生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

ヨルダン川での決意

2012年09月07日 | 「ブッダの言葉」序
ヨルダン川にやってきました。(2012年9月6日)
ここは、イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けた場所です。
(ヤルデニットという場所。ガリラヤ湖南端の
ヨルダン川が始まるところから、300メートルほどの所。)

頭まで完全に川に浸かりました。(7,8回くらいかな。)

ここで思ったこと。

イエスは別に、キリスト教徒になるために
洗礼を受けたわけではありません。

別に自分が教祖になるために洗礼を受けたのでもありません。

新しい宗教or宗派を創ろうとしたのでもありません。

本当の宗教、人生を生きようとしただけでしょう。

ブッダの言葉で一番古いもの(アッタカヴァッガ)を
読むとわかりますが、ブッダは、
「私が説くダンマ(法)はコレコレだ」
などと決して説いていません。

仏教的な物の見方とか、
ブッダが推奨する修行法などを説いていません。

全く別次元で、直接に、私らを含め、目の前にいる人に、
切々と語っています。
このことに端的にぶつかっていないまま、

「ブッダの説いた法(物の見方や修行法や戒)は何か?
それは他の法に比べて、どのように優れてい るか?」

と思って、ブッダの言葉(アッタカヴァッガ)を読んでも、
トンチンカンなことになるだけです。
(ブッダが他の法の悪口ばかり言ってる人 になってしまったり、
自分の正当性を頑なに主張している人になってしまったり等とう。)

こういうのをすべて放って、ブッダの言葉に耳を傾けていきましょう。

私は、今日、ヨルダン川にて、自分での自分なりの洗礼のつもりで、
ここに来ました。
強い言い方をすれば、これまでの自分に死に、新たな命に生きる、と願って。

何に死んだか?
次のようなものを妄想をにぎっていた自分に死ぬこと。
つまり:

ブッダの説いた修行法は何々である、というようなことを、
自分が言うことも、人が言ってることに難癖つけることも、一切やめる。

ブッダの説いた物の見方はコレコレである、ということを、
自分が言うことも、人が言ってることに難癖つけることも、一切やめる。

坐禅とは何か? 禅とは何か? に関しても、全く同様。
(コレコレの物の見方が禅的だ、とか、本当の坐禅はコレコレだ、
とか一切やめる。)

「どこどこに意識して、何々しましょう」をやめる。

ただ放つ、まかせる。
(ただ立つ、坐ることですら、そうなんです。)

それゆえ、ただ立つ、坐るということが、不思議の用(はたらき)となります。
できた・できないということを超えて、無限の行となります。

それで結局、ギリギリの言葉:
こちらの思いはからいを一切捨て、すべて放って、坐っていきましょう。

これで何が不足か?
何が不安か?

このように生き、行じていきたいと思います。
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金の鎖で縛られた究極の牢獄ーー親鸞上人

2012年09月05日 | 「ブッダの言葉」序
私は、今年の3月に、王舎城で、
「観無量寿経」に記された「浄土」に関して
ショックを受けたことを書きましたが、
その疑問は、親鸞上人の書 いたものを読んで、
完全に「これだ!」と思いました。

すごく大事なところですので、
『教行信証』(親鸞著、金子大栄校訂、岩波文庫)から、引用します。

この本の最終章は、「方便」「仮」の浄土とアミダ仏
に関してです。その章の冒頭。(325ページ)

「つつしんで仮身土をあらわさば、
仏というは無量寿仏観経の説のごとし。
真身観の仏これなり。
土というは観経の浄土これなり。
また菩薩處胎 経等の説のごとし。
すなわち懈慢界これなり。
また大無量寿経の説のごとし。
すなわち疑城胎宮これなり。」

訳しますと:
「仮」の「仏の身体」と「浄土」は何かといえば、
「観無量寿経」に説かれているものである。
すなわち、「アミダ仏の身体を観ずる」という 「真身観」の
仏がそれであり、そこで説かれている浄土がそれである。
それは、「菩薩處胎経等」のお経で説かれている
「懈慢界」(怠慢な人の いる世界)のようなものであり、
「無量寿経」に説かれている「疑城胎宮」のようなものである。

