パルテノンを前にして思うこと(続):

身体の問題も同様だ。
私は、小細工、作り事、応急処置的なこと、つまり、その場しのぎばかりしてきた。
どこかで聞いた話や、流行っている話を、自分なりの試行錯誤でアレンジして、ああだこうだとやってきた。
身体技法や呼吸法とか瞑想法とかで、これが仏教(禅)の方法だとか何とか。
私は、そのような「応急処置的方法」が悪いとは、全然思っていない。(例えば、激しい痛みの時に、痛み止めの服薬や注射は、とても有効だ。)
だけど、根本の姿勢が間違っていて、そのために種々の問題が起こっているのに、根本の姿勢は直さず、枝葉末節のその場しのぎばかりしていたら、どうなる?
例えば、姿勢が歪んでいるため、腰痛・肩こりが起こっているのに、姿勢の歪みは直さないまま、痛くなったら痛み止め・マッサージその他でしのいで、元の姿勢を直さなかったら、再発とその場しのぎの繰り返しが続くだけではないか。
これが私の生き方だった。
根本の姿勢が悪くて痛みが出た時でも、例えば、ドーパミンが出るようにすると、とりあえずは元気が出て、それによって痛みから逃れやすくなる。(嫌なことがあった時など、酒を飲んだりするは、私にもある。)
あるいは、セロトニンが出るようにすると、痛みを感じるのを和らげることができる。
これらを覚醒剤を使ってやると逮捕されてしまうが、瞑想法でやる分には逮捕されることはないし、金もかからずに、痛みや苦しみから逃れたり、和らげたりできる。(実際、ドーパミンやセロトニンが出やすくする瞑想がある。)
確かに、瞑想(禅定)に習熟することで、そのような効果が得られる。
シータ波が優勢になったとか、セロトニンが出たとか、科学的に検証もできる。
私は、これらを、有効な方法だと思っている。
対症療法は、対症療法として実際に有効だ。
これらを仏教や禅の瞑想(禅定)だと思っている人も実際いる。(信教の自由は日本国憲法でも保証されているし、それはそれで良いと私は思う。)
それはそれとして、私が思うこと:
対症療法もよい。だけど、もし、根本の姿勢が歪んでいるなら、それをまず改めることが先決ではないか?
どの身体技法がいいかなどの対症療法を、すべていったん脇へおいて、まずは萎縮してない足で地面を踏んで立ち直せる姿勢になろう。
まずこれだ。
(この点で、パルテノン神殿のメインの場所にいる方々は全員、腰が立っている。立っている人も、坐っている人も、寝ている姿勢から起き上がろうとしている人も。)
ああだこうだをすべて脇へおき、萎縮してない足で地面を踏んで立ち上がること、常にここに立ち返ろう。
これが私の人生のすべてだ。
(2017年1月17日、アクロポリス(パルテノン神殿がある丘)の麓でこれを書く。)