"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“危機は続くよどこまでも、そして”

2011-07-03 04:49:03 | 日記

先週は、ギリシャ問題が世界の注目を浴びました。

そして議会では、今後5年間の緊縮財政案が何とか通りました。

それが通ることによって、初めて1兆円以上の融資をヨーロッパやIMFから受けられるのです。

結果を見た安心感から、スペインやイギリスも含めたヨーロッパの株式市場は、大幅上昇しました。

 

でも、やはりこれは問題の先送りでしかないのだと思います。

緊縮財政では、税収は伸びません。経済が成長しないからです。

ギリシャでは、最近またデモが激しさを増していますが、これは生活が苦しくなる国民がこの法案に反対しているからです。

その行動には、やはりエゴも入っているのかも知れません。

国民も政府も身の丈以上に今までお金を使ってきたということなのですから。

そして、今の身の丈にあわせることがいやだということなのですから。

 

でも、これから生活が苦しくなるということは本当であり、であれば、今後使うお金は減っていくのでしょう。

いくら節約しても、税収が増えないのであれば、政府の赤字は減りません。

というか、緊縮すればするほど、赤字は増えていくでしょう。

 

問題は、そのことに気がついている人がたくさんいるであろうにもかかわらず、

そのことについて声を上げていう人がいないことです。

 

それはなぜかと言うと、ドイツ、フランス等の比較的裕福な国でも、国民は、ギリシャ等の厳しい国にお金を出すことがいやになって来ているからです。

なんで、ギリシャの為に、自分たちの生活を犠牲にしなくてはならないのかと。

ま、これにもエゴが入っているのかも知れません。

でも更に生活を切り詰めてギリシャにもっとお金を出すのは、当然もっといやなのです。

だから、緊縮政策という間違った政策について、違うのではないか、と声をあげる人はいないわけです。

 

ポルトガルの首相が、最近、ギリシャのやり方は間違っているといい始めています。

緊縮政策は間違っている、お金をもっと使わなくてはならない、と。

それは、全く正しいと思います。

問題は、ポルトガルも他の国の助けがなければデフォルトになってしまうということです。

ポルトガルにお金を出そうかどうか考えている回りの国が、この発言に対してどのように感じるか、ということでしょう。

 

次々と先送りにされて来たこの問題は、近い将来もっと大きくなってまた出てくるでしょう。

そしてその時クリアしたとしても、さらに大きな危機が・・・・。

結局、問題がどんどん大きくなっているのだと思います。

そしてそれを誰も止められない。

止めてしまった時が破局だと。

 

アメリカも同じですね。

政府債務の上限をあげないと、8月2日にはデフォルトを宣言することになります。

そしてそれまでに上限をあげても、またその次が・・・・。

 

先週、空港の入国審査や教師を含めた大規模なストが起こって混乱したイギリスも同じです。

イギリスでは鳴り物入りの緊縮財政を現在実行しつつありますが、国民の大反対を受けるようになって来ました。

 

日本の場合、その国債は95%以上国内で消化されているので、少し事情は異なりますが、やはり今が勝負でしょう。

 

世界的に、政府は、こうした巨大な債務を帳消しにしたくてしょうがないのです。

それは、ハイパーインフレによって行われるのか、単にデフォルトを宣言するのか。

 

国内にお金のある日本の場合、預金封鎖を行ってそれで相殺してしまうという可能性も高いと思います。

以前、日記で紹介させて頂きましたが(http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/6e69d624a823105a8d2e6a62909992fb )、

すでに、過去に一度やっているので、行動に移し安いということはあるでしょう。

その場合に備えて、お金や食べ物を少し多めに手元に置いておくということも考えておいた方がいいかも知れません。

それも、一時的な効果にしか過ぎないかも知れませんが。

 

資本主義の限界が、今、世界的に露呈されて来ています。

GDPが成長しないと通用しないモデルである資本主義。

それは、お金を借りると利子をつけて返さないといけないというところから来ているのだと思います。

より多く返さないといけない人は、さらに多くお金を作らなくてはならないという宿命があるからです。

そうすると、企業は成長しなくてはいけないし、個人の収入は増やしていかなければならない。

増やすためにはリスクもとらなくてはならない。

そのようにして、みんなが少しずつ無理をしていく。

 

どこかでこの問題に真正面から向き合い、それを乗り越えていかなくてはなりません。

生きる喜びとは一体なんなのか、ということをもう一度ちゃんと考えて見る機会を頂いているということなのでしょう。

そうすれば、将来、大変な事態が起きたとしても、落ち着いて動いていくことが出来るでしょう。

その中から、次の時代を築く新しい芽が出ていくのだと思います。