これはこれは、実にビックリするようなことが言われています。

「無量寿経に説かれている疑城胎宮」というのは、
実は、「究極の牢獄」なのです。

この世の中で一番の大富豪の大豪邸よりも立派な豪邸に
入れられたら、みなさん、どう思いますか?
けっこう自由に過ごせ、食事も、超豪華な食事です。
鎖で縛られてますが、…
その鎖も、世界最高の金で作られたものです…

このような究極の牢獄の喩えが、
無量寿経に記されています。

親鸞上人は、観無量寿経の浄土(無量寿経の浄土もほとんど一緒)は、
「金の鎖で縛られた牢獄のようなもの」と言うのです。

何とも、スゴイことを、親鸞上人は言ったものです。
「究極の牢獄」の喩えであり、
「仕組まれた自由の究極版」の喩えとも言えるでしょう。

以下に、親鸞上人が引用した、その牢獄の喩えを引用し、
その後で、サンスクリット原典からの日本語訳を載せます。

みなさんも、この究極の牢獄を味わってください。

「たとえば転輪聖王(この世の理想的な最高の王さま)の
七宝の牢獄あらんがごとし。
種々に荘厳し…(立派な宝で、飾りつけられた牢獄の様子
が記されます)。
小王子(まだ子どもである王子)、罪を得たらんに、
すなわち、かの獄の中に入れて、つなぐに金鎖をもてせん。」
(『教行信 証』329ページ)

では次に、「無量寿経」のサンスクリット原典からの日本語訳です。
ブッダが弥勒菩薩に語った、と明記されています。
ブッダの語る究極の牢獄 を味わいましょう。
(岩波文庫『浄土三部経(上)』、中村元他訳註)

「たとえばここに、…クシャトリヤ(王族階級)である王の
牢獄があるとしよう。
すべて黄金や瑠璃をちりばめ、
絹の布と花輪と飾り紐の束とを かけ、
さまざまな色の天幕を張りめぐらし、絹織の布で覆い、
さまざまな花がふりまかれて散り敷き、広大であり、
香を薫じ、宮殿、美邸、明り とりの窓、垣根、門をもって飾り、
一切の宝石によって飾り、
黄金や宝石の鈴のついた網をもって覆い、…。

さて、かの王の子が、あるつとめによって(何か悪さをして)
かしこに投げ込まれ、ジャンブー河産の金(最高級の金)で
つくられた鎖をもって 繋がれたとしよう。

また、かしこには、彼のために設けられた長椅子があり、
多くの毛布が敷かれ、木綿と羽毛の座布団が敷かれ、
カチリンダ産 の布の快い感触があり、
カリンガ産の覆いの上に布がかけられ、
両端に赤い枕があって、きらびやかで、
見るも美しかったとしよう。

かしこに、 彼は腰をおろしたっり、
横たわったりするとしよう。

また、彼のために、多くの、さまざまな清浄な、
素晴らしい飲食物が持ちきたらされるとし よう。…」
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親鸞上人の見た「仕組まれた自由」ーー金の鎖

2012年09月05日 | 「ブッダの言葉」序
「卒業」というと、私が真っ先に思い浮かぶのは、
「仕組まれた自由」という問題です。

「仕組まれた自由」という問題を、
日本人で最も痛切に悩み苦しみ、取り組んだのは、
私の知っている範囲で言えば、それは親鸞上人です。

そのことを見ていきましょう。

先に、「王舎城の悲劇」のことを書きました。
(アジャセが、父王を牢獄に幽閉し、餓死させ、
母親イダイケをも牢獄に幽閉したこと。)

