<知と愛より>
我々が物を愛するというのは、
自己をすてて他に一致するの謂である。
自他合一、
その間一点の間隙なくして
始めて真の愛情が起こるのである。
我々が物を愛するというのは
自分が花と一致するのである。
月を愛するのは
月に一致するのである。
親が子となり子が親となり
ここに始めて親子の愛情が起こるのである。
親が子となるが故に
子の一利一害は
己の利害のように感ぜられ、
子が親となるが故に
親の一喜一憂は
己の一喜一憂の如くに感ぜられるのである。
我々が自己の私を棄てて
純客観的
即ち
無私となればなる程
愛は大きくなり深くなる。
親子夫妻の愛より
朋友の愛より
人類の愛にすすむ。
仏陀の愛は
禽獣草木にまでも及んだのである。
……西田幾多郎著『善の研究』より……
※(発行者:山口昭男・岩波文庫)※
TAZUKO多鶴子は
西田幾多郎の見事な上記文章の結論が
永遠に変わることのない
『真の美』と確信している。
我々が物を愛するというのは、
自己をすてて他に一致するの謂である。
自他合一、
その間一点の間隙なくして
始めて真の愛情が起こるのである。
我々が物を愛するというのは
自分が花と一致するのである。
月を愛するのは
月に一致するのである。
親が子となり子が親となり
ここに始めて親子の愛情が起こるのである。
親が子となるが故に
子の一利一害は
己の利害のように感ぜられ、
子が親となるが故に
親の一喜一憂は
己の一喜一憂の如くに感ぜられるのである。
我々が自己の私を棄てて
純客観的
即ち
無私となればなる程
愛は大きくなり深くなる。
親子夫妻の愛より
朋友の愛より
人類の愛にすすむ。
仏陀の愛は
禽獣草木にまでも及んだのである。
……西田幾多郎著『善の研究』より……
※(発行者:山口昭男・岩波文庫)※
TAZUKO多鶴子は
西田幾多郎の見事な上記文章の結論が
永遠に変わることのない
『真の美』と確信している。