goo blog サービス終了のお知らせ 

生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

本当に死ぬことを知ったら・・・

2011年03月24日 | 思ったことなど
 人間は、ある年頃になると、自分が死ぬことを知るようになります。
もちろん、正確にいつ死ぬか、どのように死ぬかはわかりませんが、
必ず死ぬことは知っています。

 では、例えば、死ぬことを知ったら、元気をなくし、
めげてしまうのか、というと、必ずしもそうではないと思います。

 小林一茶が、自分の子どもや妻を次々と亡くす中、
「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」とよんだことや、
法然上人や親鸞上人が、妬みなどからの迫害に合い、
四国や越後に流された中での生き様を、少し紹介しました。
 
 法然上人の言葉も紹介しましょう。

 いけらば念仏の功つもり、
死なば往生うたがわず。
 とてもかくても、この身には思い煩う事ぞなき
と心得て、ねんごろに念仏して畢命を期とせよ。

 ここに、生きるとか死ぬとかを超えた次元が、
切り開かれているように思えますが、いかがでしょうか。
 「とてもかくても この身には 思い煩う事ぞなき」
と言い切るところが、とても印象的です。
 もちろん、法然上人でも、死の恐れや、迫害された苦しみ、
弟子が死刑にされた悲しみなど、
たくさんの思い煩う事が、あったのは確かです。
これらがありながら、同時に、これらに煩わされない次元が
同時に開かれていたように思えます。

 しかも、これは、法然上人や親鸞上人が、
「天才だったから」「特別な人だったから」可能だった、
ということではないように思います。
 少なくとも、法然上人や親鸞上人は、誰にでも、つまりどんな
凡人でも悪人でも罪人でも、
必ず歩むことのできる平易なことだ、ということを、
繰り返し繰り返し、説いています。

 この誰にでも歩める平易な道があるということ、
ここに人生で一番尊く大事なことがあるように思います。
 これを探り、共に歩んでいきたいというのが、このブログの目的です。
次は、イエスの言葉を取り上げます。

●この前の文章
 大震災から思うこと(7)――生きる意志
 大震災から思うこと(5)――親鸞上人

よろしかったら、クリックお願いいたします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大震災から思うこと(7)――生きる意志(続き)

2011年03月23日 | 思ったことなど
 生きている限り、最期まであきらめないこと、
生きる意志が最後まであることの尊さに関して書きましたが、
これは、生きとし生けるものすべてが持ち合わせているもの
かも、と思います。

 これに関連して、私の知人からのメールを引用いたします。
 先日、「『頭でっかちの人』に語りかけるブッダ」という文章を載せましたが、
それに関連して、次のようなメールを頂きました。
20年の間、一緒に住んだ飼猫が亡くされた方のメールです。

 「わかったようなつもりについて」、感じたことは
先日、自宅の老猫が亡くなった時から、何だろうかと
考えていたことなのですが、
猫は亡くなる直前まで、水飲み場によたよたと歩いていきました。
途中でへたりこんでしまっていても、
とにかく、水をのむために起き上がって、よたよた、ふらふらと歩きました。
そしてその、20分後にはこと切れていました。
悲しい別れなのですが、一面なにやら、とてもあっさりしていて、
潔さみたいな感覚を覚えました。

こんな風には、なかなか逝けないのではないかと、
これはなんだろと思っていました。

もしかして老猫は自分が死ぬかもとは、
知らなかったのからかなぁと思います。

 猫の最期までの、潔さみたいなものは、とても印象的です。
 私も、例えば、ライオンの番組を見て、すごい印象に残っていることがあります。
怪我をした子どもライオンが、必死で、群れについていく様子とか。
彼の兄弟ライオンたちも、できる限りの手助けはしています。
(段差を登るときに、体で押してあげるとか。)
周りの助けを受けながらも、やっぱり、当人というか、
当のライオンが頑張るしかない(のは人間も同じですね)。
懸命に足を引きずって、最期までついていく気迫。
 その子ライオンは、結局は、仲間についていけず、
死んでいくのですが、それでも死ぬまで、
その目は、死んでいません。
最期まで生きる気迫にあふれた目をしています。