そして、イダイケは、お釈迦様に救いを求め、
お釈迦様は、アミダ仏や浄土を「観ずる」方法を説きました。

その「観無量寿経」の最後の部分を見てみましょう。

イダイケは、お釈迦様の話を聞き、
「心に歓喜を生じ」、「廓然大悟」したと、明記されています。
ガラッと「大悟」したというのです。

さらに、イダイケと共に話を聞いていた
お釈迦様の弟子のアナンが、
「このお経を何て名づけましょうか」と聞くと、
お釈迦様は答えます。

「観極楽国土、無量寿仏」、と。
(ちなみに、「無量寿仏」と「アミダ仏」は同じです。)
極楽世界(極楽浄土)と、アミダ仏を
「観」ずるお経だ、とお釈迦様は、はっきり言います。

ちなみに、お経の冒頭に記された題名は、
「仏説観無量寿経」となっています。
「ブッダが説いた無量寿仏(アミダ仏)を観ずるお経」です。

ここまで書いたことでも、お釈迦様が、
アミダ仏や、浄土を「観」(心の目で見ること、
集中して観ること、瞑想すること)を説いているのは、
明らかだと思えます。
みなさんも、そのようにしか思えなくないですか。

ところが、ところが、ここに
「仕組まれたもの」があるのです。
(と、親鸞上人は見抜くのです。)

親鸞上人が、はっきり書いていることですが、
お釈迦様が、「観無量寿経」で説いた「アミダ仏」や「浄土」は、
「方便」で、「仮」のものだと いうのです。
さらには、その「浄土」は、

「最高級の設備がなされた牢獄、
最高級の金でできた鎖で縛られた牢獄」

のようなものだと、親鸞上人はいうのです。

実に実におそるべきことを、親鸞上人は言ったものです。
それを次に見ていきましょう。
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私の「王舎城ショック」、そして王舎城の悲劇&奇跡

2012年09月03日 | 「ブッダの言葉」序
私が、今回、王舎城に来た理由は、
この3月にも、ここに来て、実にショックを
受けたことがあったからです。

王舎城は、お釈迦様がおられた当時、マガダ国の首都で、
栄えており、お釈迦様も、この町に一番長く滞在し、
教えを説かれました。

パーリ語の お経にも、繰り返し、
ここで教えを説かれたと述べられていますし、
大乗仏典の「法華経」「無量寿経」「観無量寿経」も、
ここで説かれたと明 記されています。

3月に、王舎城に来たとき、私は、
「観無量寿経」を、ここで読んだのです。

私は、ショックを受けました。
このブログの題名に、「ブッダの言葉」と入れましたが、
「観無量寿経」も、「仏が~と説いた」と、
ブッダの言葉と明記されています。

私は、「ブッダが何で、こんな言葉を語るのだろう?」
と思いました。(というか、「ブッダがこう語った」と、
後の人が作ったものですから、 お経も、ピンキリで、
レベルの低いお経があっても全く驚くにはあたりませんが。)

私は、法然上人、親鸞上人の素晴らしさを知っていましたし、
法然・親鸞の浄土経が、「無量寿経」「観無量寿経」
を根本のお経としていることも 知っていました。

私が、とまどったのは、法然・親鸞上人の、
本当の宗教の深さ・真実さと、
「観無量寿経」のレベルのギャップです。

率直に言いますと、何でこのような並のレベルのお経から、
法然・親鸞レベルの真実の宗教が生まれたのか、
それがわからないと思ったのです。

それで、日本に帰国して、
法然・親鸞さんの書いたものを読んでみました。
そこで、またまたショックを受けました。

法然上人、親鸞上人は、こんなふうに「観無量寿経」の
ブッダの言葉を読んだのか、とメッチャ驚きました。
「こういう読み方あり?!」と、普通の人には
とても思い付かない実に斬新な読み方です。

「観無量寿経」に関して、少し説明します。
(このお経は、サンスクリット原典がなく、
おそらく中央アジアか中国で編纂されたと言われていま す。)

