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生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

大地震から思うこと(4) 続き(親鸞上人の姿勢)

2011年03月16日 | 思ったことなど
 ともかくも あなたまかせの 年の暮れ
小林一茶が、自分の子どもや妻を失うという悲しみの中、生活も困窮する中、

この俳句をよんだことを前回書きました。


 その句に、私が大学時代、家庭教師をしているときに、
子ども向けの漫画で知ったことも記しました。
 実は、そのカテキョー先にあった、別の漫画でも、繰り返し涙を流し、
感激し、「なぜ、こんなに自分は心を動かされるのだろう?」と不思議に思った
経験がありますので、それを記します。

 親鸞上人(しんらんしょうにん)の話です。
親鸞上人は、師の法然上人と共に、既成の仏教集団などから迫害を受けます。
法然上人は四国に流され、親鸞上人は、越後に流され、さらに茨城に行きます。
法然上人の弟子の数人は、京都の六条河原で、磔の死刑になっています。

 大地震は「天災」で、人間の力を超えたものですが、
妬みや憎しみ権威欲などから来る迫害は、「人災」と言えるでしょう。
人災の被害も、すさまじいものがあります。
(電車のホームで無差別殺人が起こったり、戦争や原爆なども含めて。)

 天災や人災が、いつやってくるかわからないで生きているのが、
私たちの現実だと思います。
 天災や人災が、いつ起こるともわからない中で、
あるいは起こってしまった中で、いかに生きていくのか?
 この点でも、法然上人や親鸞上人から、大事なことを学んでいけると思います。


 さて、親鸞上人は越後に流された後、茨城に行き、そこで20年近く暮らします。
そこで、「ただ念仏して阿弥陀仏に救われる」という、単純な教えを伝え、
それが広まっていきます。
 親鸞上人は、茨城で20年近く住んだ後、最晩年は、京都に戻ります。

 すると、親鸞上人のいなくなった茨城の信者さんらの元に、
迫害や惑わすようなことが次々と起こります。
 ある大きな仏教集団などが、
「念仏すると、浄土に行くのでなく、地獄に落ちるだけだ」と
言って、信者を惑わします。
 茨城の信者の間に迷いが起きます。
「親鸞上人は、念仏すると浄土に行くと言ったが、
それは嘘・気休めで、念仏しても地獄に行くだけだ、と大勢の人が言っている。
いったい本当はどうなのだろう?」
 この疑問が大きくなり、茨城の信者のうちの代表が、京都まで向います。

 私が読んだ漫画では、山を越える際、崖から落ちそうになる様子、
強盗に襲われる様子が描かれていました。
 現代のように新幹線で2時間ちょっとで楽に行けるのと全然違いますから、
たいへんな旅だったでしょう。

 そして、ついに親鸞上人のもとに着き、さきほどの疑問を、
親鸞上人にぶつけます。
 本当に深く疑問に思い、本当に真剣に質問したのです。

 それに対して、親鸞上人は・・・
私が読んだ漫画では、ただ無言で念仏しているだけでした・・・

 親鸞上人は、本当にギリギリの態度、これ以外に何もできないという
本当に真剣さで、茨城からはるばる来た信者さんに向いあっていました。
茨城からやってきた信者さんらも、本当に真剣にギリギリの質問をぶつけたのです。

 私は、この親鸞上人の姿を見て、本当に感激しました。
自分でもよくわからないのですが、繰り返し、感激し、
「(親鸞上人の態度も、自分の心の感激も)いったいこれはどういうことなのだろう?」
と思いました。
 この疑問は今にそのまま続いています。

 漫画の後ろに解説があり、そこに、親鸞上人がそこで語った言葉が
載っていました。この言葉も、本当にすごいものです。

それは次回、書きます。



●この前の文章
 大地震から思うこと(3)――大切な人を失った悲しみ
●この後の文章
 大地震から思うこと(5)続き(親鸞上人) 

