Dishes Are Burning ~燃ゆる皿~

宇宙、そこは最後のフロンティア。UFO時代のときめき飛行、動くなよ、弾が外れるから。

懸想して候

2023-07-31 23:54:38 | 日記
今月上旬にネットを騒がせた(らしい)「熱愛宣言」について。
当該番組を視聴してなかったら興味も湧かないような「アイドルの熱愛発覚」の類ではあるが、
「おたく」をめぐる環境の変化について考えさせられる一件だったため、少しばかり妄言を書き連ねてみたい。



90年代中頃までの「おたく」とは社会的に少数派であり、世間からは変人の類と見なされていた。
「おたく」をもって自ら任じる者は、己の嗜好を貫くために周囲からの軽蔑や孤立・孤独に耐える事を強いられたし、
少なくとも若い女性が「私、おたくです」と名乗れるような物ではなかったのである。

そのようなマイノリティの象徴のようでもあった「おたく」趣味も2000年台以降漸進的に一般社会に浸透し、
今や若い女性がアニメの話題をしようと格別に変人扱いされる事もない。
高学歴高収入で彼氏彼女に困らない「リア充」がアニメを観る時代になった。それ自体は結構な事だと思う。

しかし、少数派であった頃の「おたく」には、各々には経済的格差があったとしても、その嗜好の特殊性の前では、
また世間が理解できない価値観を奉ずるという自負においては、誰もが平等であった。
だが「おたく」という嗜好が社会的に満ち足りた「普通の人々」の間に浸透していくのと引き換えに、
その平等性は世間的な格差主義によって侵食され、「勝ち組」と「負け組」に分化されていく。
最早「おたく」という単一の「種族」は存在せず、世間と同じようにただ格差があるだけだ。

にも関わらず、今日「おたく」という名称が「勝ち組」による搾取を覆い隠すための擬装としてしばしば用いられる。
何の屈託もなく人生を謳歌する人々が「非リア充」から収奪する方便に「おたく」を自称する様を思い浮かべると、
いかにも鼻白むばかりではないか。

そんな時代になお「おたく」として生きようとするならば、美味な餌の奥にある狡猾な罠を見抜く冷静さが必要だ。
無闇に「ない夢を与え、奪った。許せん!」と息巻くのは、些か覚悟が足りやしないか。
そう言うと「そりゃあんたの覚悟だろう」と一蹴されるのだろうが。




とは言え、「ヲタサーの姫」タイプに弱いのは何も「おたく」や「非リア充」に限らず、世の男性一般に共通する弱点に違いない。
黒髪ショート、切れ長の三白眼、聡明で仕事ができて、一見クールだけど喋るとほんわか癒し系…。
こういう人は誰にでもモテる。勿論、リア充にも。
…白状すると渦中の人の雰囲気は「あの人」にとてもよく似ているのだった。

まあ「あの人」はもっと綺麗だったけど。(若干脳内補正あり)