読書と著作

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久谷與四郎著『事故と災害の歴史館―“あの時”から何を学ぶか』

2009-01-29 14:25:40 | Weblog
久谷與四郎著『事故と災害の歴史館―“あの時”から何を学ぶか』

本書の著者である久谷與四郎(くたに・よしろう)氏は、労働評論家で労働問題で幅広く評論活動を行っている。1960年に上智大学新聞学科卒業、読売新聞社会部記者として、長らく労働問題を担当してきた。論説委員。労務部長、総務局長などを経て、役員待遇・北海道支社長。退職後、2003年まで日本労働研究機構理事を務める。主な著書として『労働界見聞録』(1981年、東洋経済新報社)、『労働組合よ しっかりしろ』(2000年、日本リーダーズ協会)がある。本書では、新聞記者として労災事故に関わってきた著者が,過去の事故と災害から何を学んできたかを検証している。扱われる事案は、何れも大きな被害をもたらし、その後再発を防止するための対策が再三とられてきて,被害を食い止められてきているケースが多い。トンネル事故、火災、ガス爆発、硫化水素事故、化学物質災害、ケーソン事故、タービン破裂、鉄道事故等々。その後の関係者の人生や証言を元に,更に労働行政にどのように反映されたのかをレポートしている。以下は、本書目次の抄録。

第1章 トップの経営姿勢が招いた災害
大清水トンネル事故の火災、JCO臨界事故、熊本・大洋デパートの火災
第2章 イベントを意識してムリな工事
広島新交通システム工事の橋げた落下、大阪天六ガス爆発
第3章 "ささいな”引き金が招いた重大な結果
御徒町トンネル工事の噴発事故
第4章 化学物質災害の恐ろしさ
染料工場の膀胱ガン(ベンジジン中毒)、ぼすとん丸事件(4エチル鉛中毒)
第5章 安全衛生行政の礎に
足尾町民の「ヨロケ」撲滅の訴え、ヘップサンダル事件
第6章 技術進歩と災害
新四ツ木橋事故、丹那トンネル事故
第7章 社会や産業の変化の中で
ロボット殺人、白ろう病、三池炭坑の炭じん爆発
第8章 事故を風化させないための努力
タービンローターの破裂、国鉄三河事故、コンビナート爆発火災

30年くらい前までは、一度に数百人の単位で死者がでる事故が多発していた。それに比べると,最近は労災での死者数は少なくなっている。その減り方は,交通事故や労働以外の疾病に比べると顕著だ。多くの尊い人命の犠牲のもとに、その教訓がいかされてきたからである。犠牲が出た事故では慰霊碑が建てられることが多い。これは、再び事故を起こさせないという決意の表明である。憂慮すべきは、その教訓が風化しつつあること。団塊の世代のリタイアにより,悲惨な災害の伝承が絶たれようとしている。慰霊碑のなかには、河川の改修工事で埋められるという”信じられない仕打ち”に遭遇している実態もある。また、著者が指摘している「トップの経営姿勢が、これほどまで会社のモラルハザードを引き起こすものか、ということも実感しました。逆に言えば、トップの姿勢いかんで会社全体の安全度を格段に向上させることも可能だ、ということを教えてくれます」との総括は、実に重みがあるといえよう。
(2008年、中央労働災害防止協会、900円+税)

