生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

明日から臨済寺(中国)に行ってきます。

2013年02月24日 | 「ブッダの言葉」序
明日(2月25日)から、臨済禅師のいた寺、
臨済寺に行ってきます。
河北省で、北京から、南西方向に
車で3,4時間の場所にあります。
 
3年後が、臨済禅師が遷化(せんげ、つまりは
亡くなること)されてから、 1150年で、
日中で、その記念事業が行なわれます。
その打ち合わせで、相国寺派管長猊下のお伴です。
 
臨済禅師は、本当にすごい方だと、
ますます思えてきています。
ですので、臨済寺に行けるのは、ものすごく嬉しいです。
(3,4回目になります。)
 
●簡単に、臨済禅師の解説をします。
 
臨済禅師は、中国(唐)の禅僧。
生まれた年は不明で、亡くなったのは867年。
(もうすぐ亡くなって1150年です。)
 
臨済禅師ご自身が、「臨済宗」なるものを開いたのでは
全然ありません。
死後だいぶたってから、世の中のさまざまな事情から、
臨済宗の開祖となりました。

(ブッダが仏教を開いたわけでないし、
キリストもキリスト教を開いたわけでないのと
同じだと思います。
「宗派」なるものは、すごい人が死んだ後に、
世の事情により、できることが多いように思います。)
 
●臨済禅師の系譜を言います。
 
六祖恵能(638-713)
南嶽-
馬祖(709-788)
百丈(749-814)
黄檗-
臨済(?-867)
 
現在に伝わる禅の始まりは、六祖恵能かと思われます。
達磨が初祖(禅の1番目)、恵能が六祖(6番目)
となったのは、 六祖の死後です。
「禅」「禅門」「坐禅」などという言葉は、
起源前くらいに、中国に仏教が入った当初から
頻繁に使われていました。
(今の私たちが使うような意味で、すでに使われていました。)

その「禅」「坐禅」などの意味を、
メチャクチャ画期的に転換させたのが、
六祖から始まる禅だと思います。

次に、『臨済録』から、臨済禅師の言葉を、
紹介していきましょう。
臨済録という、正確な語録が残っているのは、
本当にありがたいことです。
(「六祖」の語録は、悲しいことに、
バカ弟子たちによって、 さんざん改ざんされ、
メチャクチャになってます。)
 
臨済禅師も、お釈迦様と同じで、
一時も書き残していません。
仏教用語や専門用語も使わず、日常語だけで語っています。
(仏教用語を使う場合でも、
「それを気にしなくていいいよ」という使い方です。)
 
ですので、私たちも、自分自身に語りかけられた言葉として、
その言葉に耳を傾けることが、すごく大事だと思います。

では次から、挙げる言葉を、じっくり味わってみてください。

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「ブッダの言葉」エッセンス

2013年02月04日 | 「ブッダの言葉」序
長らく、更新できず、申し訳ありません。
いろいろ迷いが大きくなりまして…。

このブログの表題にある「ブッダの言葉」の中で、
とりわけ私がエッセンスと思う言葉を載せます。

人類史上においても、すさまじい迫力の言葉だと
思いますので、自分に直接語られた言葉として聞くのは、
ものすごいことです。


ブッダの言葉 エッセンス 佐々木奘堂訳

●ブッダの言葉「アッタカヴァッガ」とは?
・ブッダ(お釈迦様)が実際に語った(と私には思われる)最も古いお経(の一つ)です。
・『スッタニパータ』というパーリ語のお経(を集めたもの)は、5つの章から成り立っていますが、アッタカヴァッガは、その第4章です。(1,2,3章は、アッタカヴァッガより後の時代のもの。)
・ブッダは一文字も書き残していません。目の前の相手に語っただけです。最初は口伝えでしたが、死後だいぶたってから、このアッタカヴァッガが(最初に)書き記されました。
・専門用語(仏教用語)は使われておらず、当時普通に用いられていた日常語で語られています。その後、仏教用語となる「ダンマdhamma(法、教え、真理)」「ディッティdit.t.hi(見解)」などの言葉は、ブッダが生きていた当時から、修行者などが普通に用いていた言葉であることがわかります。
・ここに挙げた短い言葉でも、私たちの「自縛」(自分で自分を縛っていること)を実に的確に述べています。つまり、他と「比較」して、何らかの「見解」や「法(ダンマ)」を「かまえ(でっち上げ、捏造し)」、それに「依り」、それを「固くつかみ(執し)」、それに「居着く」ことが、まさに「自縛」だと、ブッダは私たちに語りかけているのです。
(私たち仏教徒は、他より優れた「仏教的見解」「仏法」をでっち上げ、それに依り、執し、居着いていることが多く、ブッダが語りかけた当時の人たちと全く同じです。ですが、「自分は仏法に依っているから大丈夫だ」と勝手に思っていると、このブッダの言葉が自分の耳に入らず、どこか他の劣った人たちのことが言われていると思えてしまいがちです。)


796 世には、いろいろな見解がありますが、人は、その中で、「(一番)勝れている」とみなすものを、「最上である」として、それにしがみつきparibbasa-na、それ以外のすべて[の見解]を「劣ったものだ」と言います。そのため、諸々の論争を超えることがありません。

