読書と著作

読書の記録と著作の概要

『大正デモグラフィー歴史人口学で見た狭間の時代』

2005-09-24 11:40:25 | Weblog
速水融・小嶋美代子著『大正デモグラフィー歴史人口学で見た狭間の時代』

デモグラフィ(demography)とは、出生・死亡・移動などの人口統計、あるいは人口の研究を指す言葉。本書は速水融(はやみ・あきら、慶應義塾大学教授を経て麗澤大学教授)・小嶋美代子(こじま・みよこ、慶應義塾大学国際センター勤務)という二人の歴史人口学者の手による「大正時代と人口」のテーマを追ったユニークな本である。明治と昭和に挟まれた僅か十年余の期間。それが大正という時代だ。しかし、この時代には第一次世界大戦があり、それを期に行ったシベリア出兵(大正七年から十一年、日本人の死者数三五〇〇人)、スペイン風邪(大正七年から九年、日本人の死者数約三十九万人)、関東大震災(大正十二年、死者数約十四万三千人)と多数の人口が失われている。また、当時は結核による死亡者も多かった。特に劣悪な労働条件で働く紡績女工の中から結核による死亡者が多く出た。工場内に浮遊する塵埃。そして、ひとつの部屋に多数の女工が寝起きする寄宿舎生活。これらが、紡績女工のあいだに肺結核が蔓延した主な原因である。
本書の第六章(百二十ページから百四十ページ)では、スペイン・インフルエンザ(スペイン風邪)の流行を扱っている。昨年のSARS禍、そして今年の鳥インフルエンザの流行等で想起されるのがスペイン風邪。しかし、スペイン風邪について手軽読め、まとまった文献は入手しにくかった。そういう意味で本書の登場は時宜を得たものである。スペイン風邪が世界中で猛威を振るったのは一九一八年(大正七年)から一九二〇年(同九年)にかけてのこと。第一次世界大戦の終局時期、西部戦線で戦っていたドイツ軍がインフルエンザに襲われた。ドイツ軍だけではない。西部戦線に兵を送ったアメリカでもインフルエンザが猛威をふるい、アメリカ軍の死者約五万人のうち八〇%がインフルエンザによる死亡といわれている。インフルエンザはヨーロッパ各国に広がり、更にグローバル化する。このインフルエンザに“スペイン”の国名が冠された理由。それは、スペイン国王アルフォンソ十三世がインフルエンザのため病床に伏し、八百万人ものスペイン国民が罹患したからだという。世界中でいったい何人がスペイン風邪で死亡したのだろうか。このことについて著者たちは二千万人から四千五百万人の間と推計している(一二七ページ)。日本人の死者数約三十九万人とともに、これらの数字のあまりの大きさには驚いてしまう。本書は、スペイン風邪についての正しい認識の必要性をしみじみと感じさせてくれる参考資料だ。ちなみに、スペイン風邪が原因で死亡した人物として有名なのが島村抱月(一八七一-一九一八)。松井須磨子(一八八六-一九一九)は、翌年に島村抱月の後を追って自殺した。また、スペイン風邪を扱った文学作品としては武者小路実篤著『愛と死』がある。小説の主人公である村岡の恋人夏子は、スペイン風邪で死ぬ。村岡は、そのことをヨーロッパ(パリ)から船で帰国中、香港の近くで知る。
(二〇〇四年・文春新書・七二〇円+税)



