Dishes Are Burning ~燃ゆる皿~

宇宙、そこは最後のフロンティア。UFO時代のときめき飛行、動くなよ、弾が外れるから。

泣かねえよ

2023-12-31 23:58:07 | 日記
以前、「夏が長くなり、春と秋は短くなっている」という話を書いた事がある。

以来その傾向はずっと続いていて、遂に今年はTVのニュースでもその話題が取り上げられた。
気象の研究者曰く、「四季がなくなり『二季』化する」。
この研究者の主張がどれだけ学会の主流に沿っているかは定かでないが、ニュースのネタに使われる位なので、
「二季化」というのはどうやら私だけの妄想という訳でもなかったようだ。
ついでに言うと、今年のような暖冬の年が増えていく気がする。…と書いたら、寒くなったりして。



早期退職の募集期限が近づいているせいか、最近やけに上司の圧力を感じる。
年が明けたらもっと露骨に嫌がらせを受けるのは間違いない。
しかしパワハラ好きの人間は「分かりやすいパワハラ」などしないので、証拠を押さえるのは困難だ。
それにしても、赴任して来る管理職がこんなに碌でもない奴ばかりという営業所って他にある?と思う程だが、
管理職の出世コースから完全に外れた営業所となるともうそれこそ地の果てみたいな所だし、
またそうした所ならではの碌でもなさがあるのを、私は鹿児島で散々味わってきたのだった…。

「今いる場所があなたに相応しい場所」というが、なるほどパワハラ上司に付け入る隙を与えているようでは、
私もまだまだ未熟だという事なのだろう。
負けんぞ、これ位ではな!



仕事のみならず家庭的にも行き詰まった一年だった。
酒も随分と値上がりした。バランタイン12年も終売だし、もう安酒しか買えない(酒止めろよ!)
来年は何か少しでも打開できていればいいのだが。



最近某番組で始まった俳句コーナーに便乗して一句。


痛飲し 泣かぬとうそぶく 大晦日

ロング・グッドバイ

2023-10-27 11:14:11 | 日記
YouTubeで『狄仁傑之奪命天眼(邦題:王朝の陰謀 判事ディーと天空の塔)』を視聴する。
ひかりTVでも日本語字幕版が提供されていたはずだが、いつの間にか見当たらなくなっているので、
おそらく提供終了したのだろう。

中文字幕版の視聴でも大雑把には話が理解できるのが、こういうエンタメ映画の良い所。
近年様々な制作元と出演者で狄仁傑物の映画が作られているようだが、狄仁傑のキャラクターは概ね似通っているようだ。
武術の達人的な描かれ方はアンディ・ラウ辺りから始まったのかと思ってたけど、実際のところはどうなんだろうか。
日本でも大岡越前がチャンバラしてるのと同様に、昔からそういうものなのかも知れない。

ラストシーン、かつて想いを寄せ合った雲珠が残した書き置きを見つける狄仁傑。
そこに書かれた詩から、彼女がもう戻らない事を悟る。

朱弦断 明鏡缺

朝露晞 芳時歇

錦水湯湯 與君長訣


特に最後の一句が目を引いた。「君と長く訣(わか)れる」か…。

引用元がありそうだと思って調べると、漢代の卓文君による『訣別書』の一節であるらしい。
かつては蜜月を過ごした二人の関係も最早修復できず、永遠に別れることを決意する…といった内容である。
エンタメ映画といえど、さらりと古典を引用してくるセンスに文化の厚みを感じるといったら褒め過ぎか。

新しく何かを得るよりも、失ったり、諦めたりすることの方が多い年齢に自分が達したせいなのか、
こういう「結ばれている(いた)にも関わらず修復不能の関係性」というものに切なさを感じる。
そして、そうした局面で打てる手立てといえば、せいぜいがドラマと同じく物理的な距離だけであったりする。




ずっと弾かずに放置していた(のに)KORG M50が故障してしまった。

一応電源は入るが、次のような症状が出る。
・モード切り替え等、一切のボタン操作を受け付けない。タッチパネルも無反応。
・自照式の各種ボタンが一切点灯しない。
・鍵盤を弾くと音は出るが、1、2分ほどすると音が出なくなる。

ネットで調べると、必ず発生する同機特有の「持病」があるらしいが、具体的にはどんな内容なのかは分からない。
しかしそれよりも問題なのは、有料修理に出す程の思い入れが私にない、という事だったりする。
自分でも引いてしまう己れの薄情さよ…。
(弾いてないのに引いてしまうとはこれ如何に…)