797 見たこと、聞いたこと(教えられたこと)、戒めや務め(修行法)、あるいは思索したことについて、自分に利益(功徳)がある、と見なす人は、それだけを固く握って(執着して)samuggaha-ti、その他のすべてのものを、「劣っている」と見なします。

798 人が何かに依拠(依存)してnissita、その他のものを「劣っている」と見なすならば、それがまさに束縛(縛り)ganthaであると、熟達した人たちは説きます。ですから、修行僧(比丘)は、見たこと、聞いたこと(教えられたこと)、思索したことや、戒めや務め(修行法)に依拠(依存)nissayatiしてはなりません。

799 世において、知恵によったり、戒めや務め(修行法)によったりして、見解を構えてkappayatiはなりません。自分を他人と比べて、「同じだ」といったり、または、「劣っている」「勝れている」と思ったりしてはいけません。

800 彼は得たものを捨てて、こだわることなく、知恵にもたよることnissayaがありません。彼は、人々が分裂したときに、いずれかの党派vaggaにくみすることがありませんし、いかなる見解に依拠するpaccetiこともありません。

801 [こちらかあちらかという]両極[の物の見方]がありますが、彼は、ここでもあちらでも、「ある」や「ない」といって、[そのどちらかを]志向するということはありません。さまざまな教え[ダンマ]がありますが、その中のいずれかを[最上だと]決めて、それを固く握って(執着して)samuggahi-ta居着くnivesanaことをしません。

794 彼ら[=バラモン=真の修行者]は、[見解などを]構えることがなくkappayati、[特定の見解などを]重んずることもなく、「これが究極の清浄だ」と語ることもありません。[これらの]束縛(縛り)ganthaで縛られていることから離れ去り、どこにあっても、これらのことをしません。

781 欲に導かれ、好みにとどまっているnivit.t.ha人は、どうして自分の見解[という枠組み]を乗り越えることができるでしょうか? 彼は自分が完全である(達した者だ)samattaと思い込んでいます。彼は自分が知っている[と思い込んでいる枠内から見た]ままに語るでしょう。


●単語
「縛」「依る」「執す」「居着く」「かまえる(でっち上げる)」意味の言葉の原語。
gantha (798、794) 縛るもの、結びつけるもの、しがらみ、繋縛、縛。bond, fetter, trammel.
nissayati (798) 依る、依止する、こだわる、しがみつく。to lean on, rely on, trust.
nissita(上の語のpp.) (798) 依存した、依りついた、よりかかった、頼った。hanging on, dependent on, inhabiting, attached to, supported by, living by means of, relying on.
nissaya (800) よる所、頼るところ、しがみつくこと、こだわり。that on which anything depends, support, help, protection.
samuggan.ha-ti (797) つかむ、執らえる、把握する。to seize,grasp,embrace.
samuggahi-ta (801) 執らえられた、把握された。seized,taken up.
nivesana (785、801) 居住、住居、屋敷、住着、固執、拘わること、執らわれ。settlement, abode, house, home.
nivesa (785) 住居、住着、固執。stopping, settling down, house, abode.
nivit.t.ha (781) 住んだ、留まった、執らわれた、こだわった。settled, established, fixed on.
paribbasa-na (796) 住んでいる、しがみついている。abiding, staying by.
kappayati(=kappeti) (794、799) (見解を)構える、はかる、判断(分別)する、行なう、営む。to make, get up, carry on, etc. (in special sense)to construct or form an opinion, to conjecture, to think.

●原文(パーリ語)
796 ‘Paraman’ti dit.t.hi-su paribbasa-no yad uttarim.kurute jantu loke,
“hi-na-”ti an~n~e tato sabba-m-a-ha: tasma- viva-da-ni avi-tivatto.
797 Yad attani- passati a-nisam.sam. dit.t.he sute si-lavate mute va-,
tad eva so tattha samuggaha-ya nihi-nato passati sabbam an~n~am..
798 Tam. va^pi gantham. kusala- vadanti, yam. nissito passati hi-nam an~n~nm.,
tasma- hi dit.t.ham. va sutam. mutam. va- si-labbatam. bhikkhu na nissayeyya.
799 Dit.t.him pi lokasmim. na kappayyeyya n~a-n.ena va- si-lavatena va- pi,
‘samo’ti atta-nam. anu-paneyya ‘hi-no’na man~n~etha‘visesi’va- pi.
800 Attam. paha-ya anupa-diya-no n~a-n.e pi so nissayam. no karoti,
sa- ve viyattesu na vaggasa-ri, dit.t.him pi so na pacceti kin~ci.
801 Yassu^bhayante pan.idhi^dha n'atthi bhava-bhava-ya idha va- huram. va-,
nivesana- tassa na santi keci dhammesu niccheyya samuggahi-ta-,
794 Na kappayanti, na purekkharonti, “accantasuddhi-”ti na te vadanti,
a-da-nagantham. gathitam. visajja a-sam. na kubbanti kuhin~ci loke.
781 Sakam. hi dit.t.him. katham accayeyya chanda-nuni-to ruciya- nivit.t.ho
sayam. samatta-ni pakubbama-no: yatha- hi ja-neyya, tatha- vadeyya.
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