「観無量寿経」のはじまりを、書き下し文にて。

「かくのごとく我聞けり。あるとき、仏、王舎城のぎしゃくっ山に在り。」

この「ぎしゃくっ山」というのが、=霊鷲山です。
つまりラジギールの霊鷲山に、お釈迦様がいた、と。
次のように続きます。

「その時、王舎大城に、一太子あり、アジャセと名づく。
父王のビンバシャラを収執し、幽閉して七重の室内に置き…」

お釈迦様がおられた当時、マガダ国の王様は、ビンバシャラで、
その息子(王子)が、アジャセでした。
息子である、アジャセが、父親である王様ビンバシャラを、
牢獄に閉じ込め、幽閉したのです。

食事も与えられなかったのですが、
ビンバシャラは、死にません。

なぜかというと、ビンバシャラの妻イダイケが、
面会に行く際、体にバターや 食べ物をぬったりして、
夫に与えていたからです。
それを知ったアジャセは、激怒し、
母イダイケを殺そうとしますが、回りの部下にとめられ、
それはやめます。殺しはしませんが、
母イダイケを、王宮の奥深くの牢 屋に幽閉します。

で、アジャセの父ビンバシャラ(イダイケの夫)は、死にます。

上に書いたことが、「王舎城の悲劇」と呼ばれています。

イダイケは、嘆きます。
息子アジャセに幽閉され、夫は牢死させられてしまうわけですから。

この嘆きの中、イダイケは、
霊鷲山にいるお釈迦様に救いを求めます。
すると、お釈迦様は、空を飛んでやってくるのです。
(スーパーマンみたいですね。)
他にも、眉間から光を放ったり、多くの、
いわゆる奇跡が記されています。

お釈迦様は、イダイケと弟子のアナンに対して、
教えを説きました。

どういう教えかというと、
「観」(ビパッサナー、瞑想)です。
何を、「観ずる」かというと、
「太陽」を観じ、水を観じ、地面を観じ、浄土にある樹を観じ、
池を観じ、楼閣を観じ…と、
要するに、浄土を観 ずる、マニュアルなのです。

ちなみに、浄土にある樹木を観ずる箇所を引用しましょう。
浄土にあるだけあって、並の樹ではないのです。

「仏、アナンおよびイダイケに告げたもう。
宝樹を観ぜよ。もろもろの宝樹、七宝の華、葉を具足す。…
瑠璃色の中より、金色の光を出し、
玻璃 色の中より紅色の光を出し、
メノウ色の中よりシャコの光を出し…」

要するに、ただの樹でなく、金や銀や、瑠璃やメノウや、
ものすごいダイヤとか宝石でできている樹なのです。
それを、細かく、マジマジと目に うかぶように、瞑想していくよう、
お釈迦様は教えるのです。こういう描写がエンエンと続きます。

その「観」の中心は、「観仏」で、つまり、
アミダ仏を、マジマジ観るのです。

「仏、アナンおよびイダイケに告げたもう。さらに、
アミダ仏の身相と光明を観るべし。
アミダ仏の身、百千万奥の夜摩天のえんぶだ金の色のご とし。
身長は、メッチャ高く(地球にいられないくらい高い)…」

「えんぶだ金」とは、最高の純度の金のことです。日本語訳では、
「アミダ仏の体は、百千万奥のヤマ天を彩ジャンプー河産の
黄金の色である。 」
アミダ仏の描写が、えんえんと続きます。
それを「観」するようにと、お釈迦様が言うのです。

このお経には、はっきりと、 「仏告」、つまり、
「ブッダが告げた」と繰り返し明記されています。

「ブッダの言葉」と明記されているわけです。

なぜ、ブッダは、このようなことを語ったのでしょうか?

みなさん、どう思いますか?

普通に、このお経を読む限りでは、
ブッダが、そのような「観」(ビパッサナー、瞑想)をする
ように勧めていると、読めます。
実際、この「観」が、平安時代の日本でも、大はやりしました。

ここで、法然上人も、親鸞上人も、悩みに悩んだのです。
なぜ、ブッダはそのような言葉を語ったのか、と。

そして、「なるほど!!!」と、
愕然とするようなことを発見するのです。

ここに、「王舎城の悲劇」ならぬ、
「王舎城の奇跡」があります。
(フィンランド・ミラクルならぬ、王舎城ミラクルがあります。)

「奇跡」といっても、
「お釈迦様が空飛んでやってきた」などという
「奇跡なんかじゃなくて」、ここに本当のことがあると思います。
(9月2日、王舎城からパトナに移動して、これを書く。)

続く…
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♪奇妙なんかじゃなくて♪ーー本当の奇妙・レジェンドとは?

