速水融・小嶋美代子著『大正デモグラフィー歴史人口学で見た狭間の時代』
デモグラフィ(demography)とは、出生・死亡・移動などの人口統計、あるいは人口の研究を指す言葉。本書は速水融(はやみ・あきら、慶應義塾大学教授を経て麗澤大学教授)・小嶋美代子(こじま・みよこ、慶應義塾大学国際センター勤務)という二人の歴史人口学者の手による「大正時代と人口」のテーマを追ったユニークな本である。明治と昭和に挟まれた僅か十年余の期間。それが大正という時代だ。しかし、この時代には第一次世界大戦があり、それを期に行ったシベリア出兵(大正七年から十一年、日本人の死者数三五〇〇人)、スペイン風邪(大正七年から九年、日本人の死者数約三十九万人)、関東大震災(大正十二年、死者数約十四万三千人)と多数の人口が失われている。また、当時は結核による死亡者も多かった。特に劣悪な労働条件で働く紡績女工の中から結核による死亡者が多く出た。工場内に浮遊する塵埃。そして、ひとつの部屋に多数の女工が寝起きする寄宿舎生活。これらが、紡績女工のあいだに肺結核が蔓延した主な原因である。
本書の第六章(百二十ページから百四十ページ)では、スペイン・インフルエンザ(スペイン風邪)の流行を扱っている。昨年のSARS禍、そして今年の鳥インフルエンザの流行等で想起されるのがスペイン風邪。しかし、スペイン風邪について手軽読め、まとまった文献は入手しにくかった。そういう意味で本書の登場は時宜を得たものである。スペイン風邪が世界中で猛威を振るったのは一九一八年(大正七年)から一九二〇年(同九年)にかけてのこと。第一次世界大戦の終局時期、西部戦線で戦っていたドイツ軍がインフルエンザに襲われた。ドイツ軍だけではない。西部戦線に兵を送ったアメリカでもインフルエンザが猛威をふるい、アメリカ軍の死者約五万人のうち八〇%がインフルエンザによる死亡といわれている。インフルエンザはヨーロッパ各国に広がり、更にグローバル化する。このインフルエンザに“スペイン”の国名が冠された理由。それは、スペイン国王アルフォンソ十三世がインフルエンザのため病床に伏し、八百万人ものスペイン国民が罹患したからだという。世界中でいったい何人がスペイン風邪で死亡したのだろうか。このことについて著者たちは二千万人から四千五百万人の間と推計している(一二七ページ)。日本人の死者数約三十九万人とともに、これらの数字のあまりの大きさには驚いてしまう。本書は、スペイン風邪についての正しい認識の必要性をしみじみと感じさせてくれる参考資料だ。ちなみに、スペイン風邪が原因で死亡した人物として有名なのが島村抱月(一八七一-一九一八)。松井須磨子(一八八六-一九一九)は、翌年に島村抱月の後を追って自殺した。また、スペイン風邪を扱った文学作品としては武者小路実篤著『愛と死』がある。小説の主人公である村岡の恋人夏子は、スペイン風邪で死ぬ。村岡は、そのことをヨーロッパ(パリ)から船で帰国中、香港の近くで知る。
(二〇〇四年・文春新書・七二〇円+税)
デモグラフィ(demography)とは、出生・死亡・移動などの人口統計、あるいは人口の研究を指す言葉。本書は速水融(はやみ・あきら、慶應義塾大学教授を経て麗澤大学教授)・小嶋美代子(こじま・みよこ、慶應義塾大学国際センター勤務)という二人の歴史人口学者の手による「大正時代と人口」のテーマを追ったユニークな本である。明治と昭和に挟まれた僅か十年余の期間。それが大正という時代だ。しかし、この時代には第一次世界大戦があり、それを期に行ったシベリア出兵(大正七年から十一年、日本人の死者数三五〇〇人)、スペイン風邪(大正七年から九年、日本人の死者数約三十九万人)、関東大震災(大正十二年、死者数約十四万三千人)と多数の人口が失われている。また、当時は結核による死亡者も多かった。特に劣悪な労働条件で働く紡績女工の中から結核による死亡者が多く出た。工場内に浮遊する塵埃。そして、ひとつの部屋に多数の女工が寝起きする寄宿舎生活。これらが、紡績女工のあいだに肺結核が蔓延した主な原因である。
本書の第六章(百二十ページから百四十ページ)では、スペイン・インフルエンザ(スペイン風邪)の流行を扱っている。昨年のSARS禍、そして今年の鳥インフルエンザの流行等で想起されるのがスペイン風邪。しかし、スペイン風邪について手軽読め、まとまった文献は入手しにくかった。そういう意味で本書の登場は時宜を得たものである。スペイン風邪が世界中で猛威を振るったのは一九一八年(大正七年)から一九二〇年(同九年)にかけてのこと。第一次世界大戦の終局時期、西部戦線で戦っていたドイツ軍がインフルエンザに襲われた。ドイツ軍だけではない。西部戦線に兵を送ったアメリカでもインフルエンザが猛威をふるい、アメリカ軍の死者約五万人のうち八〇%がインフルエンザによる死亡といわれている。インフルエンザはヨーロッパ各国に広がり、更にグローバル化する。このインフルエンザに“スペイン”の国名が冠された理由。それは、スペイン国王アルフォンソ十三世がインフルエンザのため病床に伏し、八百万人ものスペイン国民が罹患したからだという。世界中でいったい何人がスペイン風邪で死亡したのだろうか。このことについて著者たちは二千万人から四千五百万人の間と推計している(一二七ページ)。日本人の死者数約三十九万人とともに、これらの数字のあまりの大きさには驚いてしまう。本書は、スペイン風邪についての正しい認識の必要性をしみじみと感じさせてくれる参考資料だ。ちなみに、スペイン風邪が原因で死亡した人物として有名なのが島村抱月(一八七一-一九一八)。松井須磨子(一八八六-一九一九)は、翌年に島村抱月の後を追って自殺した。また、スペイン風邪を扱った文学作品としては武者小路実篤著『愛と死』がある。小説の主人公である村岡の恋人夏子は、スペイン風邪で死ぬ。村岡は、そのことをヨーロッパ(パリ)から船で帰国中、香港の近くで知る。
(二〇〇四年・文春新書・七二〇円+税)