 私は、そのライオンの生き様に、単に感動していたのですが、
> もしかして老猫は自分が死ぬかもとは、知らなかったのからかなぁと思います。
と言われてみると、確かにそうだなと思います。

 ただ、では「死ぬのを知る」=「生きる希望をあきらめる」となるかというと、
単純にイコールではないですね。
「死ぬのを知った上での潔さ」という例も現にあるわけですし。
 この問題を次に考えてみたいと思います。


●関連する文章
 大震災から思うこと(5)――親鸞上人
 大震災から思うこと(6)――生きる意志


よろしかったら、クリックお願いいたします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村
人気ブログランキングへ


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大震災から思うこと(6)――生きる意志(最期まで)

2011年03月22日 | 思ったことなど
 一昨日になりますが、大震災から丸9日もたったにもかかわらず、
80歳のおばあさんと16歳の高校生(孫)が、救出されました。
一人でも命が助かることは、本当にありがたいことです。
感銘を受けましたし、勇気づけられもしました。

 実は、その2,3日前に、知人と話していた時、
震災から1週間たち、天気予報では明け方に氷点下になるだろうし、
雪が降るというのを聞いて、
「今、瓦礫の下などで、わずかな息をしている人たちも、
この氷点下と雪を、生き延びるのは、難しいのでは・・・」
というようなことを話していました。
 申し訳ないことです。

 助け出されたおばあさんとお孫さんは、
「最後まであきらめなかった」と言っていました。

 どのような状況であろうとも、生きている限り、最期まで、
生きようとする意志がみなぎっていること、あきらめないこと、
このことは本当に尊いことだと思います。

●関連する文章
 大震災から思うこと(5)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もし明日命が終わるとすれば・・・

2011年03月18日 | 思ったことなど
「もし明日命が終わるとすれば、先生は何をしたいですか?」と、
ある方から問われましたので、このブログでも、
それに応えてみたいと思います。

 もちろん、その都度の自分や状況や、周りの状況の中で生きているので、
自分や周りの状況次第で、「何をしたいか」も、変わってくるでしょう。
ですが、どのような状況にあろうとも、
「ここで自分は何をしていこうか」と考え模索さながら生きていく、
という基本の姿勢は、仮に明日死のうとも、何も変わらないと思います。

 以前、どこかで北野たけしの言葉を読んで、
「私も全く同感だし、私も死ぬまでこのようにありたい!」と思った言葉が
あるのでご紹介します。

 ただ生きてるんじゃなくて、何かこう、やりたい、やるべきものを
死ぬまで努力だけはしているかたちだけは取りたいね。

 仮に、がんを宣告されて、3日後か、1週間後に、あんた死ぬよって言われても、
下手すると、毎日家でタップダンス踊ってるだけだと思う。

 世界中のうまいもの食って世界一周旅行くらいしてきなよって言うヤツが
いるかもしれないけど、そんなバカなことは絶対にしない。

 今までどおり、ピアノのレッスンして、タップ踊って、ネタ考えて
コテッていけばいいのであって。
その生活パターンを絶対に崩さないよね。

 私も、明日とか、1週間後とかに死ぬとなっても、
自分が、やろうと思ったこと、やるべきだと思ったことを、
死ぬまで、その都度の自分で、できる限りのことを、していきたいです。

 今、仮に、私が、3日後か1週間後に死ぬと宣告されたとしたら:
 もちろん、約束していたことのキャンセルを伝えたり、身辺整理は、
当然ですが、それ以外に、何をするでしょう?
思いつくままに、下に箇条書きにしてみます。

