ともかくも あなたまかせの 年の暮れ
小林一茶が、自分の子どもや妻を失うという悲しみの中、生活も困窮する中、
この俳句をよんだことを前回書きました。
その句に、私が大学時代、家庭教師をしているときに、
子ども向けの漫画で知ったことも記しました。
実は、そのカテキョー先にあった、別の漫画でも、繰り返し涙を流し、
感激し、「なぜ、こんなに自分は心を動かされるのだろう?」と不思議に思った
経験がありますので、それを記します。
親鸞上人(しんらんしょうにん)の話です。
親鸞上人は、師の法然上人と共に、既成の仏教集団などから迫害を受けます。
法然上人は四国に流され、親鸞上人は、越後に流され、さらに茨城に行きます。
法然上人の弟子の数人は、京都の六条河原で、磔の死刑になっています。
大地震は「天災」で、人間の力を超えたものですが、
妬みや憎しみ権威欲などから来る迫害は、「人災」と言えるでしょう。
人災の被害も、すさまじいものがあります。
(電車のホームで無差別殺人が起こったり、戦争や原爆なども含めて。)
天災や人災が、いつやってくるかわからないで生きているのが、
私たちの現実だと思います。
天災や人災が、いつ起こるともわからない中で、
あるいは起こってしまった中で、いかに生きていくのか?
この点でも、法然上人や親鸞上人から、大事なことを学んでいけると思います。
さて、親鸞上人は越後に流された後、茨城に行き、そこで20年近く暮らします。
そこで、「ただ念仏して阿弥陀仏に救われる」という、単純な教えを伝え、
それが広まっていきます。
親鸞上人は、茨城で20年近く住んだ後、最晩年は、京都に戻ります。
すると、親鸞上人のいなくなった茨城の信者さんらの元に、
迫害や惑わすようなことが次々と起こります。
ある大きな仏教集団などが、
「念仏すると、浄土に行くのでなく、地獄に落ちるだけだ」と
言って、信者を惑わします。
茨城の信者の間に迷いが起きます。
「親鸞上人は、念仏すると浄土に行くと言ったが、
それは嘘・気休めで、念仏しても地獄に行くだけだ、と大勢の人が言っている。
いったい本当はどうなのだろう?」
この疑問が大きくなり、茨城の信者のうちの代表が、京都まで向います。
私が読んだ漫画では、山を越える際、崖から落ちそうになる様子、
強盗に襲われる様子が描かれていました。
現代のように新幹線で2時間ちょっとで楽に行けるのと全然違いますから、
たいへんな旅だったでしょう。
そして、ついに親鸞上人のもとに着き、さきほどの疑問を、
親鸞上人にぶつけます。
本当に深く疑問に思い、本当に真剣に質問したのです。
それに対して、親鸞上人は・・・
私が読んだ漫画では、ただ無言で念仏しているだけでした・・・
親鸞上人は、本当にギリギリの態度、これ以外に何もできないという
本当に真剣さで、茨城からはるばる来た信者さんに向いあっていました。
茨城からやってきた信者さんらも、本当に真剣にギリギリの質問をぶつけたのです。
私は、この親鸞上人の姿を見て、本当に感激しました。
自分でもよくわからないのですが、繰り返し、感激し、
「(親鸞上人の態度も、自分の心の感激も)いったいこれはどういうことなのだろう?」
と思いました。
この疑問は今にそのまま続いています。
漫画の後ろに解説があり、そこに、親鸞上人がそこで語った言葉が
載っていました。この言葉も、本当にすごいものです。
それは次回、書きます。
●この前の文章
大地震から思うこと(3)――大切な人を失った悲しみ
●この後の文章
大地震から思うこと(5)続き(親鸞上人)
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この俳句をよんだことを前回書きました。
その句に、私が大学時代、家庭教師をしているときに、
子ども向けの漫画で知ったことも記しました。
実は、そのカテキョー先にあった、別の漫画でも、繰り返し涙を流し、
感激し、「なぜ、こんなに自分は心を動かされるのだろう?」と不思議に思った
経験がありますので、それを記します。
親鸞上人(しんらんしょうにん)の話です。
親鸞上人は、師の法然上人と共に、既成の仏教集団などから迫害を受けます。
法然上人は四国に流され、親鸞上人は、越後に流され、さらに茨城に行きます。
法然上人の弟子の数人は、京都の六条河原で、磔の死刑になっています。
大地震は「天災」で、人間の力を超えたものですが、
妬みや憎しみ権威欲などから来る迫害は、「人災」と言えるでしょう。
人災の被害も、すさまじいものがあります。
(電車のホームで無差別殺人が起こったり、戦争や原爆なども含めて。)
天災や人災が、いつやってくるかわからないで生きているのが、
私たちの現実だと思います。
天災や人災が、いつ起こるともわからない中で、
あるいは起こってしまった中で、いかに生きていくのか?
この点でも、法然上人や親鸞上人から、大事なことを学んでいけると思います。
さて、親鸞上人は越後に流された後、茨城に行き、そこで20年近く暮らします。
そこで、「ただ念仏して阿弥陀仏に救われる」という、単純な教えを伝え、
それが広まっていきます。
親鸞上人は、茨城で20年近く住んだ後、最晩年は、京都に戻ります。
すると、親鸞上人のいなくなった茨城の信者さんらの元に、
迫害や惑わすようなことが次々と起こります。
ある大きな仏教集団などが、
「念仏すると、浄土に行くのでなく、地獄に落ちるだけだ」と
言って、信者を惑わします。
茨城の信者の間に迷いが起きます。
「親鸞上人は、念仏すると浄土に行くと言ったが、
それは嘘・気休めで、念仏しても地獄に行くだけだ、と大勢の人が言っている。
いったい本当はどうなのだろう?」
この疑問が大きくなり、茨城の信者のうちの代表が、京都まで向います。
私が読んだ漫画では、山を越える際、崖から落ちそうになる様子、
強盗に襲われる様子が描かれていました。
現代のように新幹線で2時間ちょっとで楽に行けるのと全然違いますから、
たいへんな旅だったでしょう。
そして、ついに親鸞上人のもとに着き、さきほどの疑問を、
親鸞上人にぶつけます。
本当に深く疑問に思い、本当に真剣に質問したのです。
それに対して、親鸞上人は・・・
私が読んだ漫画では、ただ無言で念仏しているだけでした・・・
親鸞上人は、本当にギリギリの態度、これ以外に何もできないという
本当に真剣さで、茨城からはるばる来た信者さんに向いあっていました。
茨城からやってきた信者さんらも、本当に真剣にギリギリの質問をぶつけたのです。
私は、この親鸞上人の姿を見て、本当に感激しました。
自分でもよくわからないのですが、繰り返し、感激し、
「(親鸞上人の態度も、自分の心の感激も)いったいこれはどういうことなのだろう?」
と思いました。
この疑問は今にそのまま続いています。
漫画の後ろに解説があり、そこに、親鸞上人がそこで語った言葉が
載っていました。この言葉も、本当にすごいものです。
それは次回、書きます。
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大地震から思うこと(3)――大切な人を失った悲しみ
●この後の文章
大地震から思うこと(5)続き(親鸞上人)
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