生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

天正寺(住職・佐々木奘堂)活動の全日程

2017年01月01日 | 天正寺

◎天正寺住職・佐々木奘堂の活動のご案内。

天正寺や京都、東京、茨城での坐禅会を中心とした活動日程は、こちらをクリックください

 禅や坐禅というのは、難しい理屈や方法というのは全然ありません。 本来もっている自分の力を発揮するようにするだけです。

 私たち人間は、普通に(自然に)していると、座っていても寝ていても、自分の力を発揮せず、知らず知らず自分を苦しめる姿勢になっていがちです。

坐禅会では、坐る(あるいは立つ)という人間の一番の基本を、
シンプルに力強く行なっていきます。
 年齢、性別、職業、経験の有無、体が硬いかどうかなどに、全く関係なく、
誰でも共に取り組んでいけますので、ぜひご参加お待ちしてます。

 
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12月1日(木)10時からのテレビ

2016年11月28日 | 「ブッダの言葉」序

12月1日(木)午後10時から、BS11(イレブン)で、

「京都国宝浪漫」の「銀閣寺」の回の再放送があります。

毎月1回、銀閣寺主催の「講話と坐禅」をしに行っています。

基本は第一日曜の午前10時から11時半。

9月の「講話と坐禅」の際、京都テレビの取材が入りました。

私の坐禅指導の様子も少し放映されます。

(私もまだ見てないのですが)

ご関心ある方、ぜひご覧ください。


https://www.kbs-kyoto.co.jp/tv/kokuho/2016/1107.htm

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溌剌たる生活

2016年11月07日 | 「ブッダの言葉」序

作りごとを超えた真実の生活をしたいと思いませんか?

そのように生きたいと思います。

( 以下、『沢木興道聞き書き』講談社学術文庫からの引用)

次から次へと変わってゆくものを追っかけて一生ふらふらしていたのでは、それこそ一生を空しくしてしまうものである。

どこまでも作りものを作らないで進んでゆく、その溌剌たる生活こそ真実なものである。

道元禅師の只管打坐は処世術でも技術でもない、人格の真実である。
無常ということは、生きることである。いかして、真実の生活をするかの努力が仏道者なのである。
なにかのまねであったり、つくりものであったりしたならば、そんなものは人間ごとであっても仏道ではない。仏道とは、いろいろな働きをする以前の、もとの自分になることなのである。

坐禅はあたかも、武士が三尺の秋水(真剣の銘柄)を引き抜いて身構えていると同様に真剣な姿である。これ以上、真剣な姿勢はありえない。
どんな人間でも、一番尊いのは、その人が真剣になったときの姿である。
どんなにであろうと、ギリギリの真剣な姿には、一指も触れることのできない厳粛なものがある。
これがわしの一生を坐禅に供養させるようになった因縁である。

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カースト社会を生き抜くために

2016年11月07日 | 「ブッダの言葉」序

小学校低学年でもクラスに「カースト(階級)」がある。


カーストの最下層は特にたいへんだ。「ヒマこいた意地悪集団」から、田んぼにつき落とされて笑われたりする。

「空気を読んで」一緒に笑っていたとしても、同じようにつき落とされて笑われてしまう。

女子中高生でも、どのカーストに属してるかが大問題だという。
どのような結婚をするか、あるいはしないかもカーストに関わる。
お母さんになったらなったで、「ママさんカースト」の問題があるという。

女子が主人公のマンガ(今朝の毎日新聞の西原理恵子氏のマンガ)を取り上げたがら、女性の例を挙げたが、もちろん男性でもカースト問題は同様である。

さて、本番インドで、カーストの最上位は「バラモン」だ。
お釈迦さまのカーストは、バラモンではない。(二番目のクシャトリアというカーストに属していたが、それらをすべて捨てて出家した。)

どのカースト(階級)に属していようと、それに全く関係なく、真のカースト最上位の生き方が誰にでもできることを示したのが、お釈迦さまだ。

「バラモンは…」と、繰り返し力強く、(カースト最下層の人も含め)目の前の人々に実に力強く語りかけてくれている。

カースト社会を、勇気をもって、力強く歩んでいきたいと願っているすべての人に、『ブッダの言葉』をお勧めしたい。
(アマゾンで購入できます。)

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私のクセ、お釈迦様から学んだこと、生きる方針

2016年10月28日 | 「ブッダの言葉」序

◎私のクセ(現状)、お釈迦様から学んだこと、その上での生きる方針を書きます。
 明日16時からの天正寺での『ブッダの言葉』出版祈念の会でも、お釈迦様から学んだことと、天正寺での方針を明確にお話しします。ご関心ある方はお越しください。

●私のクセ(現状)。
・普通にしていると知らず知らず自分のクセに従っている(クセを追ってしまっている)。私の主なクセは次の3つ。

1.歪んで坐るクセ。(歪んだ足、歪んだ腰で坐るクセ)

2.「こっちかあっちか(あるいはその間のどこかか)」でウロウロするクセ。「感覚を集中」させて、実際は催眠にかかりやすい心理状態に陥っているクセ。

3.自分の物の見方の枠内から、すべてを見てしまうクセ。これが私の(あるいは人間の)根本のクセであり、このクセは理論的にも実践的にも抜け出るのは不可能と悟った。その物の見方の枠内で、これ正しい、あっち間違い、俺(たち)すごいとか言ってるクセ。

●私がお釈迦様から学んだこと(このクセを教えてくれたのはお釈迦様)

1.「これが正しい教え(あれは劣った教え)」「自分は~の修行をして勝れた境地になった」などと思い、他の人や集団より自分(たち)のほうが勝れていると思っていることが、まさに「縛り」の真っただ中であると、お釈迦様は教えてくれた。

2.お釈迦様は、どこかに正しい教え(仏法とか含め)があるとか、瞑想(禅定)とかで何らかの境地になってこの縛りを脱することはありえないことを、明確に教えてくれた。

3.陥りがちなこと縛りがあると明確に思い知ること。そういう縛りがあることを思い知り、すべて放っておく道を歩んでいくことはできることを教えてくれた。

●では私はいかに生きていくか(私の人生の方針)

1.これまでの私の坐禅は、歪んだ足、歪んだ腰で坐っていただけだった。
心の中は、瞑想(禅定)を目指した。その実状は、ああだこうだ思いにふけったり、何も考えないようにしたり、浮かんでくる想いをそのまま眺めようとしたり。
 要するに、自分のクセに従っていただけだった。心のああだこうだを何とかしようとしたけど全然ダメだった。

2.自分にはこのようなクセが染みついていることを思い知った。心のああだこうだはどうにもならないことを思い知った。

3.よって、心のああだこうだはすべて放っておき、歪まずに立つ(坐る)。これを常に心がけよう。常に正身端坐(立)すること、これだけにすべてをかけよう。
 歪まない足、歪まない腰で、命の躍動(充実)を決して害さないように。

・これを私の生きる志とする。2016年10月28日。
・お釈迦様の言葉に出会えて本当に良かった! これが私の人生に起こった中で一番の奇跡、恩寵です。

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