"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“なでしこ快挙の陰に隠れた米国のフェアネス精神”

2011-07-21 03:41:25 | 日記

ダイヤモンド社ビジネス情報サイトより、前参議院議員田村耕太郎さんの記事です。

タイトルは、“なでしこ快挙の陰に隠れたアメリカの負けっぷりの良さとフェアネスの精神
〜日本称賛を続けた米メディア ”です。

少し長い記事ですので直接ご覧下さい。素晴らしい内容だと思います。

http://diamond.jp/articles/-/13194

 

“「なんてことでしょう。大野は完全なオンサイドだった。これはあり得ない審判のミスだ。審判は止めるべきではなかった」”

 

後半の大切な場面。大野選手が絶妙なタイミングで飛び出してボールを受けようとした瞬間、オフサイドの判定となりました。

完全なフリーでしたので得点の可能性が高い場面、大変悔しい判定でした。

ただ、上記「」は、日本の解説者のコメントではなく、アメリカの放送局解説者の方のものです。

 

この記事を書かれた田村さんは、女子W杯決勝をアメリカ放送(ESPN:スポーツ専門局)で聞いていました。

田村さんがアメリカで生活している中で感じていたフェアネス精神を、W杯決勝の中継からも強く感じ、その内容に感動したという趣旨の記事なのです。

 

実は私も、スペインのTVでサッカー中継が入らなかったので、PCの時々止まる画面で(笑)応援していましたが、

私の聞いた中継でも、英語解説者が、ビデオを見ながら審判の判定についてクレームしていました。

 

ちなみに、この場面、男子サッカーでは、両手をあげて猛烈な抗議をするでしょう。

しかし、大野選手は、審判の判定を受け入れ、走って自陣に戻って行きました。

とてもすがすがしく感じた場面です。

 

“鮫島選手が元東電所属であることも紹介し、「彼女は練習どころではなかったはずだ。しかし今、祖国復興の希望を背負い懸命にプレーしている」”

“「後半は日本時間では日の出の時間になる。後半は日の出る国が上がってくる」”

“後半終了9分前に宮間選手が根性の同点弾を入れたシーンだ。傷心のためか、アメリカの解説者は一瞬言葉を失う。しかし、その後アメリカの解説者はそれを激賞していたのだ。

「最後まであきらめない素晴らしいゴールだ。誰がこんな素晴らしいこの試合の脚本を書いたのか」と。”

 5月の親善試合でアメリカはノースカロライナで日本に2連勝した。しかし、今の日本は全く違うチームに進化した。5月の日本代表はまだ震災のショックを引きずっていたようだ。今や震災に苦しむ日本を勇気づけられるチームに成長した」”

“日本の勝利が決まると「震災に苦しむ国に、いい知らせもたらすために奮闘した日本女子代表のファイティングスピリットには、アメリカは勝てなかった」。アメリカ解説者は、その傷心ぶりは隠せないが、叫んだ。”

“「日本女子チームは技術があり、チームワークにすぐれ、何より気品にあふれていた。大会を通じて最もリスペクトされてきたチームだ。オメデトウ(日本語で)ジャパン」とアメリカ放送は締めくくられた。日本優勝で限界まで感動していた私は、このアメリカ解説者の言葉で涙腺をやられた。”

 

これらは、全てアメリカの解説者のコメントです。

日本のTVではどのような解説をしていたのでしょうか。

日本への応援一辺倒ではなく、アメリカの選手の見事なプレーには、賞賛を送っていたでしょうか。

少し心配になります。

 

“さすがにこの解説については、18日付けのニューヨークタイムズ紙が「ESPNのキャスターや解説はどちらの味方だったかわからない」と批判っぽい論説を載せていた。でもメディア同士でこうして正々堂々と言論を戦わせるところもフェアだと思う。”

もしかしたら、解説者の言葉の中に、日本の神様の声も入っていたのかも知れませんね。

“「後半は日本時間では日の出の時間になる。後半は日の出る国が上がってくる」”ですから。(笑)