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大地震から思うこと(3)――大切な人を失った悲しみ

2011年03月14日 | 思ったことなど
 今回の大地震で、1万人以上の方が亡くなられたり、行方不明となっている
ことを聞くと、本当に心が痛み入ります。

 このような非常事態において、被災者の救助や援助、復興に力を尽くす
ことが、一番大事な切迫したことであるのは疑う余地がないと思います。

 それと共に大事なことは、
家族をはじめ自分にとっ最もて大切な人を失ってしまった人、
家や仕事をはじめ自分にとって大切なものを失ってしまった人、
その人たちが、喪失の悲しみの中で、どのように生きていけるのか、
という問題だと思います。

 これと関連して、私が宗教の道に進むきっかけとなった思いの一つを
書きます。
 大学時代、小学2年生の男の子の家庭教師をしていた時、
その子の部屋に、小林一茶をとりあげた漫画があり、
それをパラット読んだりしました。
 その中で、一茶が、とても辛い人生を歩んだことが描かれていました。
兄弟からじゃけんにされ、当時としては高齢になってから一茶は結婚しますが、
数人の子どもに恵まれましたが、その子どもたちも幼くして亡くなっていき、
奥さんも、乳飲み子を残して、亡くなっていきます。
 その中で、一茶は、乳飲み子のお乳をもらうために苦労したり、
生活をしていく大変さと共に、子どもや妻を失った悲しみの中で生きていました。
 一茶は俳人ですから、その中でも、俳句をつくりますが、
いくつか紹介します。

 露の世は 露の世ながら さりながら
(つゆのように儚い世、誰でもいつ死ぬかわからない儚いものだと聞いているし、
そうわかってはいるけれど、それでも・・・)

 明月や 盆に這いよる 子があらば
(お盆をそなえ、秋の明月を見ている。あの子が死なずに生きていたら、
このお盆に這いよってきただろうに・・・)

 このような子どもや妻を失った悲しみの中で、最後に一茶は次の句をよみます。

 ともかくも あなたまかせの 年の暮れ

 私は、この句に、はじめて接した時、思わず泣けてきました。
 「いろいろ愚痴もあるだろうし、いろいろな思いがあるだろうに、
ここでどうしてこのような言葉が出てくるのだろう?」
このように思い、自分でもよくわからないままに、激しく心を動かされました。

 その感動や涙は、それ一回きりでなく、その後繰り返し、
家庭教師でその家に行くたびに、その漫画を見るのですが、
その度ごとに、新たに心を動かされ、涙を(教えてる子どもに見られるのも
恥ずかしいですから)隠していました。

 なぜ、繰り返し、これほど心を動かされるのか、
自分自身、よくわかっていないのです。
「これは一体どういうことなのだろう?」と思いました。

 どのような悲惨な境遇にあろうとも、
自分にとって一番大切な人を失うという人生最大の悲しみの中にあろうとも、
「人生で本当に大切なことがあるのでは?」と、
おぼろげに思い始めました。

 当時20歳くらいでしたが、あのころに体験した感動や疑問が、
その後の私の人生に、そのまま続いています。
その感動や疑問を追及することが、そのまま私の人生となっています。

 続きはまた次に書きます。

●関連する記事
 大地震から思うこと――自然の驚異
 大地震から思うこと(2)――生き残っている私

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大地震から思うこと(2)――生き残っている私

2011年03月13日 | 思ったことなど
 今回の大地震でも、ニュージーランドの大地震でも、
その場所に居合わせなかった人は、平然と生き残っていて、
たまたまその地に住んでいた人、たまたま居合わせた人が被災されてます。
  例えば、ニュージーランドで、語学学校で学んでいた生徒さんらは、
同じ建物、同じ教室に居合わせていて、地震で建物が崩れ落ち、
瓦礫の中に埋もれています。その中でも、
軽い怪我をしたくらいで生き残った人、重い怪我を負った人、そして
亡くなった人もいます。

 同じ境遇にいたとしても、ほんの紙一重の差で、死ぬか生きるかという
大きな違いがあるのは、なぜなのでしょう?
 どうして自分は生き残ったのだろう?
 どうして彼(彼女)は亡くなったんだろう?
 
 生き残った人は、このような問いが、
何度も心につきつけられるのではないでしょうか?

