生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

大地震から思うこと(5) 続き(親鸞上人)

2011年03月17日 | 思ったことなど
 親鸞上人が、真剣この上ないギリギリの質問に、いかに真剣な姿勢で
応じたかに、私が感動したことを、前回書きました。
 人生で一番大事な質問を、はるか茨城から、盗賊の難や苦労を乗り越え、
京都まで歩きとおし、ギリギリの質問を投げかけ、
それに対して、親鸞上人が、本当にギリギリの誠実さで応えた、
そのこと自体に私は感動したのだと思います。

 そのギリギリの質問とは、
「念仏をしても地獄に落ちる業になるだけだと、他の人たちから言われているけど、
本当に念仏することは浄土に行く種になるのですか?」

 これに対して、親鸞上人は、次のように、答えています。
「総じてもて存知せざるなり」(全く知らない。)


 何というすごい言葉、出会い、ギリギリの対話でしょうか。

 当時、20歳くらいだった私は、カテキョー先で、これが記された漫画を読み、
繰り返し感激していました。自分でも、よくわからないながら、ここにものすごい
大切なことがあることは確信しました。
 親鸞上人と、茨城から上ってきた信者たちとの、
このような出会い、ギリギリのやりとり、言葉の中に、
この世で最も大事で尊いものがあるのではないでしょうか。

 茨城の信者さんらは、当時、迫害を受けたようです。
親鸞上人が、迫害を受け、京都をを追い出され、新潟から茨城まで来たわけですし、
その師の法然上人も迫害で四国に流され、死刑にされた弟子がでたほどの迫害
が当時あったのです。
法然・親鸞上人が生きていた当時の京都で、ひどい天災もあり、
町に死骸があふれていた時期もありました。
  
 もちろん、天災や人災は、とても辛いことですが、
いかなる天災や人災が起ころうとも、ここで取り上げたような、
法然上人と親鸞上人との出会い、あるいは親鸞上人と信者たちとの出会い、
やりとり、信頼感、これらがあるところ、
そこには、本当に尊い大切な何かが、息づいているのではないでしょうか。

 親鸞上人の教えをくむ、一茶の句、
「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」
に接して、繰り返し感動したことを述べましたが、
親鸞上人の言葉や態度に接して、
「どうして、ここでこのような言葉が出てくるのだろう!?」という驚き、疑問は、
はるかに深いもので、その驚き・疑問は私のその後の人生で、
そのまま続いています。

 これと関連するイエスの言葉、そしてこれらを引用した西田幾多郎の言葉を
次回、取り上げます。

●この前の記事 大地震から思うこと(4)

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