生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

お釈迦さまの御誕生日にあたって思うこと。

2015年04月08日 | 「ブッダの言葉」序

今日は、お釈迦様の御誕生日(と言われている日)です。 

 

 お釈迦さまは、いったい、どのようなことを思って(家族や国民まで捨てて)出家し、どのような修行の過程を経て、そしてどのようなことを語ったり、人と対話したりしたのでしょうか? 

 

 お釈迦さまが何を語ったか、一番古いお経(アッタカヴァッガ)を読んで、私は、本当にびっくりしました。 

通常、「仏教」とか「仏法」と呼ばれているものと、全く次元が違うのです。本当に画期的な言葉です。 

 

 どのくらい画期的かというと、通常の「仏教」「仏法」の視線で、一番古いお経でのお釈迦様の語ったことを見ると、「この人、何てバカなこと言ってるんだろう」と思えてしまうほど、全く想定外で、画期的な言葉です。 

 

 私は決めました。このお釈迦様の言葉が、本当にお釈迦さまが目の前の相手に語った言葉だと信じ、そして人ごとでなく、この私自身に語ってくれている言葉として、一生聞いていこうと。 

 ここに常に立ち返っていこうと。 

 

 これで私が一生(残り何年かわかりませんが死ぬまで)生きていくのに十分です。これで飽きることもありませんし、(学び尽くしたと)尽きることもありません。 

 

 お釈迦さまと対話した人(マーガンディヤという名前のバラモン)が、お釈迦様の語ったこと(ダンマというインドの言葉、話・教えという意味)に対して、「それバカなダンマ(教え)だと思います」と、思いっきり直接言っています。そしてそれがアッタカヴァッガにはっきりと記されています。 

 お釈迦さまが亡くなったあと、いわゆる仏教ができました。その初期の仏教(上座部仏教、いわゆる小乗仏教)から見ても、そのお釈迦さまの言葉は、「バカなダンマ」に思えると思います。 

 その後、大乗仏教なるものができてきますが、その大乗仏教から見ても、アッタカヴァッガでのお釈迦様の言葉は、「バカなダンマ」に聞こえるだろうと思います。 

 現代の仏教徒にとっても、実にバカなダンマ(教え)と思われるでしょう。そのくらい画期的な言葉です。 

 バカと言われても、お釈迦さまは、全然めげることも怒ることもありません。本当に真剣に目の前の相手と語るだけです。 

  

 この人間・お釈迦さまの言葉を共に学んでいきたいと思われる方は、どうぞ天正寺までお越しくださいませ。(禅の言葉でも、同じ次元の言葉があり、お釈迦さまの言葉と禅の言葉の両方、学んでいきます。) 

 

 文章でも書いていきます。

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