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生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

12月1日(木)10時からのテレビ

2016年11月28日 | 「ブッダの言葉」序

12月1日(木)午後10時から、BS11(イレブン)で、

「京都国宝浪漫」の「銀閣寺」の回の再放送があります。

毎月1回、銀閣寺主催の「講話と坐禅」をしに行っています。

基本は第一日曜の午前10時から11時半。

9月の「講話と坐禅」の際、京都テレビの取材が入りました。

私の坐禅指導の様子も少し放映されます。

(私もまだ見てないのですが)

ご関心ある方、ぜひご覧ください。


https://www.kbs-kyoto.co.jp/tv/kokuho/2016/1107.htm

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溌剌たる生活

2016年11月07日 | 「ブッダの言葉」序

作りごとを超えた真実の生活をしたいと思いませんか?

そのように生きたいと思います。

( 以下、『沢木興道聞き書き』講談社学術文庫からの引用)

次から次へと変わってゆくものを追っかけて一生ふらふらしていたのでは、それこそ一生を空しくしてしまうものである。

どこまでも作りものを作らないで進んでゆく、その溌剌たる生活こそ真実なものである。

道元禅師の只管打坐は処世術でも技術でもない、人格の真実である。
無常ということは、生きることである。いかして、真実の生活をするかの努力が仏道者なのである。
なにかのまねであったり、つくりものであったりしたならば、そんなものは人間ごとであっても仏道ではない。仏道とは、いろいろな働きをする以前の、もとの自分になることなのである。

坐禅はあたかも、武士が三尺の秋水(真剣の銘柄)を引き抜いて身構えていると同様に真剣な姿である。これ以上、真剣な姿勢はありえない。
どんな人間でも、一番尊いのは、その人が真剣になったときの姿である。
どんなにであろうと、ギリギリの真剣な姿には、一指も触れることのできない厳粛なものがある。
これがわしの一生を坐禅に供養させるようになった因縁である。

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カースト社会を生き抜くために

2016年11月07日 | 「ブッダの言葉」序

小学校低学年でもクラスに「カースト(階級)」がある。


カーストの最下層は特にたいへんだ。「ヒマこいた意地悪集団」から、田んぼにつき落とされて笑われたりする。

「空気を読んで」一緒に笑っていたとしても、同じようにつき落とされて笑われてしまう。

女子中高生でも、どのカーストに属してるかが大問題だという。
どのような結婚をするか、あるいはしないかもカーストに関わる。
お母さんになったらなったで、「ママさんカースト」の問題があるという。

女子が主人公のマンガ(今朝の毎日新聞の西原理恵子氏のマンガ)を取り上げたがら、女性の例を挙げたが、もちろん男性でもカースト問題は同様である。

さて、本番インドで、カーストの最上位は「バラモン」だ。
お釈迦さまのカーストは、バラモンではない。(二番目のクシャトリアというカーストに属していたが、それらをすべて捨てて出家した。)

どのカースト(階級)に属していようと、それに全く関係なく、真のカースト最上位の生き方が誰にでもできることを示したのが、お釈迦さまだ。

「バラモンは…」と、繰り返し力強く、(カースト最下層の人も含め)目の前の人々に実に力強く語りかけてくれている。

カースト社会を、勇気をもって、力強く歩んでいきたいと願っているすべての人に、『ブッダの言葉』をお勧めしたい。
(アマゾンで購入できます。)

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