生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

天正寺(住職・佐々木奘堂)活動の全日程

2017年01月01日 | 天正寺

◎天正寺住職・佐々木奘堂の活動のご案内。

天正寺や京都、東京、茨城での坐禅会を中心とした活動日程は、こちらをクリックください

 禅や坐禅というのは、難しい理屈や方法というのは全然ありません。 本来もっている自分の力を発揮するようにするだけです。

 私たち人間は、普通に(自然に)していると、座っていても寝ていても、自分の力を発揮せず、知らず知らず自分を苦しめる姿勢になっていがちです。

坐禅会では、坐る(あるいは立つ)という人間の一番の基本を、
シンプルに力強く行なっていきます。
 年齢、性別、職業、経験の有無、体が硬いかどうかなどに、全く関係なく、
誰でも共に取り組んでいけますので、ぜひご参加お待ちしてます。

 
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「禅的柔軟」の講座のご案内――朝日カルチャー大阪

2011年06月23日 | 天正寺
 また宣伝させていただきます。

 今月28日(火)の午後6時半から8時半までの2時間、
朝日カルチャーセンター中之島教室(朝日新聞大阪本社の5階)にて、
「禅的柔軟 執らわれのない自由な身心」
という講座を行ないます。
 (こちらをクリックください。)
 私は、「ちゃんと坐禅したい」という思いから、
ずっと身体のことも探求してきました。
 その過程で、いろいろ発見や学ぶことが多々ありました。
で、結局は、「思い込みや先入観を一切脇へ置いて、
ひたすらまかせていく(体の声を聞いていく)」ということです。

 坐禅で、「調身(ちょうしん)」つまり、「身体を調える」ことを
重視します。私も、相国寺僧堂で居士(在家の修行者)として坐禅を
始めてから20年、ひたすら「調身」を心がけ、努力してきました。
 これだけ「調身」を努力して、どうなったと思いますか?
 膝を悪くし、両膝とも手術しています。ぎっくり腰にも苦しみました。
つまり、思い込みの「調身」であって、身体に害を与えていたのに、
「体を調えている」と思っているために、体からの声が聞こえなかったのです。
 また、「調身」に加え、「調息」、つまり息を調えることも、
努力しました。「息を吐く際に、下腹が充実するように・・・」と
10年くらい心がけ努力しました。で、妙に、変てこで無様な腹になったり・・・
 これが「息を調える」ということでしょうか? やはり、思い込みの
中の調息であるために、体や息の本来の働きを妨げていたのです。

 これらの悲惨な体験を自分自身繰り返し、また人にも教える中で、
様々な「思い込み」のため、体からの声が聞こえず、
自分の思い込みを体に押し付けているのが、極めて多いというか、
普通の私たちのあり方だと気づきました。

 その思い込みを脇へのけ、シンプルな形や動きを、
ひたすら丁寧にやっていく中で、無限に学べることが
わかってきました。
 「寝る・坐る・立つ」という、私たち普通の人の生活の
ほとんどすべてを占める姿勢・動きの基本を、
丁寧にやっていきます。

 あらゆる執らわれから脱すべく、本来の身体・姿勢に立ち返る
ことで、その人の本来持っているものが伸びてきます。
(身体技能の向上や、健康や、美容は、自ずと伴ってきます。)

 このようなことを「禅的柔軟」としてやっていきます。
(ネーミングが今一だと自分で思うのですが、いくつか思いついた
中で他にマシなのがなくて・・・。良い案あったら教えてください。)
(他の候補:禅的体操、坐禅体操、調身心、平常かつ柔軟な身心・・・)
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自分の人生を生きよう――私の人生シリーズ

2011年06月21日 | 天正寺
 6月30日(木)の午後2時から4時まで、
「JOBカフェOSAKA」が企画した
「ライフスキルセミナー“私の人生シリーズ”」の
講師をすることになりました。
 題は、
「自分の人生を生きよう
  ~お坊さんが語る私の人生~」

 JOBカフェOSAKAは、若者の就職活動を支援している
大阪府が運営する就職支援施設です。
 大阪市の天満橋にあります。
 対象は、「34歳以下の一般・学生の方」で、定員30名です。
 詳しくは、JOBカフェOSAKAのHPをご覧ください。 
 「私の人生」といっても、たけし監督の「キッズ・リターン」の
ラストの言葉ではないですが、
「私の人生・・・ まだ始まってねえよ」といいますか、
「これから私の人生の始まりだぜ!」
というくらいの気持ちでいます・・・
 その都度、迷ったり悩んだり、間違いを繰り返しながら、
歩んできたら、このような人生の経過をたどってきました。
(どう見ても、計画性のある人生でなく、行き当たりばったりですね。)

