Dishes Are Burning ~燃ゆる皿~

宇宙、そこは最後のフロンティア。UFO時代のときめき飛行、動くなよ、弾が外れるから。

最後から何度目かの握手

2015-01-18 23:52:12 | 日記
父の具合が悪いと病院から連絡があったのは先週の土曜日。
その時は何とか持ち直したものの、年明けに病院側から言われた「今後容態は週単位で悪くなる」という言葉がいよいよ現実になってきたようだ。

翌日の日曜日にまた様子を見に行くと、父は珍しく目を覚ましていた。
私が呼びかけると、頭を持ち上げて「ここはどこだろう?」とばかりに周りを見回している。
年が明けてからの父はすっかり体力が落ちて、身じろぎもできないような有様だったから、父のそんな様子を見るのは久しぶりの事だ。
手を握ると、力は弱くなったもののはっきりと握り返してくる。

「痛いね?」と聞くと、
「うん」。

もはや何を話しかけても「うん」しか言えなくなっていた父だが、その頃には声を出して返事する事すらなくなっていたので、少し驚いた。
そして、こんな事はもうこれが最後かも知れない、とも思った。

実際、その次の日からは見舞いに行っても父が目を開ける事はほとんどなくなった。
瞬間的に目を開ける事があっても、はっきりと何かを見る様子ではなかった。


また土曜日が来た。
夕方仕事を終えて見舞いに行くと、やはり父は目を閉じたままだった。
時々目を開けるが、呼吸が少し苦しげだ。
手を握ると指の芯から冷たく、相当に「生きる力」が失われてしまっているのが分かる。
両手で握って温めるが、なかなか温まらない。
睡眠に入りかけると父の呼吸は落ち着いて、安らかになった。
仕事の疲れのせいか、私もいつの間にか父の手を握ったまま眠ってしまった。

目が覚めるともう日が暮れて外は暗くなっている。
ずっと握っていたので、父の手はそれなりには温まっていたが、目は依然閉じられたままだった。
一日のうちには覚醒している時間もいくらかはあるのだろう。だが、その時間に私達家族が居合わせる機会はもうないかも知れない。



そして今日、日曜日。
先週と同じく、父は目を覚ましていた。
しかし先週とは違い、呼吸は苦しげで、痛みのせいなのか時々顔を歪める。
さすがにもう声を出して返事を返してくれる事は望めそうになかった。
素人目に見ても、到底あと何週間も保つようには見えず、一週間でここまで衰弱すると、正直見ているのも辛い。
布団を少しめくると、上着の袖に手を入れて手先を温める処置がされている。
その手をもぞもぞと動かすので、どこか痒いのかと思って袖から手を出してやると、

父は自分から私の手を握った。
しっかりと。
そしてじっと私を見た。
まるで何かを訴えようとするかのように。

涙が出ているのが自分でも分かった。
父が私の手を握ってくれるのは、もうこれが最後かも知れない。
私を見てくれるのはもうこれが最後かも…。



父の最期に備えてまだやらなければならない事が沢山ある。
だからそれまでは感傷に浸っている暇はない、
と言わねばならないはずなのだが。

…そんなに強かったら、こんなブログはやっていないさ。

悲しむには早い

2015-01-06 08:02:14 | 日記
明けましておめでとうございます。

…と言うには遅すぎるか。

思えば昨年末は前年以上の慌ただしさだったと感じる。
十二月以降は軒並み実労働時間が14時間を超える日々が続き(労基に入られたら即アウトだな…)、自宅にはただ風呂で汗を流して寝るためだけに帰るようなものだった。
休日も欠かさず父の見舞いに行ってたので、疲れが抜けないまま翌日また出勤…という毎日。
こんな辛い年末は今後もあるまい。精神的な意味でも…。



緩和ケア病棟に移って以来、父の体力の低下は着実ではあるが緩やかだった。
ひょっとしたら次の誕生日まで保つかも…と淡い期待もしていたが、十二月に入ってから見舞う度に父の容態が悪化し、下旬には遂に食事も摂れなくなってしまった。
年が明けて一月二日、母と、帰省中の姉と共に見舞いに行った。
治まっていた下血が二、三日前から再び始まったの事。

「会わせたい人がいるなら今のうちに会わせてあげて下さい」

時期は明言されなかったが、衰弱ぶりから推察すると二月までは保たないかも知れない。
その時は、父を亡くすという感傷より、これから備えるべき諸々の事が頭を占めた。
そして、これから起きるつまらぬ家族間の争いが私を憂鬱にする…。
何の財産もない家庭なのに、父親が亡くなって喧嘩とは、あまりに滑稽ではないか。

悲しむにはまだまだ早すぎるようだ。