生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

円覚寺の大方丈で私の心に鳴り響いた言葉

2017年07月24日 | 「ブッダの言葉」序

「あんたら、何、探り探り坐ってるんだ!
あんたら、最も大切なものを忘れている。」

 昨日、鎌倉の円覚寺大方丈にて、円覚寺派管長の横田南嶺老師と、私の友人である藤田一照さんの対談&坐禅ワークショップがあった。(午後1時から5時まで、4時間にわたり、お二人の対談、一照さんのワークショップ、そして坐禅、参加者同士の話し合いなど)
 
 この4時間ずっと、冒頭に挙げた言葉が、私の心に鳴り響いていた。
 実に気迫に充ちた力強い言葉だった。

この言葉の元:
数日前、たまたま銭湯でかかっていたテレビで、シンクロの井村コーチが、ロンドンで、教え子に語った言葉が紹介されていた。
「あんたら、何、探り探り泳いでるの? オリンピックは、自分の持っているものを全部出し切る場なんや!」
私は、この言葉が、私に直接言われたように思えて、思わず涙があふれてきた。

もう一つ。33年前の3月、高校を卒業する頃、ヤマキという同級生から言われた。
「お前ら、最も大切なものを忘れている!」
私が、それは何かと聞くと、ヤマキは言った。
「それは気迫だ!」

最近、ヤマキから言われたこの言葉が私の心から離れない。

この言葉は、直接には井村コーチやヤマキの言葉だが、実は、ある「神」が、彼らの口を借りて、私に直接語りかけてきているように思える。

 その神さまは、古代ギリシャの彫刻家の手を借りて、具体的な姿として、現存している。パルテノン神殿(現在はロンドン)のディオニュソスだ。演劇や酒の神さまだ。

私は、去年も今年も、その神の前に出るため、海外に行ってきた。スマホの待ち受けも、パソコンの背景画像も、パルテノンのディオニュソスだ。

この神が、私に語りかける言葉が、はっきりしたことが、昨日の円覚寺での最大の恵みだ。

「何、探り探り坐ってるんだ!
お前は、最も大切なものを忘れている。」

昨日、円覚寺の大方丈でしたように、坐禅も良かろう。仙骨を前後に動かしたり感じたりするワークショップも良かろう。
あるいは、仕事したり、勉強したり、スポーツしたり、休憩したりすることも良かろう。
あるいは、麻雀したり、酒を飲んだりするのも良かろう。

私は、ここに挙げたことが、「つまらないこと」だとは、決して思っていない。それぞれ大切なことだろう。

ただ、坐禅するにせよ、麻雀するにせよ、仕事するにせよ、酒を飲むにせよ、休憩するにせよ、何をしている時でも、「最も大切なもの」がある。

探り探り坐っているのは、ただマゴマゴしているだけである。
「前か後ろか、その間か…」などとマゴマゴしている時に、完全に忘れ去られてしまっている「最も大切なもの」が明確にある。
これは、誰でも持っているもので、しかも誰でも自在に使用できるものだ。

この完全に具足していて使用自在なものを、ちゃんと用いよ。

今、自分の持っているもの(持ち前)を、ちゃんと発揮して坐れ。
仕事している時でも、休憩している時でも、坐禅している時でも、何をしている時でもだ。

「そういう自覚を、いつも燃やしていなければならぬ必要を私は感じている。放って置けば火は消えるからだ。」(昨日の午前中にした坐禅会で参加者に紹介した小林秀雄の言葉)

この気迫&意志を、不断に救い出すことに努力していこう。
白隠禅師のいう「不断坐禅」を不断に行じていくことをもって、私の人生としよう。
感謝。

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加