2012年09月02日 | 「ブッダの言葉」序
ボルトの言葉を紹介し、
「day in day out sacrifice」
(来る日も来る日も、自分のすべてをささげる)
という生きる姿勢自体が、レジェンドなのでは、と書きました。

「奇跡(ミラクル)」をめぐって、少し書きます。

フィンランド大使館の人も知っているという
「フィンランド・ミラクル」という歌があります。
「んんんまなつぅううう」でお馴染みの
向田茉夏さんらが 歌っている曲です。
(と、スマスマで、草薙君が言ってました。)

♪ フィンランドの湖には、恋が叶うレジェンドがある、
って聞いた ♪ で始まります。

フィンランドの湖に、恋を叶える女神さまが住んでいるのだそうです。

フィンランドまで出かけて行って、
その女神さまに、お願いをしたら、願いが叶うのでしょうか?

ですが、この歌の主人公は、フィンランドまで行けません。

歌の二番は次のように始まります。

♪ フィンランドの湖には、行けないけど、
ネット上で見つけた ♪

見たところ、普通の湖なのだそうです。

ネットで、そのフィンランドの湖を眺めているうちに、
彼女は本当のことに気づきます。

♪ 眺めていて、気づいた。本当のことを。
奇跡なんかじゃなくて、勇気がレジェンドなんだ。
誰の心にもある ♪

私は、この「奇跡なんかじゃなくて」のフレーズが、
すごい気に入りました。
これは実に大事なことだと思います。

本当に大事なことは、「いわゆる奇跡」が起こるかどうか
ではないと思います。

「いわゆる奇跡」とは、超常現象みたいのが起こるとか、
女神さまや仏さまなどに、願をかけたら、それが叶うとか…

そのような、いわゆる奇跡に関しては、
本当のことは、 「奇跡なんかじゃなくて」と、
はっきり気づくことが、 すごい大事なことだと、私は思います。

西田幾多郎(ものすごい禅の修行をした日本最高の哲学者)も、
同様のことを言っています。

西田は、キリストの教えを極めて高く評価して、
「キリストの宗教的洞察の深遠なる、数千年後の今日なお生気凛々、
その一言一句、いよいよ考 うればいよいよ深く、
余輩ついに彼が精神の一端をも伺い得ざるなり」
と言っているくらいです。
私も、キリストの言葉は、西田と同様に思って います。
本当に、キリストの言葉をかみしめれば、かみしめるほど、
ますます深く、その一端、ごくわずかさえ、
理解できていないと感じます。

そのようにキリストの言葉、キリストの神性を深くうけがう
西田だからこそ、キリスト教の宣教師たちが、
「幼稚なる伝説」や「奇跡」で、キリ ストの神性を
証明・説明しようとしていることに憤慨しています。

西田は次のように言っています。

「余は一概に奇跡を排斥する者にあらずといえども、
キリストの神性は、その他の深き意義によりて
充分に証明せられるにあらずや。

奇跡のごと きをもってこれを証せんとするは、
賄賂をもって人心を動かさんと欲するがごとく、
る劣これよりはなはだしきはなし。」
(る劣とは、卑しく 劣っていること。)

西田は、まさに、「奇跡なんかじゃなくて」を、
強烈に述べていますね。
「わいろ」と同じようなものだ、というのです。
もちろん、「伝説」と 言い換えればよいものでなく、
「幼稚なる伝説」も同様に劣悪ですね。

では、「奇跡なんかじゃなくて」「伝説なんかじゃなくて」、
本当のことは何なのでしょう?

この問題に、日本人で最も深く取り組んだ人は、
親鸞上人と法然上人かな、と私は思えています。

その舞台は、「王舎城」なのです。
私は、今その王舎城で、この文章を書いています。
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