 私は大阪に住んでおり、平然と生き延びていますが、
もう40代に入っていますので、わりと親しかった友人の何人かを
亡くしています。交通事故、乳がん、白血病など。
 このような思うたびに、先ほどの問い――答えのない問い――が
心にひっかかります。

 漱石は、『硝子戸の中』というエッセイで、知人の葬儀に参列した後、
「私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。
多病な私は何故生き残っているのだろうかと疑ってみる。あの人は
どういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。」
と記しています。その後で、次のような人との対話を記しています。

  戦争に出た経験のある男に、
「そんなに隊のものが続々たおれるのを見ていながら、
自分だけは死なないと思っていられますか」と聞いたら、その人は
「いられますね。おおかた死ぬまでは死なないと思っているんでしょう」
と答えた。それから大学の理科に関係のある人に、飛行機の話を
聴かされた時に、こんな問答をした覚えもある。
「ああして始終落ちたり死んだりしたら、後から乗るものは怖いだろうね。
今度はおれの番だという気になりそうなものだが、そうでないかしら」
「ところがそうでないと見えます」
「何故」
「何故って、まるで反対の心理状態に支配されるようになるらしいのです。
やっぱりあいつは墜落して死んだが、おれは大丈夫だという気になる
と見えますね」

 漱石は、この対話を記した後、次のように述べています。
「私もおそらくこういう人の気分で、比較的平気にしていられるのだろう。
それもそのはずである。死ぬまでは誰しも生きているのだから。」

 漱石の記す通り、私自身も、そういう人の気分で、
わりあい平然と生きているのでしょう。
 「ありがたい」というのは、「ある(生きている)」のが難しい(可能性が低い)
ということでしょうが、実際に生きていると、「ある(生きている)」のが
当り前のことに思えてしまいますね。
そして、その「ありがたさ」を忘れて過ごしていることが多いと思います。

 漱石の引用に、「やっぱりあいつは墜落して死んだが、おれは大丈夫だ」
とありますが、
「やっぱり」と入るのが、人間らしいというか、
何とも言えないですね。このような心の動きは、死ぬまでなくならない
のかもしれません。
 なろうことなら、自分が現に生きていることの「ありがたさ」を思い、
その貴重な――いつ終わりがくるかわからない――時間を大切に、
精一杯生きていけたらと思います。

●関連する記事
 大地震から思うこと――自然の驚異
大地震から思うこと――大切な人を失った悲しみ
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大地震から思うこと――自然の驚異 

2011年03月12日 | 思ったことなど
 この三陸沖での大地震から思うこと、それはもちろん、
今、被災して苦しんでいる人が、一人でも多く助けられるように、
津波や原発など含め、被害ができるだけ少ないように、ということです。
 お祈り申し上げます。

 その上で、このブログのテーマと関連で、今回思ったことを、
綴っていきたいと思います。

 今回の大地震が起きたとき、私は、神戸にいました。
今日3月12日から3ヶ月間にわたり、神戸市立博物館で、
「大英博物館 古代ギリシャ展」が開かれますが、その前日の昨日、
3月11日(金)午後2時から、「内覧会」が開かれ、それに行ってきました。

 神戸・三ノ宮に下り立ち、まず思ったのは、阪神大震災のことです。
当時一番親しかった人が、神戸に住んでいて、震災後、電車が西ノ宮まで
復旧すると、すぐにそこへ向かいました。

 西ノ宮駅からひたすら歩いたのですが、その途中、崩れ落ちた家屋の下で、
助けを待っている方、死ぬかもという予感の中でわずかな息をしている方、
あるいは何かを思ったりする余裕もなく一瞬にして亡くなってしまった方などが、
現に道の両側にいることを思うと、やるせない思い、いたたまれない思いで
道を歩いたことは、決して忘れることはありません。

 また、一番の繁華街・三ノ宮から見た、あまりにも変わり果てた街並みに
呆然としたことも、脳裏に焼きついています。

 今回、三ノ宮から、博物館まで歩く途中も、そのようなことを思っていました。
そして内覧会の開会式が午後2時に始まり、30数分で開会式が終わり、
大地震が起こったのは、私は展示物を見始めった頃になります。(後で知りました。)

 このブログのテーマとの関連で一番強く思うこと、それは
 「自然の驚異」です。
 私たち人間は、「自然」を、かなりの程度征服したと思い込むようになって来て
いるように見うけられます。
 自然をコントロール、操作できると思う度合いが、人類が進化すればするほど、
科学・技術が発達すればするほど、強くなっています。

 地震や噴火など、自然の働きで、いくら科学が発達しても、
地震や噴火自体を止めることはできないだろうと思います。
(予知の精度は上がっていくと思いますが。)

  「自然というのは、お前ら人間が、コントロールできると思っているのを、
はるかに超えているんだ!」と叫んでいるかのように思えます。
 というより、自然自体に作為はないのでしょうが、人間が勝手に、
思い上がり、当り前だと思い込んでしまっている状態でいる中で、
時たま、自然のはたらきに驚かされ、
「思い込み」であった事実に気づかされるのでしょう。

 そして、「大英博物館」にある「古代ギリシャ彫刻」に、
私がメチャクチャ愕然としたのも、この「自然の驚異」ということでした。
これに関しては、また書きます。

●この記事の続き
 大地震から思うこと(2)――生き残っている私


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「柔軟」とは?

2011年03月11日 | 思ったことなど
 「柔軟」というと、みなさん、どのようなイメージをもっていますか?

 もちろん人によって様々だと思いますが、かなり多くの人は、
私自身も、かつて抱いていたイメージと同じようなものだと
思いますので、それを少し書きます。

 私は、小学校高学年から、中学にかけて、野球少年でした。
中学時代は、野球部で、ファーストを守り、3番を打ってました。
毎日、野球部の練習がありましたが、雨が降って、
グランドで練習できない日は、室内で「柔軟」でした。

 私だけでなく、他の部員も、グランドで練習するほうが好きで、
「柔軟」はイヤという人が多かったですね。

 「柔軟」というと、一番よくある基本の姿勢・動きは、
床にお尻をつけ、開脚し、上体を前傾する動きですね。
二人一組で、もう一人が後ろから背中を押したり・・・
 背中を押してる側も、「こいつ固いなー」って、だいたい思うし、
押される側も、「イテテ、イテテー」とか、「俺って固いなー」って、
思いしか残らない・・・

 これは私自身の思い出ですが、同じような人は、多いのではないでしょうか?

 中学を卒業した後も、何度か次のような経験をしました。
 例えば、テレビや本などで、
「体が柔らかいのは健康やスポーツにとって大事」とか、
「股関節が柔らかいことが大事」と、よく言われますね。
 「確かに、その通りだろうな」と思って、
「よし、今日から、柔軟(ストレッチ)をしよう!」と固く決意して、
風呂上がりや寝る前に、「柔軟」や「ストレッチ」を始めます。
 ですが、 「三日坊主」とは、よく言ったもので、たいがい3日前後でやめてしまう・・・

 これは私自身の経験ですが、同じような経験をされてる方も
多いのではないでしょうか。

 しかも、そのような経験を、コリもせず、何度か繰り返したり・・・
 そして結局、コリてしまい、「俺はどうせ固いんだ」「それで何が悪い!」
みたいに開き直り、固い体のまま、年老いていく・・・
このようなパターンの人も、けっこう多いのではないでしょうか。

 私自身も普通にしてたら、上のパターンを歩んでいたのですが、
仏教や禅・坐禅に、ひどくひかれ、
「お釈迦様のした坐禅とはどのようなものだったのだろう?」
「私自身も、せめて坐禅だけは、ちゃんとできるようになりたい!」と、
強く思って、長年、紆余曲折を経つつ、探求してきました。
 その過程で、悲惨な失敗もしてきました。
 「柔軟」を一生懸命にやり、その結果ギックリ腰になったり。
 坐禅を熱心に毎日、長時間やり、その結果、両膝を痛め、手術してます。
 いったい私は、何をしているのでしょう?

 このような悲惨な紆余曲折を経る中で、最初に書いたような「柔軟」とは、
全く次元の異なる「柔軟」が、見えてきました。
それは名づけようもないものなのですが、名前がないのも困りますし、
通常の「柔軟」とは、全く違った意味での柔軟ということで、強いて、
「禅的柔軟」と名づけました。

 「禅」と「柔軟」って、違うんじゃ? と思う人も多いかもしれませんが、
それは次に書きます。

 「禅的柔軟」のカテゴリーでは、普通にイメージする柔軟とは別次元の
柔軟に関して、探求し、綴っていきますので、お楽しみに。



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