生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

第4章 心理学における「仕組まれた自由」の問題

2012年03月31日 | 「ブッダの言葉」序
心理学の分野で、「仕組まれた自由」
が見てとりやすい実験があります。

「スキナーボックス」というのをご存知ですか?

心理学の勉強をすると、最初の頃に習います。
行動主義心理学の産みの親とも言われている
スキナーが考案したものです。

「インナーワーク」という概念で最近有名になってきている
ガルウェイという人が、ハーバード大学2年生の時に、
スキナー教授の授業をとった時の経験述べていますので、
それを紹介します。
(『インナーワーク』ガルウェイ著、日刊スポーツ出版社)

その授業で、スキナー教授は、
鳩が中に入った箱(これがスキナーボックス)を披露しました。

学生に、「さて、鳩に何をさせようかな?」と問うと、
一人の学生が、「左足でジャンプしながら、
反時計回りに回らせてください」と言いました。

学生たちは、「そんなことさせられるわけないだろう」と
最初思ったそうです。
ですが、スキナー教授は、平然と、
それに取りかかり始め、その授業の終わりには、
ボタンを押してベルを鳴らすと、鳩が左足でジャンプして
半時計回りに回るように習慣づけするのを
成功させたそうです。

スキナー教授は、
「何、たやすいことさ。
人間にだって、もっと複雑なことをさせることができる」
と笑ったそうです。

その授業を受けながら、愕然とした学生がいます。
それがガルウェイです。

「スキナー理論の示唆するところに気がついて、
私は背筋が凍る思いをした。
自分もまた、ハーバードの鳩ではないのか、と。」
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やっぱり心(意識)の問題にぶつかってしまう…

2012年03月29日 | 「ブッダの言葉」序
意識的に「まっすぐ」と努力してダメだとしたら、
努力をやめて、そのままでいたら良いのでしょうか?

何の努力もせず、姿勢に何の問題もな く、
自分で満足しているなら、もちろんそれで良いですが、
実際は、猫背で体に不快感があったり、
肩コリや腰痛があったり、足の先に血が十分 に行き渡らず
足先が冷えたりしている人は多いですね。

姿勢のことなど頭で考えることをせず、
ずっと寝ていたとしたら、楽な体のままいられるのでしょうか?

実はそれもダメなのです。

例えば、脳性マヒで、ずっと寝たきりの人がいますね。
その人が、
「自分の思う楽な姿勢で寝ていたらいいよ」とか
「姿勢の努力などという作為 的なことはしなくて、
そのままでいいよ」などと人に言われて、
そのようにしていると、寝ているだけなのに、
腰痛や肩コリがどんどんひどく なってきて、
しまいには、寝ているだけなのに、
針のむしろの上に寝ているように苦痛になってくるそうです。

脳性マヒで、別に「良い姿勢にな ろう」と
努力しているわけでなく、ただ自分なりに楽に寝ていても、
針のむしろの上で寝ているみたいになってしまうのです。

これって、どうい うことなんでしょう?

いずれにせよ、「そのままでいい」とか言ってられなくて、
どうにかしないとそれを脱することができないのが、
人間に 課せられた課題なのでしょうね。

意識的な努力をせず、そのままでいてもダメ、
意識的な努力をしても、たいがい思い込みに染まりダメとなると、
どうしようもないではないか!
と思うかもしれません。

ですが、ここで、全くあきらめることはありません。
ここに道があります。
意識的な努力でない道が確かにあります。
それは今日の後半で、実際に共にやっていこうと思います。

結局、私が、坐禅や身体・姿勢のこと、呼吸のことを
長年探求してきて、
「意識的な努力の限界」
「仕組まれた自由に気づかないでいる」という 問題に
繰り返しぶちのめされてきました。

「まっすぐが大事」
「中心軸・バランスが大事」と、
絶対に大事だと思われることに向かって努力しても、
うまくいかないのです。

「正しいこと を言ってもうまくいかない」、
この感覚は、心理療法(カウンセリング)が専門だった頃に
繰り返しぶつかった問題でした。

身体・呼吸の探求で も、結局は、そういう次元での
心(意識)の問題にぶつかるのだな、
としみじみと思いました。

次に、心理学の分野で、この問題を見てみましょう。
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意識の盲点

2012年03月28日 | 「ブッダの言葉」序
「背骨に余計な負担をかけず、ただ上体を前傾する」
という実に単純なこと、これすら意識してできないのです。

ヨガを20年続けた人でもできないし、私も長年、
「股関節から曲げる」とまじめに努力したのに、
できなかったのです。

といいますか、私は、ぎっ くり腰になるまで
全く気づかなかったのです。
ぎっくり腰になった後も5年以上も、
その理由を誤解して思っていたのです。

「股関節から曲げる」というのは、
人体模型を目の前に置いてやれば実に明確なことです。
といいますか、関節でない個所が曲がるはずもないで すし、
また人体模型は、背骨が固定した形になっていますから、
股関節からしか曲がりません。

こんな明確で単純なことすら、
意識してやろうと してできない、
この盲点って何?と愕然としました。

私は、その後も自分や人に関して経験をつむにつれ、
だんだんと、これは私だけの盲点ではなく、
実は人間の盲点がここにあるのではと
思うよう になってきました。

これは、「背筋をまっすぐ」というのでも
同じ盲点があります。

そのように意識して思うと、必ず
背骨や回りの筋肉に余計な負担を必ずかけてし まうな、
とわかってきました。

私たちは、「柔軟な体」というと、
股関節がよく開くとか、背骨が前にも後ろにも
よく動くというような、可動域 が大きいのを
「柔らかい」と思いますね。
ですが、例えば、「背骨が負担なくつながる」
という単純なことが、180度の開脚ができるような
柔 らかい体の人でも、
ヨガや坐禅を数十年やってきている人でも、
そうでない人と同様に難しいことがわかってきました。

