読書と著作

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幻の映画「新雪」

2005-09-14 06:48:16 | Weblog
 「紫けむる新雪の」で始まる「新雪」。灰田勝彦さんが歌い、今でも懐メロとして親しまれており、カラオケで歌うことも可能である。この歌は映画「新雪」(一九四二年・大映)の主題歌だ。ところが、その映画を見ることはできない。そのことを知ったのは、今から三十年近く前のことである。戦時中の一九四二年に制作の映画「新雪」は、「時局」の反映はあるが、カテゴリーとしては青春映画。こんな映画を見ると、若い男たちは戦争に行くのが厭になる。そんなことから、軍部の手により焼却された。これが、映画フィルムが存在しない理由だったらしい。ところが、最近になって「新雪」のフィルムの一部がモスクワにあることが分かり、そのコピーが購入され、ロケ地神戸で映写会が持たれるようになった。戦時中、中国大陸に慰問のために送られていた「新雪」のフィルム。これが、ソ連(当時)の手に渡り、現在まで保存されてきたのだろう。そのお蔭で、「一生見ることができない」と諦めていた映画「新雪」の一部分を今年の四月に見る機会を得た。
 映画「新雪」の原作は、藤沢恒夫さんの同名の小説。一九四一年に朝日新聞に連載された。小説連載の翌年、五所平之助監督のもとに映画化されたものである。小説の方は、一時期まで角川文庫版(初版一九五七年)で読めたが、入手できなくなって久しい。「新雪」は、阪急六甲駅とその周辺が舞台。映画では近年取り壊された高羽小学校の映像が何度も出てくる。高羽小学校在校生もエキストラとして参加したが、恋愛がテーマの映画であることから、たとえ父兄同伴でも戦時中は観賞禁止だった。ところが、この子供たちが大人になった頃には映画フィルムの現物がない。文字通り「幻の映画」だった訳である。

『反米の世界史』

2005-09-14 06:41:30 | Weblog
内藤陽介著『反米の世界史』 

 十九世紀の末から二十世紀を経て二十一世紀初頭の今日までの百年余の年月。この間、アメリカ合衆国は、政治・経済・文化のあらゆる領域において世界的な影響力を拡大していった。これは万人が認めていることであろう。一方、その必然的な副作用として、アメリカという国家は、世界各地で様々なレベルの抵抗に直面する。それが先鋭化し、直接的な軍事的衝突という結果に至った例も少なくない。本書の著者内藤陽介は「“アメリカの世紀”と呼ばれた二十世紀を“反米の世紀”と読み替えることも可能だ」と指摘する。アメリカと激しく敵対してきた過去を持つ国や地域の視点から、アメリカが世界の覇者となっていくプロセスを、郵便切手という小さな窓を通して眺めた。これが本書の内容である。著者の内藤陽介は、一九六七年東京の生まれ。東京大学文学部卒、現在は切手の博物館・副館長をつとめる郵便学者。『切手と戦争』、『切手バブルの時代』等の著書がある。

 アメリカの東海岸に上陸したヨーロッパ人たちは富を求めて西へ西へと進む。西部劇映画で広く知られるようにアメリカインディアンを征服し、フランスからミシシッピ川流域の植民地を購入し、メキシコからカリフォルニアの壮大な土地を取得する。ここから先は太平洋だ。かくて、アメリカはハワイの王朝を倒し、スペインと戦争してフィリピンを奪う。さらに日本に原爆を落とし、朝鮮戦争に参画し、フランスに代わりベトナム戦争の泥沼にのめりこむ。ソ連のアフガニスタン侵攻に際しては、これに介入。そして石油の利権を求め中東地域で暗躍を続け、湾岸戦争、イラク戦争へと波及する。
 本書のページをめくっていくと、西部劇の世界がいつの間にか中東にまで引き伸ばされていく経緯が良く分かる。そして、このアメリカの行動にテロという非常手段で待ったをかけたのが「九・一一同時多発テロ」(二〇〇一年)ということになる。前述のように、著者は郵便切手の専門家。本書では郵便切手や郵便資料(消印、絵葉書、検閲)等を駆使してアメリカの飽くなき西進を追っている。
 本書の中で、図版として取り上げた切手や郵便物に登場する国や地域は、ハワイ、フィリピン、ソ連、日本、中国、韓国、北朝鮮、キューバ、ベトナム、イラン、パレスチナ、アフガニスタン、イラク等世界各地に散らばる。このことからも、結果的に“アメリカ帝国主義”の歴史が二十世紀の世界史の重要部分と重なっていることがわかる。
          (二〇〇五年、講談社現代新書、定価(税込)七八八円)元

10歳年長の元商社マンSさんも、本書を購入。



『哲学的落語家』という本が出た

2005-09-14 06:12:11 | Weblog
筑摩書房のPR誌「ちくま」2005年9月号に、野口武彦神戸大学名誉教授による「絶笑の探求」が掲載されている。この一文は、同社から出版された平岡正明著『哲学的落語家』を紹介するために書かれた。この『哲学的落語家』は、1999年春、自ら命を絶った落語家桂枝雀に捧げられたオマージュといってよい本だ。読んでみたい。