・手紙やメールで、家族や友人たちと連絡を取り合い、やりとりしますし、
 ぜひ会っておきたい人と会えるよう努力するでしょう。

・坐禅をします。
 一人でもしますし、共に行ずる人がいてくれるなら、その人たちと一緒にもします。

・ブッダの言葉を読みます。
 一人でも読みますし、あるいは共にブッダの言葉を学びたい人がいるなら、
 共に読み学んでいきます。

・「ブッダの言葉」や身体のことに関して、どうしても伝えておきたいことが
 ありますので、それを本の形にしたいと努力するでしょう。

・本にならなくとも、人に伝えたいと思うことを、ブログでも書くでしょう。

・現在行なっている坐禅会や講習会などの準備もするでしょう。

 これら全部はできないでしょうから、限られた命の中で、
どこからどうやっていこうか、その都度考えてやっていくでしょう。
 
 今、書いたように
「限りある命の中で、自分や周りの状況の中で、
その都度判断をして、できる限りのことをやっていく」
という基本の姿勢自体は、明日死のうとも、数十年後に死のうとも、
変わらないと思います。

 実際、私たちは誰でも、いつか死ぬことはわかっていますが、
それがいつかは本当のところは誰にもわかりません。
 この先、1日しかないか、50年命があるか、全然わかりませんが、
いずれにせよ、限られた命の中で、
自分がやろうと思ったこと、やるべきだと思ったことを、
命ある限り、努力している形だけは取りたいとおもいます。


ブログを応援して、次をクリックしてくださるとありがたいです。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

人気ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大地震から思うこと(5) 続き(親鸞上人)

2011年03月17日 | 思ったことなど
 親鸞上人が、真剣この上ないギリギリの質問に、いかに真剣な姿勢で
応じたかに、私が感動したことを、前回書きました。
 人生で一番大事な質問を、はるか茨城から、盗賊の難や苦労を乗り越え、
京都まで歩きとおし、ギリギリの質問を投げかけ、
それに対して、親鸞上人が、本当にギリギリの誠実さで応えた、
そのこと自体に私は感動したのだと思います。

 そのギリギリの質問とは、
「念仏をしても地獄に落ちる業になるだけだと、他の人たちから言われているけど、
本当に念仏することは浄土に行く種になるのですか?」

 これに対して、親鸞上人は、次のように、答えています。
「総じてもて存知せざるなり」(全く知らない。)


 何というすごい言葉、出会い、ギリギリの対話でしょうか。

 当時、20歳くらいだった私は、カテキョー先で、これが記された漫画を読み、
繰り返し感激していました。自分でも、よくわからないながら、ここにものすごい
大切なことがあることは確信しました。
 親鸞上人と、茨城から上ってきた信者たちとの、
このような出会い、ギリギリのやりとり、言葉の中に、
この世で最も大事で尊いものがあるのではないでしょうか。

 茨城の信者さんらは、当時、迫害を受けたようです。
親鸞上人が、迫害を受け、京都をを追い出され、新潟から茨城まで来たわけですし、
その師の法然上人も迫害で四国に流され、死刑にされた弟子がでたほどの迫害
が当時あったのです。
法然・親鸞上人が生きていた当時の京都で、ひどい天災もあり、
町に死骸があふれていた時期もありました。
  
 もちろん、天災や人災は、とても辛いことですが、
いかなる天災や人災が起ころうとも、ここで取り上げたような、
法然上人と親鸞上人との出会い、あるいは親鸞上人と信者たちとの出会い、
やりとり、信頼感、これらがあるところ、
そこには、本当に尊い大切な何かが、息づいているのではないでしょうか。

 親鸞上人の教えをくむ、一茶の句、
「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」
に接して、繰り返し感動したことを述べましたが、
親鸞上人の言葉や態度に接して、
「どうして、ここでこのような言葉が出てくるのだろう!?」という驚き、疑問は、
はるかに深いもので、その驚き・疑問は私のその後の人生で、
そのまま続いています。

 これと関連するイエスの言葉、そしてこれらを引用した西田幾多郎の言葉を
次回、取り上げます。

●この前の記事 大地震から思うこと(4)

ブログを応援して、次をクリックしてくださるとありがたいです。
人気ブログランキングへ

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする