卒業シーズンですね。
この春、学校を卒業したり、仕事や部署が変わる人も多いでしょう。
卒業式、追いコンの季節で、
別れと出会いは、感慨を起させますね。
今、私、大阪大学で非常勤講師をしていまして、
臨床心理学を学ぶ大学院生に、5回の講座を受け持っています。
昨日、その阪大の臨床心理教室の追いコンがありまして、私も行ってきました。
そこでの一こまを書きます。
大学院を終え、追い出される方の一人が、私のところに来て、言うには、
「お久しぶりです(11年ぶり)」とのことです。
11年前、ちょうど2000年の3月、私は京都大学の臨床心理学教室の助手を
していました。その3月で助手を辞め、一冊本を書いた後で
完全に出家することにしていました。
挨拶に来た阪大院生は、11年前、筑波大学の3回生から4回生に上がる学生で、
臨床心理学を学びたく、その進路や、どこの大学院がいいかの相談で、
茨城から京都まで来たとのことです。
そこで私は、次のようなことを言ったそうです。
「臨床心理の大学院もたくさんあるけど、
『本当に臨床をしている』という香(かおり)のする先生がいる大学院を
選んだほうがいい。」
「香」とか、そんなシャレた言葉、言ったのか、私は忘れてましたけど・・・
おそらく次のようなことを言ったのだろうと思います。
心理臨床も、いろいろな方法や学派があり、一つの学派や大学の中でも
様々なのですが、ともすると自分自身が臨床する現場で必死にやっていく
ことから、ちょっと離れてしまう場合もありがち。
大先生として、上の立場に立ったり、本を書いたりすることばかりに
エネルギー使っている場合もありがち。
現に苦しみもがきながら臨床の現場で人と会っているかは、
よーくその人を見れば感じとれると思うので、そのような香のする先生の
元で学んだ方がいい。
その筑波大から来た学生さんは、阪大の大学院を選び、そこで学び、
この春、卒業で、ある大学病院で働かれるとのことです。
昨日、追いコンに、私が出たのも、偶然ですし、
11年ぶりの思わず再開は、縁というものの不思議を思いました。
私の講座にも、追い出される学生さんも、けっこう出席していて、
4月から東北など遠くに行かれる方とも昨日話しました。
ここで出会っていなければ、一生出会う縁がなかったかもしれません。
どこでどのように人と出会い、どのような影響を残すか・・・、
これは自分でわかってる範囲を超えている、すごいことだと思います。
さりげない出会い、さりげない一言が、
思わぬ良い影響を与えたり、人を元気づけてたりすることもあるし、
逆に、人を傷つけていることもあるでしょう。
いつか再開して、関係を続けられることもあるし、
ずっと出会えない場合(死んでしまったり、生きていても会えない)もあります。
このようなことを思うに、その都度の出会いや縁を、本当に大切にして
いかないと、と思います。
このブログや、寺なのでの私の活動も、そのような不思議な縁の中に
あるものですし、いろいろと出会いをつむぐものになればと願っています。
●関連する記事
坐禅会・シャリースでの縁
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この春、学校を卒業したり、仕事や部署が変わる人も多いでしょう。
卒業式、追いコンの季節で、
別れと出会いは、感慨を起させますね。
今、私、大阪大学で非常勤講師をしていまして、
臨床心理学を学ぶ大学院生に、5回の講座を受け持っています。
昨日、その阪大の臨床心理教室の追いコンがありまして、私も行ってきました。
そこでの一こまを書きます。
大学院を終え、追い出される方の一人が、私のところに来て、言うには、
「お久しぶりです(11年ぶり)」とのことです。
11年前、ちょうど2000年の3月、私は京都大学の臨床心理学教室の助手を
していました。その3月で助手を辞め、一冊本を書いた後で
完全に出家することにしていました。
挨拶に来た阪大院生は、11年前、筑波大学の3回生から4回生に上がる学生で、
臨床心理学を学びたく、その進路や、どこの大学院がいいかの相談で、
茨城から京都まで来たとのことです。
そこで私は、次のようなことを言ったそうです。
「臨床心理の大学院もたくさんあるけど、
『本当に臨床をしている』という香(かおり)のする先生がいる大学院を
選んだほうがいい。」
「香」とか、そんなシャレた言葉、言ったのか、私は忘れてましたけど・・・
おそらく次のようなことを言ったのだろうと思います。
心理臨床も、いろいろな方法や学派があり、一つの学派や大学の中でも
様々なのですが、ともすると自分自身が臨床する現場で必死にやっていく
ことから、ちょっと離れてしまう場合もありがち。
大先生として、上の立場に立ったり、本を書いたりすることばかりに
エネルギー使っている場合もありがち。
現に苦しみもがきながら臨床の現場で人と会っているかは、
よーくその人を見れば感じとれると思うので、そのような香のする先生の
元で学んだ方がいい。
その筑波大から来た学生さんは、阪大の大学院を選び、そこで学び、
この春、卒業で、ある大学病院で働かれるとのことです。
昨日、追いコンに、私が出たのも、偶然ですし、
11年ぶりの思わず再開は、縁というものの不思議を思いました。
私の講座にも、追い出される学生さんも、けっこう出席していて、
4月から東北など遠くに行かれる方とも昨日話しました。
ここで出会っていなければ、一生出会う縁がなかったかもしれません。
どこでどのように人と出会い、どのような影響を残すか・・・、
これは自分でわかってる範囲を超えている、すごいことだと思います。
さりげない出会い、さりげない一言が、
思わぬ良い影響を与えたり、人を元気づけてたりすることもあるし、
逆に、人を傷つけていることもあるでしょう。
いつか再開して、関係を続けられることもあるし、
ずっと出会えない場合(死んでしまったり、生きていても会えない)もあります。
このようなことを思うに、その都度の出会いや縁を、本当に大切にして
いかないと、と思います。
このブログや、寺なのでの私の活動も、そのような不思議な縁の中に
あるものですし、いろいろと出会いをつむぐものになればと願っています。
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