている。
そう思った瞬間に、
「神仏から頂いたこの命は決して粗末にしてはいけない」
という戒めだったのだと気づいたのです。
それから数時間後には目の腫れが引き、
次の日には元どおりになっておりました。”
“命の一つや二つ落としてもなんてことはない”と思っていた塩沼さんが、
右目の充血で不安になること・・・
やはり、考えることと、やることは、全く違う、別の次元のことなのだと痛感します。
そして、そこに気づきが生まれた時、腫れが引いてしまう・・・
それは生きていることの不思議にも繋がることなのではないでしょうか。
私たちが日々経験する、体の痛みや、心の痛み、実は、その中にもその人にとって大切な教訓が隠されているのかも知れませんね。