『「震度7」を生き抜く -被災地医師が得た教訓』

2005-09-24 11:38:15 | Weblog
田村康二著『「震度7」を生き抜く -被災地医師が得た教訓』

二〇〇五年三月に祥伝社新書の第一弾五冊が刊行された。本書はその第三番目として刊行されたものである。著者田村康二(たむら・こうじ)は、一九三五年新潟県の生まれ。新潟大学医学部卒業後母校の助教授を経て、山梨医科大学(現山梨大学医科部)教授となり、二〇〇一年からは新潟県長岡市にある立川メディカルセンターをつとめ現在に至る。
本書には、大きく分けて二つの特色がある。第一は、著者が“医師”であるという立場から書かれている点。情緒的、または精神論的な地震対策を提唱することなく、あくまでも科学的スタンスを貫く。これが著者の態度だ。第二は、著者が「震度七の地震を二度経験した」点。著者は、一九六四年の新潟地震、昨年の新潟県中越地震をともに身をもって体験した。本書の帯には、「被災者として、医師として、生き抜く“知恵”を伝えたい」と記されている。本書は、体験者にしか書けない、稀有で切実な詳細現地報告である。
以上のような背景から、防災グッズの紹介も具体的だ。例えば、「防災シート」という商品がある。これは、長めの座布団のような形をしていて、ファスナーを開くと防災ズキンとしても使用できる。この「防災シート」を平時はクッション代わりに自家用車に積んでおく。または、玄関に置いておく。これで、万一の地震に備えることができる。著者のスタンスで感心するのは、この「防災シート」を購入するための問い合わせ先(メーカー名、FAX番号)が、明記されていることである(五十九ページ)。他の商品、例えばアウトドア用組立洋式トイレについても、同様に連絡先が記載されている(九十三ページ)。
トイレについて続けよう。女性の被災者の中には、近くにトイレがないので、我慢する。または、水をなるべく飲まないようにする。そんなケースが多かった。その結果が、エコノミー症候群を引き起こしてしまう。新潟県中越地震では、地震発生後車の中で窮屈な生活を続け、その結果としてエコノミー症候群が原因で死亡した人が八人も出たという。長時間座りっぱなしでいると、足に血栓ができる。これが、何かの拍子に外れて血流により運ばれ、流れ流れて肺動脈を詰まらせてしまう。恐ろしいことである。地震の後のトイレ事情の悪さを考慮すると、男性用として尿瓶、女性用として大人用のオムツを用意しておくとよい。そんなアドバイスもある(九十二ページ)。そのほか、医師の手による本らしく、窒息した人、出血・火傷の応急手当等の実用的な知恵も多数例示されている。
新潟県中越地震が起きる前の一九九六年に長岡市が外部機関に委託して震災シミュレーション行った。その概要が本書に紹介されている。しかし、そのシミュレーションは、一般市民レベルまでには公表されなかった。この点に関して著者は長岡市長を鋭く批判する。この点に関しては科学者らしく、舌鋒鋭い。著者のスタンスに読者は共感を持つであろう。ちなみに、長岡市は著者の居住地でもある。一方、英断をもって、全県下の断層の位置を県民に開示した山梨県の事例も紹介している。全編を通じて、著者のもつ合理性と気骨と被災者に対する暖かい目が感じられる。
(二〇〇五年、祥伝社新書、七四〇円+税)

『下流社会』

2005-09-24 10:19:59 | Weblog
三浦展『下流社会』(2005年、光文社新書)を読む。階層格差が広がる中、「上流社会」や「中流社会」ではなく、「下流社会」と目される階層の人々、特に焼く年層にスポットを当て分析したユニークな本。その日、その日を気楽に生きる。好きな事だけしてイキタイ。お菓子やファーストフードをよく食べる。一日中、テレビゲームやインターネットをして過ごす。そして、未婚(男性で33歳以上、女性で30歳以上)。これが、「下流社会」に属する男女のイメージである。彼らの商業はフリーターや派遣社員。パラサイトの場合も多い。この本の描く世界は、森永卓郎の『年収300万円時代を生き抜く経済学』(光文社)の世界と重なる。いや、最近になって森永卓郎は、その”年収300万円”すら、下降気味と指摘し始めている。ますます、貧富の差が激しくなったということだ。学生運動華やかなりし1970年代ごろまでなら”革命だ”と叫ぶ若者も多かったかもしれないが、いまやそんな元気はなさそうだ。なお、森永卓郎は、ビンボーを主題にした著書を連発、いまや年収3000万円以上(28ページ)というのには、恐れ入った。

