人間は、ある年頃になると、自分が死ぬことを知るようになります。
もちろん、正確にいつ死ぬか、どのように死ぬかはわかりませんが、
必ず死ぬことは知っています。
では、例えば、死ぬことを知ったら、元気をなくし、
めげてしまうのか、というと、必ずしもそうではないと思います。
小林一茶が、自分の子どもや妻を次々と亡くす中、
「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」とよんだことや、
法然上人や親鸞上人が、妬みなどからの迫害に合い、
四国や越後に流された中での生き様を、少し紹介しました。
法然上人の言葉も紹介しましょう。
ここに、生きるとか死ぬとかを超えた次元が、
切り開かれているように思えますが、いかがでしょうか。
「とてもかくても この身には 思い煩う事ぞなき」
と言い切るところが、とても印象的です。
もちろん、法然上人でも、死の恐れや、迫害された苦しみ、
弟子が死刑にされた悲しみなど、
たくさんの思い煩う事が、あったのは確かです。
これらがありながら、同時に、これらに煩わされない次元が
同時に開かれていたように思えます。
しかも、これは、法然上人や親鸞上人が、
「天才だったから」「特別な人だったから」可能だった、
ということではないように思います。
少なくとも、法然上人や親鸞上人は、誰にでも、つまりどんな
凡人でも悪人でも罪人でも、
必ず歩むことのできる平易なことだ、ということを、
繰り返し繰り返し、説いています。
この誰にでも歩める平易な道があるということ、
ここに人生で一番尊く大事なことがあるように思います。
これを探り、共に歩んでいきたいというのが、このブログの目的です。
次は、イエスの言葉を取り上げます。
●この前の文章
大震災から思うこと(7)――生きる意志
大震災から思うこと(5)――親鸞上人
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もちろん、正確にいつ死ぬか、どのように死ぬかはわかりませんが、
必ず死ぬことは知っています。
では、例えば、死ぬことを知ったら、元気をなくし、
めげてしまうのか、というと、必ずしもそうではないと思います。
小林一茶が、自分の子どもや妻を次々と亡くす中、
「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」とよんだことや、
法然上人や親鸞上人が、妬みなどからの迫害に合い、
四国や越後に流された中での生き様を、少し紹介しました。
法然上人の言葉も紹介しましょう。
いけらば念仏の功つもり、 死なば往生うたがわず。 とてもかくても、この身には思い煩う事ぞなき と心得て、ねんごろに念仏して畢命を期とせよ。 |
ここに、生きるとか死ぬとかを超えた次元が、
切り開かれているように思えますが、いかがでしょうか。
「とてもかくても この身には 思い煩う事ぞなき」
と言い切るところが、とても印象的です。
もちろん、法然上人でも、死の恐れや、迫害された苦しみ、
弟子が死刑にされた悲しみなど、
たくさんの思い煩う事が、あったのは確かです。
これらがありながら、同時に、これらに煩わされない次元が
同時に開かれていたように思えます。
しかも、これは、法然上人や親鸞上人が、
「天才だったから」「特別な人だったから」可能だった、
ということではないように思います。
少なくとも、法然上人や親鸞上人は、誰にでも、つまりどんな
凡人でも悪人でも罪人でも、
必ず歩むことのできる平易なことだ、ということを、
繰り返し繰り返し、説いています。
この誰にでも歩める平易な道があるということ、
ここに人生で一番尊く大事なことがあるように思います。
これを探り、共に歩んでいきたいというのが、このブログの目的です。
次は、イエスの言葉を取り上げます。
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大震災から思うこと(7)――生きる意志
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