 

昨日の日記でも触れましたが、フェアネス精神はアメリカ選手のコメントにも見事に顕れていると思います。

“試合後のインタビュー映像で、悔し泣きをしていたアメリカのゴールキーパー、ソロ選手。その彼女に無情にもインタビューを試みるレポーター。それだけでも酷だ。彼女はアテネ,北京で2大会連続金メダリストである。プライドがずたずたにされたことだろう。試合内容はアメリカが勝っていた。PKで負けた責任を問われるような質問だ。「正直私は、他の誰よりも優勝したいと強く思っていた。でも日本が優勝してうれしい。どのチームより素晴らしい試合をした日本を称えたい。どのチームより優勝にふさわしかった。誰よりも日本を祝福したい」と声を絞り出したのだ。”

“アメリカチームキャプテンのワンバック選手が「日本を祝福したい。日本国が誇るべきチームだ。最後まで彼女たちはあきらめなかった」”

感動します。

そうなると、日本の監督や選手が、アメリカチームの方々に対して、どのようなコメントを残していたのかが気になります。

“なでしこジャパンの佐々木監督も「内容ではアメリカの勝ちだ。やっぱり世界一のチームだ」とインタビューでアメリカ側を称え素晴らしいエールの交換となった。”

なんだかほっとします。

 

これから、日本女子サッカーは、W杯の覇者として、世界から見られるようになります。

自分の言葉が、他の国々の方々にどのように聞こえるのか、どのように受け止められるのか、ということは考えて行った方がいいのでしょう。

 

記事最後、田村さんのコメントは、とても印象的です。

“日本女性の力はすごい。素直に我々男性が白旗を上げ、敬意を示す、もっと女性に活躍してもらう環境を整えることが日本復活の早道だと、試合を見て思ってしまった。”

“もっと女性に活躍してもらう環境を整えることが日本復活の早道”、まさにその通りですね。

そしてそれを体現する先駆者、私たちにとって見本といえる方が、佐々木監督なのでしょう。


“だれでも出来るほんの一歩、そして”

2011-07-21 03:32:28 | 日記

「到知」メールマガジンからの転載です。

http://www.chichi.co.jp/monthly/201108_pickup.html

 
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   「能力の差は五倍、意識の差は百倍」
       
       
       永守重信(日本電産社長)

         『致知』1999年7月号
         特集「切に思うことは必ずとぐるなり」より            


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(※年中無休ということですが、一日のサイクルは
  どういう日課ですか? の質問に)


だいたい朝は五時五十分に起きます。
そしてすぐにシャワーを浴びて、
六時から十五分間ビシネスニュースを見ます。

それから食事をして、服を着て、
六時四十分に迎えの車が来ます。

朝早いですからラッシュアワーにかからないので
六時五十五分には会社に着きます。
もう二十分遅いと会社まで四、五十分かかりますよ。

世の中、何故ラッシュアワーが起こるかというと、
九割の人が普通のことをしているからです。

わずか十分か十五分普通より早く行動することで、
全然違う世界があるんです。

ところが人間ほとんどが一緒のことをするんですね。


だからうちの社員にはよそよりも
十分早く来いと言います。
その十分を早く来られる人間は
世の中の十パーセントなんですね。


それが意識の差なんです。


人間の能力の差なんていうのは、
最大五倍くらいしかないですよ。
知能とか知識とか経験とかはね。


しかし意識の差は百倍あると私は言うんです。


それさえ頭に入れておけば、どんな人間でも成功できる。


      * *


東京に出張したときのことです。
取引先の担当者に、繁盛しているという
ラーメン屋に連れていってもらったことがあります。

外観はごく普通のラーメン屋でしたが、
私たちが店の前に立った途端、
中にいた若い店員がばーっと入り口まで走ってきて
ドアを開け、


「いらっしゃいませ」


と大きな声で挨拶をするんです。

そして席まで誘導してくれて、
私たちがラーメンを注文すると、
大きな声で調理場にオーダーを伝えてから、
人なつっこい顔で


「お客さんは関西から来られたのですか」


なんて話しかけてる。

私たちと話している間も入り口に気を配って、
客が店の前に立つと飛んでいく。

ラーメンはごく普通で、
味で繁盛しているというわけではないんですね。

つまり、他店と同程度の料金で
五倍おいしいラーメンを作ったり、
五分の一のスピードでラーメンを出すことは
まず不可能です。

しかし店員の意識を変えることによって、
お客の気分を百倍よくすることは
それほど難しいことではない。

この店が繁盛しているのは、ズバリ店員の意識の高さ、
すなわち経営者の意識の高さなんです。

おそらくこのラーメン屋の経営者は、
ラーメンの味にこだわる以上に
店員の意識改革にこだわっているのだと思います。

私の人材に対する考え方もこれとまったく同じです。
能力の高い人を採用するというよりも、
人並みの能力を持つ人材を採用して、
彼らの意識を高めることに全力を傾注します。


人より一歩だけ進歩しなさいと言います。
一歩だけで全然違う世界を経験できる。

性能でも、ベストを追求してはいかんと言うんです。


ベストを追求すると、ものすごいコストと時間がかかります。

ちょっとでいいんです。

競争相手よりちょっとだけ早い、
ちょっとだけいい、ちょっとだけ安い、
それで十分だと。

それで世界一になれる。
ちょっと一歩。
だから十分早くする。

それでいいんですよ。

それを三十分も一時間も早くしようと
思うから続かないんです。


成功の秘訣なんてないんです。

だれでも出来るほんの一歩。

しかしだれでも出来るけれど、九割の人がやっていない。
一割しかやっていないんです。

────────────────────────────────────(以上)


“人より一歩だけ進歩しなさいと言います。
一歩だけで全然違う世界を経験できる。”

一代で、日本電産グループを作り上げた永守社長、
福島原発の事故が発覚したときに、早くから、
「私は、想定外という言葉が嫌いだ」とおっしゃっていたのが印象的でした。
強烈な存在感がありますが、その考え方のベースは“だれでも出来るほんの一歩”だったのですね。

“それで世界一になれる”のだと。

ただ、その“ちょっと一歩”をず〜っとやって来られたのが、永守さんなのですが。

なでしこジャパンも、人より一歩余計に走る、相手のボールにもう一歩足を出す、パスの精度を上げるということを積み重ねて来たのでしょう。

そして世界一になりました。



“性能でも、ベストを追求してはいかんと言うんです。”
“ベストを追求すると、ものすごいコストと時間がかかります。”

この言葉から、私は関係ないことを考えていました。

原発、安全性を究極まで追求すると、それこそもの“すごいコストと時間がかかる”わけですね。
なので、津波対策も、6.5メートルでしたったけ、そこまでしかやらない。
そして、「全ての電源が切れてしまうリスクを想定する必要はない」と決めてしまう。

一方で、原発安全神話をつくり、国民をいわば洗脳していくことによって安全にかけるコストを落としていく。
そして安全コストを落とすことによって、他の発電手段よりも安価だと宣伝する。
そして、ことが起きると「想定外」という言葉を多用して責任を逃れようとする。


永守さんの場合、ベストを追求しないことで発生するリスクについてはちゃんと「想定」しているわけですね。
それも踏まえた上で、ビジネスジャッジし、でもちゃんとコミットしている。

一方で、原発の場合、そのリスクは、生命を脅かすものになります。

私は原発において100%安全を確保することは不可能だと考えています。
安全なオペレーションが仮にあったとして見なしても、使用済み燃料の取り扱いの問題もあります。

なので、私は、原発は、効率を求める一企業がやるものではないし、たとえ政府がやっても同じことなのだと思います。


今、感情的な脱原発の動きは避けなければならないと思います。

でもやはり、エネルギーの選択肢を広げていく中で、感謝しつつ原発からは離れていくべきだと思っています。