考えようによっては、これが使わない機材を処分すべき、処分できるタイミングとも言える。
たとえチープなPCMシンセでも他では代え難い音色があったりするからこそ手放せずにいる訳だが、
そこに諦めをつけなければ機材は増える一方になってしまう。
若い時はそれでも良かったかも知れないが、私はもうそんな年齢ではなくなってしまった。
今こそ長いお別れをする時か。


オチはない。いつもないが。

懸想して候

2023-07-31 23:54:38 | 日記
今月上旬にネットを騒がせた(らしい)「熱愛宣言」について。
当該番組を視聴してなかったら興味も湧かないような「アイドルの熱愛発覚」の類ではあるが、
「おたく」をめぐる環境の変化について考えさせられる一件だったため、少しばかり妄言を書き連ねてみたい。



90年代中頃までの「おたく」とは社会的に少数派であり、世間からは変人の類と見なされていた。
「おたく」をもって自ら任じる者は、己の嗜好を貫くために周囲からの軽蔑や孤立・孤独に耐える事を強いられたし、
少なくとも若い女性が「私、おたくです」と名乗れるような物ではなかったのである。

そのようなマイノリティの象徴のようでもあった「おたく」趣味も2000年台以降漸進的に一般社会に浸透し、
今や若い女性がアニメの話題をしようと格別に変人扱いされる事もない。
高学歴高収入で彼氏彼女に困らない「リア充」がアニメを観る時代になった。それ自体は結構な事だと思う。

しかし、少数派であった頃の「おたく」には、各々には経済的格差があったとしても、その嗜好の特殊性の前では、
また世間が理解できない価値観を奉ずるという自負においては、誰もが平等であった。
だが「おたく」という嗜好が社会的に満ち足りた「普通の人々」の間に浸透していくのと引き換えに、
その平等性は世間的な格差主義によって侵食され、「勝ち組」と「負け組」に分化されていく。
最早「おたく」という単一の「種族」は存在せず、世間と同じようにただ格差があるだけだ。

にも関わらず、今日「おたく」という名称が「勝ち組」による搾取を覆い隠すための擬装としてしばしば用いられる。
何の屈託もなく人生を謳歌する人々が「非リア充」から収奪する方便に「おたく」を自称する様を思い浮かべると、
いかにも鼻白むばかりではないか。

そんな時代になお「おたく」として生きようとするならば、美味な餌の奥にある狡猾な罠を見抜く冷静さが必要だ。
無闇に「ない夢を与え、奪った。許せん!」と息巻くのは、些か覚悟が足りやしないか。
そう言うと「そりゃあんたの覚悟だろう」と一蹴されるのだろうが。




とは言え、「ヲタサーの姫」タイプに弱いのは何も「おたく」や「非リア充」に限らず、世の男性一般に共通する弱点に違いない。
黒髪ショート、切れ長の三白眼、聡明で仕事ができて、一見クールだけど喋るとほんわか癒し系…。
こういう人は誰にでもモテる。勿論、リア充にも。
…白状すると渦中の人の雰囲気は「あの人」にとてもよく似ているのだった。

まあ「あの人」はもっと綺麗だったけど。(若干脳内補正あり)



さらば友よ(Adieu l'ami)

2023-03-27 23:58:16 | 日記
……Yeah…

生きる辛さは酒に酔えば一時なりとも紛れるが、煙草を一度に20本吸ったら生きる辛さを忘れたなんて話は聞かない。
ストレスの多い現代社会、左様に酒こそは人々の友なのである(無理矢理感)。

であるのに、三月からの海外産ウィスキー値上げがスコッチ党赤貧派には何気に辛い。
「少し贅沢」気分で買えた12年クラスのブレンデッドがワンランク上のお値段になってしまって悲しいのだが、
シングルモルトに至っては、この二年程の間にじわじわ値上がりしていたのが、今回の値上がりですっかり高嶺の花である。
酒屋で「限定入荷!」のPOPを目にして「もうこの値段で買えることはないだろうな…」と無闇に飛びつく輩がいたとしても、
誰がそれを笑えようか。…ええ、私の事です。

おそらく、この先海外産ウィスキーが四、五年前の価格に戻ることはもうないのではなかろうか。
いや、二月までの水準に戻るかどうかさえも分からない。国際情勢次第では、更なる価格上昇もないとは言えまい。

