◎私のクセ(現状)、お釈迦様から学んだこと、その上での生きる方針を書きます。
明日16時からの天正寺での『ブッダの言葉』出版祈念の会でも、お釈迦様から学んだことと、天正寺での方針を明確にお話しします。ご関心ある方はお越しください。
●私のクセ(現状)。
・普通にしていると知らず知らず自分のクセに従っている(クセを追ってしまっている)。私の主なクセは次の3つ。
1.歪んで坐るクセ。(歪んだ足、歪んだ腰で坐るクセ)
2.「こっちかあっちか(あるいはその間のどこかか)」でウロウロするクセ。「感覚を集中」させて、実際は催眠にかかりやすい心理状態に陥っているクセ。
3.自分の物の見方の枠内から、すべてを見てしまうクセ。これが私の(あるいは人間の)根本のクセであり、このクセは理論的にも実践的にも抜け出るのは不可能と悟った。その物の見方の枠内で、これ正しい、あっち間違い、俺(たち)すごいとか言ってるクセ。
●私がお釈迦様から学んだこと(このクセを教えてくれたのはお釈迦様)
1.「これが正しい教え(あれは劣った教え)」「自分は~の修行をして勝れた境地になった」などと思い、他の人や集団より自分(たち)のほうが勝れていると思っていることが、まさに「縛り」の真っただ中であると、お釈迦様は教えてくれた。
2.お釈迦様は、どこかに正しい教え(仏法とか含め)があるとか、瞑想(禅定)とかで何らかの境地になってこの縛りを脱することはありえないことを、明確に教えてくれた。
3.陥りがちなこと縛りがあると明確に思い知ること。そういう縛りがあることを思い知り、すべて放っておく道を歩んでいくことはできることを教えてくれた。
●では私はいかに生きていくか(私の人生の方針)
1.これまでの私の坐禅は、歪んだ足、歪んだ腰で坐っていただけだった。
心の中は、瞑想(禅定)を目指した。その実状は、ああだこうだ思いにふけったり、何も考えないようにしたり、浮かんでくる想いをそのまま眺めようとしたり。
要するに、自分のクセに従っていただけだった。心のああだこうだを何とかしようとしたけど全然ダメだった。
2.自分にはこのようなクセが染みついていることを思い知った。心のああだこうだはどうにもならないことを思い知った。
3.よって、心のああだこうだはすべて放っておき、歪まずに立つ(坐る)。これを常に心がけよう。常に正身端坐(立)すること、これだけにすべてをかけよう。
歪まない足、歪まない腰で、命の躍動(充実)を決して害さないように。
・これを私の生きる志とする。2016年10月28日。
・お釈迦様の言葉に出会えて本当に良かった! これが私の人生に起こった中で一番の奇跡、恩寵です。