この稼業をやっていると、年末年始は単なる繁忙期の一つでしかなく、何かの節目という感覚はあまりない。
強いて言うなら、欠員によって例年以上の忙しさだったのが、どこか「特別な」感覚をもたらしていたような気はする。
先日、年末の掃除の折にホーナーのギターを処分した。
大学の頃、質屋から二万位で身請けした物だ。
ヘッドレスの格好良さに惹かれて買ったものの、その後二十年間チューニングすらまともにやった事はなく、弾いたのはこの一年の間だけだった。
購入当時からポットのガリは出ていたが、ネックの反りもなくフレットも結構残っていたし、コントロール類を交換すればまだ使える状態だったから、勿体ない話ではある。
ただ、VOXギターを手にしてからは使用頻度が低下していったし、私がスタインバーガーのファンか、あるいはギター改造マニアやコレクターでもない限り手元に残す意味はもうなかったのだ。
過去と決別したいという心情もいくらかは処分を後押ししたが、それはこのギターに何らかの想いが込められているからではなく、むしろその姿が自分の短慮さを象徴しているように思えたからかも知れない。
我ながら、いろいろと無駄にしている物が多い人生だ、と思う。
ギターだとか形ある物だけに留まらず、進学・就職もそうだし、今こうして浪費している時間もそうだろう。
そして人の心においてすら然り…。
来年こそは、とか書きたいが、きっと来年の今頃も同じ事を書いているよ。
間違いない(死語)。
強いて言うなら、欠員によって例年以上の忙しさだったのが、どこか「特別な」感覚をもたらしていたような気はする。
先日、年末の掃除の折にホーナーのギターを処分した。
大学の頃、質屋から二万位で身請けした物だ。
ヘッドレスの格好良さに惹かれて買ったものの、その後二十年間チューニングすらまともにやった事はなく、弾いたのはこの一年の間だけだった。
購入当時からポットのガリは出ていたが、ネックの反りもなくフレットも結構残っていたし、コントロール類を交換すればまだ使える状態だったから、勿体ない話ではある。
ただ、VOXギターを手にしてからは使用頻度が低下していったし、私がスタインバーガーのファンか、あるいはギター改造マニアやコレクターでもない限り手元に残す意味はもうなかったのだ。
過去と決別したいという心情もいくらかは処分を後押ししたが、それはこのギターに何らかの想いが込められているからではなく、むしろその姿が自分の短慮さを象徴しているように思えたからかも知れない。
我ながら、いろいろと無駄にしている物が多い人生だ、と思う。
ギターだとか形ある物だけに留まらず、進学・就職もそうだし、今こうして浪費している時間もそうだろう。
そして人の心においてすら然り…。
来年こそは、とか書きたいが、きっと来年の今頃も同じ事を書いているよ。
間違いない(死語)。