もっとも、万事において「良かった時代に戻る」というのは幻想なのだろう。無論、人生においても。
人は「幸せだった頃に戻る」事を夢見るが、人は老い、病み、周りの景色も変わって行く。時計の針は戻すべくもない。
できるのは、今、幸せになろうとする事だけだ。

…なんかイイ事言った雰囲気にしてみました。



人事異動の時期だ。
数年一緒に働いた同僚が職場を去ることになった。
特別親しい訳ではなかったが、職場内で唯一、比較的理解を示してくれていたと思う。
この四面楚歌の環境ではそれだけでも感謝に値する存在だった。
新天地でのご活躍を願うばかりである。

私はまたしても完全孤立の状態に逆戻りだが、道は前にしかない。
先に何があろうと進むしかないのだ、各々の道を。


……Yeah!!

猿と残業と私

2022-12-31 22:52:13 | 日記
被害妄想丸出しの前回投稿から早一年、今年もこの季節がやって参りました。
毎年大晦日にのみ更新される、最早紅白かレコ大かというレベルである。

今年は春先から身辺を揺るがす出来事が続き、夏には遂に家を出て一人アパートでの生活となった。
それからも独り暮らしの気楽さ…というには程遠い、気を病む事のみの日々が続いている。
宿の立地は鬱蒼とした山林が間近に迫り、時折現れる野生の猿に心慰められる…いやいや猿とか怖いだろ。
気鬱のあまりブログの更新もままならないのである。前からずっとそうだが。


そんなこの一年、心の支えというか逃避先となったのは、年明けに開眼した伊福部昭の音楽であろうか。

アニメにかぶれていた中学生の頃、専門誌に載っていたキングレコードの広告で「伊福部昭」の名前を知った。
「ゴジラの音楽を作った作曲家」であり、『県立地球防衛軍』に登場する「伊福部あき子」の元ネタである事も…。
その後高校に入った頃FMで聴いた井上誠『ゴジラ伝説』が、最初に聴いた伊福部音楽という事になるだろうか。
編曲作品とはいえ、近代音楽的な響きはクラシックと無縁な田舎の少年にも「カッコいい!」と思わせるものがあった。
しかし舶来ロックにうつつを抜かす山奥の高校生にとって、往年の特撮映画の音楽は些か「守備範囲外」であり、
伊福部との接点もそれきりだった。

その後、伊福部昭が映画音楽を手掛けるだけでなく、芥川也寸志等著名な作曲家の師であったり、
『管絃楽法』という専門書(エッセイ等の類ではなく)の大著を物す純音楽の作曲家である…といった事を知る。
キース・エマーソンがヒナステラの音楽を遠回しに伊福部に例えてるのを読んでは「なるほど」等と解った気になった事もあったが、
依然私の中の認識は「伊福部=映画音楽」の域を出ないものだった。

10年程前にたまたま伊福部を取り上げるTV番組を観た時、何やらプログレみたいな曲が一瞬流れてきて、
「こんな曲も書いていたのだな」と興味を引かれたものの、当時は未知の音楽への探究心どころか音楽を聴く気力自体が減退していたため、
なおも伊福部の純音楽に触手を伸ばすには至らなかった。

それが変わったのは、ネットで観たエレクトーンの演奏動画がきっかけである。
女の子が四人で「リトミカ・オスティナータ」を弾いている、という内容だ。
長尺の曲を縮めるためにかなり端折られてはいるが、絵面も相まって強力なインパクトがあった。…何だこのプログレは!
最早私には俄か伊福部ファンになる以外の選択肢は残されていなかった…。
その頃は自分の生活もある意味で安定していて、音楽を受け入れる心の余裕があったという事だろう。
今やその音楽だけが心の支えなのだが…。


「心の支え」といえば、キース・エマーソンについて私が勝手に思っている事がある。
彼は伊福部を映画音楽の作曲家としては知っていても、純音楽作品までは聴いてなかったのでないだろうか。
実際はどうだったか知らない。だが「シンフォニア・タプカーラ 」を聴いた時、ふと思った。

「もしこれを聴いていたら、キースは死ななかったかも知れない」

こう言えば失笑する人もいるだろう。そもそも一流の演奏家の苦悩など凡人には解る筈もない。
ただ、キースが「リトミカ」や「タプカーラ 」をどう評するか聞いてみたかったと思うのは、私だけだろうか。



来年は酒を止めたい。
だが、それは「残業をなくしたい」というのと同じように、虚しく儚い夢なのである。(完)