イエスの祈り「みこころのままに(あなたの欲することが成りますように)」を、
西田幾多郎が「宗教の極意」と述べ、
私自身も人生の極意と思っていることを述べました。
小林一茶の句「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」
も取り上げましたが、本当にただただ
「私の望むことでなく、あなたの望むことが」と祈るとき、
その時点で無限のものに開かれていますし、
そのような無限に開かれたことの安心みたいなものが
あるように思います。
一茶でも、妻を亡くしたり、可愛い我が子を続けて亡くしたり、
天や人への恨みつらみも、当然あったわけです。
イエスも、逆恨みや、理不尽な迫害の中殺されるわけですし、
その祈りの真っ最中に、弟子も居眠りしていますし(起きろと言っても!)、
神や人へ向って、言いたいことは山ほどあったでしょう。
「あなた」は、イエスでしたら、もちろん「神」ですし、
一茶でしたら、「阿弥陀仏」ですが、人間の思いをはるか絶するものへの
祈り――ここに、天災や人災の真っただ中でも、平凡な日常の中でも、
本当に大事なものがあるように思います。
もちろん、誰しも、「私」は、
「人のため」とか、「自分のため」「何々のため」などと、
さまざまなことを思い、判断したり、行動したりしているわけですが、
それはそれとして、「あなたの欲することが」と無限のものへ
開かれていること――ここに人生で一番大切な秘密が
あるように思います。
これを逆に言えば、人間は、自分の小さい頭だけで、限られたものだけを見て
判断や行動しがちなために、いろいろな問題への取り組みが
本末転倒したものになりがちなのだと思います。
これを具体的に、最近、大問題になっている大相撲の問題で
次に考えてみます。
●この次の文章 大相撲の八百長問題の元は?
●この前の文章
みこころのままに――人生の極意
西田幾多郎が「宗教の極意」と述べ、
私自身も人生の極意と思っていることを述べました。
小林一茶の句「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」
も取り上げましたが、本当にただただ
「私の望むことでなく、あなたの望むことが」と祈るとき、
その時点で無限のものに開かれていますし、
そのような無限に開かれたことの安心みたいなものが
あるように思います。
一茶でも、妻を亡くしたり、可愛い我が子を続けて亡くしたり、
天や人への恨みつらみも、当然あったわけです。
イエスも、逆恨みや、理不尽な迫害の中殺されるわけですし、
その祈りの真っ最中に、弟子も居眠りしていますし(起きろと言っても!)、
神や人へ向って、言いたいことは山ほどあったでしょう。
「あなた」は、イエスでしたら、もちろん「神」ですし、
一茶でしたら、「阿弥陀仏」ですが、人間の思いをはるか絶するものへの
祈り――ここに、天災や人災の真っただ中でも、平凡な日常の中でも、
本当に大事なものがあるように思います。
もちろん、誰しも、「私」は、
「人のため」とか、「自分のため」「何々のため」などと、
さまざまなことを思い、判断したり、行動したりしているわけですが、
それはそれとして、「あなたの欲することが」と無限のものへ
開かれていること――ここに人生で一番大切な秘密が
あるように思います。
これを逆に言えば、人間は、自分の小さい頭だけで、限られたものだけを見て
判断や行動しがちなために、いろいろな問題への取り組みが
本末転倒したものになりがちなのだと思います。
これを具体的に、最近、大問題になっている大相撲の問題で
次に考えてみます。
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みこころのままに――人生の極意