ハセガワのこの72の隼を名キットにしている最大の理由がここの分割ですこれがためにカウリングの絞りが表現されさらに機銃口もきっちりとモールド出来ているんですね。プロポーションもきれいで合いも問題ないです。
先日、AFVのサークルの例会に飛び込み参加した際、飛行機モデラーはなぜ汚しをしないんだ。エンジン吹かせばススが着き・・タイヤは一回転でもしようものなら土埃がつくでしょう・・・そっそうですよね・・って
少し納得して家に帰り・・改めて「隼」の写真を見たのですが・・・ なんと汚れている機体は皆無に近いんです。中国大陸の尾崎中尉機などはタイヤまで真っ黒に磨き込まれているんです。もちろん排気の汚れなどありません。よほど機付きの整備員が機体を磨き込んでいたのかがわかります。それに比べアメリカ軍の飛行機は汚いですね・・外観はどうでも動けばいい・・という合理精神なのでしょうか?・・・どの機体も汚いです。
飛行機の汚しということでいえば日本機に関しては塗料の剥げ以外の汚しについては極力おさえめにした方が良いと思います。もちろん終戦後の機体とか放棄機体とかは別ですが・・・
反対にアメリカの軍用機は思いっきり汚しをかけてかまわないのでは無いでしょうか?
日本の戦闘機は野外に駐機させるときは必ずエンジンにカバーをかけたそうです。鹵獲したP40はカバーなどかけなくてもOKなので驚いた。みたいな記事を読んだことがあります。
工業力の違いと言ってしまえばそれだけなんですが・・・・
少し納得して家に帰り・・改めて「隼」の写真を見たのですが・・・ なんと汚れている機体は皆無に近いんです。中国大陸の尾崎中尉機などはタイヤまで真っ黒に磨き込まれているんです。もちろん排気の汚れなどありません。よほど機付きの整備員が機体を磨き込んでいたのかがわかります。それに比べアメリカ軍の飛行機は汚いですね・・外観はどうでも動けばいい・・という合理精神なのでしょうか?・・・どの機体も汚いです。
飛行機の汚しということでいえば日本機に関しては塗料の剥げ以外の汚しについては極力おさえめにした方が良いと思います。もちろん終戦後の機体とか放棄機体とかは別ですが・・・
反対にアメリカの軍用機は思いっきり汚しをかけてかまわないのでは無いでしょうか?
日本の戦闘機は野外に駐機させるときは必ずエンジンにカバーをかけたそうです。鹵獲したP40はカバーなどかけなくてもOKなので驚いた。みたいな記事を読んだことがあります。
工業力の違いと言ってしまえばそれだけなんですが・・・・
不恰好だけど隼の主脚って完全に格納されないんですよね。どれくらいはみ出るか資料がないので勘でタイヤを削りました。それと主脚カバー・・隼の場合きちっと主翼下面と段差なくカバーされたかとなるとそうではなさそうな気がしています。アメリカが鹵獲した隼を飛ばしている写真に脚カバーが写っているんですがガタガタに写っています。
対向で撃ち合い・・衝突寸前で交錯する日米の撃墜王・・その刹那に敵と視線を交わす・・・敵意の中にライバルとしての敬意を込めて・・・見つめる・・・この「物語」の相手方はアメリカ第459戦闘飛行隊のウォルター・F・デューク大尉(デカール換えで発売されたハセガワのP38の箱絵の機体です・・通称ツインテールドラゴン)と決めているのですが・・・こちら側(日本側)の機体を何にしようか迷っています。
この作品はトライアングル(模型サークル)のサークル内コンペ「るーぷあんてな杯」用に作っているのですがその「るーぷあんてな杯」のお題が「カミナリ」だからP38は機体そのものが電光(ライトニング)でお題をクリアもう一機の方の今作っている隼をどの撃墜王の機体にするかということなんです。今日も午後いっぱいその事で色々本をあたっていました。・・・・が、さっぱり決められません。
「カミナリ」のお題にP38とあわせてダブルで乗っかるなら飛行第50戦隊(電光部隊)の中のエースを選ぶ手があります。しかしこの時期の50戦隊のエースのマークが判然としません。
もう一つの案が実際昭和19年6月6日ビルマ「メイクテーラ飛行場」の防空戦でディーク大尉と戦かった事が判っている隅野中尉の機体です。この日この「日米」のトップエースは二人とも未帰還となってしまいました。「物語」としてはこちらかなぁなどと考えてしまいます。
この作品はトライアングル(模型サークル)のサークル内コンペ「るーぷあんてな杯」用に作っているのですがその「るーぷあんてな杯」のお題が「カミナリ」だからP38は機体そのものが電光(ライトニング)でお題をクリアもう一機の方の今作っている隼をどの撃墜王の機体にするかということなんです。今日も午後いっぱいその事で色々本をあたっていました。・・・・が、さっぱり決められません。
「カミナリ」のお題にP38とあわせてダブルで乗っかるなら飛行第50戦隊(電光部隊)の中のエースを選ぶ手があります。しかしこの時期の50戦隊のエースのマークが判然としません。
もう一つの案が実際昭和19年6月6日ビルマ「メイクテーラ飛行場」の防空戦でディーク大尉と戦かった事が判っている隅野中尉の機体です。この日この「日米」のトップエースは二人とも未帰還となってしまいました。「物語」としてはこちらかなぁなどと考えてしまいます。
と言っても見た目変わらないですね10日ばかり前にもこの様な画像あった気がします。しかし、見てくださいエンジンクランクの先からきりっと起動軸が・・胴体側にモーターを固定して胴体をはり合わせました。軸線はぶれもせずきれいに回っています。一時接触不良が原因でモーターが回らないことがあったのですが各接触部を再度チェックすることでここまでの工作を無駄にすることは避けられました。よかったぁ
兆戦してるわけなんですが少しでもフォルムを崩さないで電動にするため真鍮パイプを胴体後部に埋め込み普段は手に持って遊べる。で、電動の際は真鍮パイプに電線を突っ込んで電通させる様にしようと思っています。いくらなんでも胴体後方から電線がたれてるなんてカッコ悪いですもんね。電動に関しては先週の土曜に横浜の東急ハンズに行っていっぱいその手の部材を買いこんで来ました。
5月の静岡合同展示会の出品作品について色々と考えています。今まで出展してきた経験から言うとどんなにすばらしい作品でも72だと目立つのはかなり難しいと言う事は言えそうです。しかしなにがしかの工夫をする事で注目を浴びる事も可能ではないかとも思っています。新鮮で独創的しかもサークル仲間にも迷惑をかけないコンパクトな展示・・そして思い入れたっぷりで楽しんで作ったことをアピールできる・・そんな展示にしてみたいですね。
模型を工夫するのではなく展示を工夫すると言うのがなんとも「私」らしいですかね・・・
模型を工夫するのではなく展示を工夫すると言うのがなんとも「私」らしいですかね・・・