クラシック・バレエを長年習ってきた人も
4人ほど教えたことがあるのですが、
可動域が大きいという意味での柔らかさはあっても、
背骨が余計な負担なくつながる(連 結している)
ことの難しさは同じだとわかりました。

ここに、「意識の限界」と言いますか、
人間の限界、実に深い問題があるとわかってきました。
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♪何が いけないのか 教えてほしいのさ♪

2012年03月28日 | 「ブッダの言葉」序
私自身の、はっきり失敗とわかる具体的な結果を挙げますと、
「身を調えよう」と努力した結果、
なんと、膝を左右とも壊して、どちらも手術しました。

体を柔軟にしようと、数年にわたり、ストレッチ(柔軟)を続け、
なんと、その結果、ぎっくり腰となりました。

「何がいけないのか教えてほしいのさ」と
佐野元春の歌にありますが、そのような思いに何度もなりました。
疑問の出口が見つけられず、苦しみました。

はっきりとわかる失敗であるぎっくり腰の経験を話します。
私は、ちゃんとした坐禅をしたいという思いで、
股関節が堅いとダメだから、股関 節を柔軟にするよう、
空いた時間、柔軟を一生懸命数年にわたり続けました。
一番基本の柔軟運動で、
「お尻を床につけ、開脚し、上体を前へ傾けていく」
というストレッチがありますね。

どの本にも、「股関節から曲げ ること」と書いてあります。
私も、それに気をつけながらやっていたのです。
確かに、毎日続けると、足もだんだん大きく開くようになります し、
頭もだんだん床に近づくようになってきます。

そのようなある日、ぎっくり腰になってしまいました。

2、3か月腰の痛みに苦しみなが ら、
「何でこんなことになってしまったんだろう?」
と反省して思ったのは、頭が床に近づくようにと
暗に思っていたため、頭が床につく方向 に弓なりに背骨に負担をかけ、
耐えられないほどの負担が腰にかかったのだろう、
と思いました。

そして、それ以後は、そのような危険がある ことまで意識して、
「股関節から曲げる」
ことに自分も気をつけ、人にもそう指導していました。

ある時、ヨガを20年以上実践している人と一緒に
そのストレッチをする機会がありました。
私は、等身大の人体模型を持参し、
「股関節から 曲げる」ストレッチを一緒にしました。

すると、その方は、「腰を反る」方向に、
腰に負担をかけるのです。
私は、「腰を反るのでなく、
背骨 には全く負担をかけないまま、股関節から曲げましょう」
と繰り返し言うのですが、その人は、何度やっても
腰を反ってしまうのです。

そして、その時間が終わり、私は、家に戻り、
その時間を思い返していました。
「等身大の人体模型を横に置いて、
『ただ上体を前傾するので す』と言っても、
できなくて、腰を反らしてしまうものなのだな」
と思っていました。

そして、私は、自分のぎっくり腰の原因もこれだったの か、と
ここで初めて気づいたのです。
愕然としました。
私のぎっくり腰も、背中が丸くなる方向に負担がかかったためではなく、
その逆で、腰を反る力を無理にかけ続けたためだったのです。

これだ け、体のことに関心をもって長年努力していながら、
こんなことさえ錯覚していたとは! と愕然としました。

みなさん、どう思いますか?
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「身を調える」などと言いますが…

2012年03月26日 | 「ブッダの言葉」序
「調身」「調息」「調心」が大事だ! と言われます。

「調」は「調(ととの)える」ことで、
要するに、身体を調え、呼吸を調え、心を調える。

このことに反対する人は、あまりいないと思います。

もちろん私も反対するはずありませんし、
これらを調えることは実に大事だと思っています。

ですが、ここで、「身や息」を「調える」
と思っているのは、その人の意識・心ですね。

ですので、その意識が思い込みに染まっていたら、
実際 は身体を調えるどころか、
害を与えている場合も多いです。

しかも、頭の中では、
「調えている」と思い込んでいるがために、
害を与えていることに気づかな い場合も多いです。

「身を調えよう(正そう)」と思って坐禅すると、
多くの場合、小学校の体育や朝会などでよくやった
「気をつけ!」の姿勢となります。

多くの身体に関する本で、
「猫背は体に悪いから、背筋をまっすぐ」と言われています。
坐ると骨盤が後ろに傾いている人が多いので、
「腰を立 てて」ともよく言われます。
中心軸が大事、バランスが大事ということも
よく言われますね。
背骨が自然なSの形を描くのが良いと言われたりも します。

私は、ここに挙げたようなことが大事であることを
否定するわけでは決してありません。
ここに挙げたことはすべて大事なことだと
今でも本当に 思っています。

そして、実際、長年にわたり、
それを自分の身体で実現するよう長年努力しましたし、
人がそれを実現することにも、
できる限り 助けになるよう努力しました。

そして、……
その過程は失敗続きだったと言えるでしょう。

なぜ、思っている内容は絶対に正しいのに、
まずい結果を招いてしまうのだろう?
私は繰り返し疑問に 思いました。

はっきり失敗とわかる具体的な結果を挙げてみます。
続く…
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