新開地関連文献(順不同)

2005-09-23 09:17:29 | Weblog
新開地関連文献(順不同)

・ 春木一夫他編『ナイト・イン・コーベ』(1970年、日東館)P.187以下
・ 吉田清彦『神戸居酒屋ガイド』(1985年、神戸新聞出版センター)P.166八栄亭(やきとり)。巻末に地図。
・ 神戸新聞社会部編『神戸市電物語』(1971年、神戸新聞社)新開地の写真がグラビアページにあり。この本は、貴兄からもらったもの。
・ 陳舜臣『青雲の軸』(1978年、旺文社文庫)P.94
・ 兵庫県警編纂『伏流』(1978年、神戸サンケイ新聞社)P.81
・ 神戸100年映画祭実行委員会他編『神戸とシネマの1世紀』(1998年、神戸新聞総合出版センター)
・ 川西英『神戸百景』(1962年、神戸百景刊行会)
・ 創元社編集部編『神戸味覚地図』(1970年、創元社)P.144 八栄亭(やきとり)他
・ 長島孝次『ノスタルジック神戸の夜』(2001年、六甲出版)
・ 武田繁太郎『芦屋夫人』(1962年、光文社)P.231・・・兵庫大仏は頻出するが、新開地は僅少。
・ 陳舜臣『神戸ものがたり』(1998年、平凡社ライブラリー)P.164
・ 竹中郁『私のびっくり箱』(1985年、神戸新聞出版センター)P.162
・ 淀川長治『淀川長治自伝』上(1988年、中公文庫)P.54
・ 和田克己編著『むかしの神戸』(1997年、神戸新聞総合出版センター)P.182
・ 藤本義一『大いなる笑魂』(1983年・文春文庫)
・ 浅田修一『神戸 わたしの映画館』(1985年・冬鵲房)


「いらっしゃいませ、こんにちわ」は、不愉快だ

2005-09-23 08:36:32 | Weblog
「いらっしゃいませ、こんにちわ」は、不愉快だ

数年前、アマチュア・オーケストラの演奏会が終わって、「コーヒーを一杯」と思い、やや高級な喫茶店に入った。ところが、入り口付近にいた若い女店員の「いらっしゃいませ、こんにちわ」の声を聞き、いっぺんに不愉快な気分になった。「なぜか?」と思い、理由を考えてみた。一番目は、「私は紙コップに入った廉価なコーヒーを飲みに着たのではない」、または「一杯四五〇円のコーヒーを飲みに来たのに、マクドナルド並みの挨拶をされた」という感情だ。二番目の理由は、少々複雑だ。「いらっしゃいませ、こんにちわ」の前段、すなわち「いらっしゃいませ」は、謙譲語である。お客様をたてているのだ。一方、後段の「こんにちわ」の方は、お客様と“対等”というニュアンスがある。この二つの性格の異なる挨拶を連発されると、客の側としては、何か「馬鹿にされた」ような感じを受ける。そこで不愉快になる。この考え方を約十人の友人・知人に示したところ、少なくとも「反対意見」は出なかった。
実験もしてみた。UFJ銀行の店頭で、私に向かって「いらっしゃいませ、こんにちわ」と挨拶した女子行員がいる。私は、「顧客に対して失礼であり、止めさせて欲しい」と支店長宛に書き投書箱に入れた。一ヶ月後、UFJ銀行の同じ支店に行ったら、「いらっしゃいませ、こんにちわ」の挨拶はない。
「いらっしゃいませ、こんにちわ」というのは、マクドナルドの日本進出までは、聞いたことがない。これが私の観測。おそらく、マクドナルドのマニュアルを英語から翻訳する際に「生まれた」のだろう。この、「ヘンな日本語」は、銀行だけでなく、他業界にもん伝染している。「BOOK-OFF」でも「いらっしゃいませ、こんにちわ」を連発していた。猛烈な反対運動を起こして、日本列島からこのイヤな言葉を追放したいものだ。