欲望の問題、これはブッダの言葉で語られている二つの根本テーマの一つです。もう一つのテーマは、人間がどうしても避けられない先入観・思い込み・思い上がりの問題です。
ブッダの言葉、アッタカヴァッガは、人間が生まれてから死ぬまで変わることのない、実に当たり前のことを述べた言葉で始まります。
人は望んだことが叶えられると喜び、それが叶えられなかったり、不快な目にあうと苦しんだり悩んだりする。人は快を求め、不快を避けようとする。
ブッダは、「何でこんな当たり前のことを」と思えるほど、当たり前のことから語りだします。動植物や、おそらく赤ちゃんの頃には、この当たり前のことを当たり前に生きるだけで、そこに何の疑問も抱かないのでしょう。
もちろん大人になっても、このことを抜け出ることはできません。ですが、欲望をめぐる当たり前のことに、自分自身が疑問を感じ始めるところが、人間の妙なところであり、悲惨なところでもあり、そしてまた尊さの可能性を秘めたところでもあり、そこから宗教的なものもつながります。
ベトナムにきて、このブッダの言葉の最初を思ったきっかけ:ベトナム式マッサージを受け、とても心地よいものでした。快は嬉しい、と当たり前のことを実感しました。もちろんこれはこれで良い、というか是非もありません。
私も柔軟や体操、坐禅の指導で、「無駄な力を避け、できるだけ楽に」「心地よい感じで」と言ったりします。ですが、不快を避け、快を求めるのが目的ではないです。「赤ちゃんのような感じで」と言ったりもしますが、赤ちゃんの状態が目的ではありません。微妙な問題あります。
ベトナムからフエに向かう飛行機の中で書き、フエからUP。
ブッダの言葉、アッタカヴァッガは、人間が生まれてから死ぬまで変わることのない、実に当たり前のことを述べた言葉で始まります。
人は望んだことが叶えられると喜び、それが叶えられなかったり、不快な目にあうと苦しんだり悩んだりする。人は快を求め、不快を避けようとする。
ブッダは、「何でこんな当たり前のことを」と思えるほど、当たり前のことから語りだします。動植物や、おそらく赤ちゃんの頃には、この当たり前のことを当たり前に生きるだけで、そこに何の疑問も抱かないのでしょう。
もちろん大人になっても、このことを抜け出ることはできません。ですが、欲望をめぐる当たり前のことに、自分自身が疑問を感じ始めるところが、人間の妙なところであり、悲惨なところでもあり、そしてまた尊さの可能性を秘めたところでもあり、そこから宗教的なものもつながります。
ベトナムにきて、このブッダの言葉の最初を思ったきっかけ:ベトナム式マッサージを受け、とても心地よいものでした。快は嬉しい、と当たり前のことを実感しました。もちろんこれはこれで良い、というか是非もありません。
私も柔軟や体操、坐禅の指導で、「無駄な力を避け、できるだけ楽に」「心地よい感じで」と言ったりします。ですが、不快を避け、快を求めるのが目的ではないです。「赤ちゃんのような感じで」と言ったりもしますが、赤ちゃんの状態が目的ではありません。微妙な問題あります。
ベトナムからフエに向かう飛行機の中で書き、フエからUP。