 といっても、基本の問題意識は、20歳の頃から、
全くブレていないとも言えますし、その問題意識を追求しながら、
実際上は、紆余曲折し、間違いに間違いを重ねてきた・・・
という感じでしょうか。

 「若者」と呼べない年になってますので、
今、悩み、迷っている若者のために、何かしら参考に
なることができればと思っています。
 「34歳以下」で関心のある方は、どうぞお待ちしてます!
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「禅的柔軟」を開講します――道元の師匠の言葉から

2011年04月29日 | 天正寺
 突然ですが、5月11日(水)の午後6時半から、天正寺にて、
「禅的柔軟」を開講します。(「禅とカウンセリング」をあらため)

講座名 「禅的柔軟」
時間場所  毎週水曜午後6時半から8時半まで。天正寺にて。地図はこちら。
会費   2千円

 私が、なぜ、「禅的柔軟」と、
ちょっと無理な言い方をするようになったのでしょう?

 それは、禅・坐禅を探求してきた中で、
「柔軟」が極めて本質であると気づいたこと、
ですが、普通に言う「柔軟」では、抜け落ちてしまうものがあること、
この二つを痛感するようになり、それで強いて「禅的柔軟」という語を
用いることにしました。

別の言い方で繰り返しますと、
道元禅師――日本の曹洞宗の開祖――の師匠の如浄禅師が、
「柔軟」という言葉を、禅・坐禅の根本を表わす言葉として用いていること、
もう一つは、私自身の坐禅や身体の探求において、
「通常言われている『柔軟』とは全く別次元の問題がある」と気づいたことです。
「足がより広く開く」とか「上体がより大きく曲がる」など、形や角度の意味での
「柔軟さ」とは全く別次元のことがあると、はっきり気づきました。

 つまり、「柔軟」ということは、禅・坐禅の探求において根本であり、
でも、普通に「柔軟」というのでは全く伝わらないものがある……
それで、ちょっと無理がありますが、「禅的柔軟」と名づけたのです。 
 このことを、もう少し詳しく書いていきましょう。

●「柔軟心」――道元の師・如浄の言葉[13世紀前半]
 道元禅師は、本当に仏道修行するため、真の師を求めて、中国に渡りますが、
ずっと良き師に出会えないまま月日が経っていきますが、
ついに真の師・如浄禅師に出会い、その元で修行します。
 師との大事な対話を、メモしました。(メモを整理して清書もしたようです。)
道元の死後、弟子が遺品を整理中に、それを見つけ、本にしたのが、『宝鏡記』です。

 その中に「柔軟心」という言葉が出てきます。
如浄禅師は、「坐禅」について語る中で、次のように言います。
()は、私の意訳です。

 仏祖は常に欲界にありて坐禅弁道す。
…心の柔軟を得るなり。
(仏や祖師がたは、常に、この欲にまみれた世界にいて、
そこで坐禅や仏道修行します。…そして心の柔軟を得るのです。)


 道元、拝してもうす、いかにしてか心の柔軟を得るや?
(道元が謹んで尋ねました。
「どのようにして心の柔軟を得るんですか?」)

 仏仏祖祖の身心脱落を弁肯するは乃ち柔軟心なり。
 これをよんで仏祖の心印となすなり。
(如浄禅師が答えました。仏や祖師がたが、
「身心脱落を肯がって修していくことが、
すなわち柔軟な心です。
これが仏や祖師の中心・根本なのです。」)

 「坐禅とは何か?」をめぐっての中で、この対話が
なされています。
 上記の対話から、わかることは、
「柔軟な心を得る」
「坐禅する」
「身心脱落を行じていく」
と、この3つが同じであると、如浄禅師は言っているわけです。

 ここで、実に大事なことが言われていると思います。
 このことを、特に「柔軟」に即して行じていくことが、
「禅的柔軟」でやろうとすることです。
ご参加できる方は、奮ってご参加くださいませ。
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天正寺にて「関西de寺子屋」を行います

2011年04月23日 | 天正寺
寺子屋モデルは、偉人伝講座を中心とした「あちこちde寺子屋」を実施し、 「現代版寺子屋」の設置を全国に提案しております。

偉人の生き方から「学びの喜び」「学ぶ意義」を考えます。

わが国の長い歴史を辿れば、心引かれる多くの先人・偉人に巡り会います。
その生き方を学ぶ所から私たち自身の「お手本」を見出し、それを次の世代に伝えていきたい・・・。
日本への愛情と誇り、そして日本人の生き方を再発見する集いを皆様と共に作りたいと思います。

4月26日(火)18時半から、「関西de寺子屋」が、再開されます。
社長の山口秀範先生が天正寺に来られ、お話をうかがいます。
共に学んでいければと思いますので、奮ってご参加お待ちしてます。
 こちらをご覧ください。


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