五十嵐敬喜著『道路をどうするか』

2009-01-28 17:28:08 | Weblog
五十嵐敬喜・小川明雄著『道路をどうするか』

本書の共著者の一人である五十嵐敬喜(いがらし・たかよし)氏は、1944年山形の生まれ。1966年に早稲田大学法学部を卒業、現在は法政大学教授・弁護士の職にある。著書に『美しい都市と祈り』『美しい都市をつくる権利』(学芸出版社)、『市民の憲法』(早川書房)等がある。もう一人の著者、小川明雄(おがわ・あきお)氏は、1938年東京の生まれ。1961年、東京学芸大学英語科を卒業。AP通信、朝日新聞社を経て、現在はジャーナリスト。著書に『日本崩壊』『日本錯乱』(早川書房、筆名・御堂地章)等がある。注目すべくは、この2人の著者が共著で刊行した本が多数あることだ。以下、例示してみよう。『都市計画 利権の構図を越えて』『議会 官僚支配を超えて』『公共事業をどうするか』『市民版 行政改革』『「都市再生」を問う』『建築紛争』(以上、岩波新書)、『公共事業は止まるか』(共編著、岩波新書)・・・。本書は、以上の著書群の延長線上にあることが、容易に想像できよう。
「ガソリン国会」と化した2008年の通常国会。揮発油(ガソリン)税をはじめとする合計6兆円近い道路特定財源が、国と自治体に自動的に入ってくることが白日のもとに晒された。近年、国税分が余り過ぎて、巨額の税金がハコモノの建設や都市再開発にまで注ぎこまれている。道路事業のムダの代名詞となっているのが第二東名・名神高速道路だ。少子高齢化社会に向かって国家財政は赤字必至とされている。にもかかわらず、第二東名・名神高速道路には莫大な事業費がつぎ込まれ、更に借金まで重ねて、建設続行中。かつて道路特定財源は欧州諸国にもあった。しかし、各国とも数十年前に一般財源化され、主に福祉などの一般会計予算に回されている。一方、日本ではいつまでも道路建設に固執している。そのことを本書は読者に教えてくれる。
本書の著者たちによる岩波新書の刊行はこれで8冊目。何れの本も、その執筆目的は、「異常な力をもったこの国の政官業の支配構造をできるだけ暴き、それを克服する道を探る」ことにあった。著者たちが望むのは、「一人ひとりの国民の生活と人生が大切にされる社会をつくる一助になりたいという願い」である。しかし、自体は逆に悪化するばかり。今回は政官業支配の最大の柱である道路利権がテーマである。膨大な取材と調査に時間がかかったことは想像に難くない。野党が勝利した2007年の参議院選挙を受けて開かれた「ねじれ国会」では、野党の抵抗もあり、「道路特定財源延長法」や「暫定税率維持法」が2008年3月31日に失効し、道路をめぐって国民の関心が大いに高まったことも執筆の動機になったそうだ。これを機会に、道路利権の闇をできるだけ明らかにし、それを克服する方法を読者や多くの国民とともに探るための材料を提供する。これが本書の意図である。道路の利権構造は、官僚組織の予算策定権まで含めると、明治時代にまでさかのぼるというもの。その間に政官業の利権構造は増殖を続け、巨大で強固になっている。そう簡単に、この利権構造を突き崩すことは不可能。それも現実であろうが、本書の著者たちの”戦い”は、多くの国民の共感を得て、巨悪を破壊する力となっていくであろう。
(2008年、岩波新書、740円+税)

米山高生著『物語(エピソード)で読み解く リスクと保険入門』

2009-01-23 10:19:39 | Weblog
米山高生著『物語(エピソード)で読み解く リスクと保険入門』

 本書の著者である米山高生(よねやま・たかう)氏は、1953年の生まれ。1976年、信州大学人文学部経済学科を卒業、1982年に一橋大学大学院経済学研究科博士課程の単位を取得した。1984年、京都産業大学経営学部専任講師に就任する。同大学の助教授、教授等を経て、現在は母校の一橋大学に戻り大学院商学研究科教授の職にある。専攻は保険論。『保険とリスクマネジメント』(ハリントン=ニーハウス著、共監訳、2005年、東洋経済新聞社)、『戦後生命保険システムの変革』(1997年、同文館)がある。本書は、保険やリスクマネジメントの入門書である。しかし、これまで出版されて来た保険の入門書や概説書とは、一味も二味も違う。そもそも、多くの保険の本に見られる骨格のようなものは存在しない。しかも、随所にみられるレトロな戦前の保険のPR資料の写真。これら図版を見ているだけでも楽しい。「良く集めたものだなあ」と感嘆してしまう。読者は随筆を読むような感じで、本書と付き合うことができる。どこから読み始めても良いのだ。

 取り上げられたテーマは多岐にわたる。目次をひらいてみよう。「イチロー“四割打者”計画」、「汚染米とサブプライムローン」、「ロイズのネッシー捕獲保険」、「監獄から生まれた保険会社」、「太陽と保険の関係とは」といった表題が並ぶ。このような、身近な事例から知られざる戦前の秘話までを、豊富な写真資料(何と今は亡き大成火災社の株券の写真も挿入されている)と様々なエピソードに触れながら、”リスクと保険の基本を楽しく理解できる”。これが本書の特色といえよう。以下は目次の概要。

第1部 リスク編(リスクとは何か;リスクの種類;リスクと歴史;なぜリスクマネジメントが必要なのか;リスクマネジメントの手法;つむじ曲がりのリスクマネジメント)
第2部 保険編(保険需要の考え方;保険の価格について;経済資本;保険と相互会社;買う側の論理と売る側の論理;保険の経営史;保険と文化)
第3部 エピローグ(アメリカの医療保険と日本の医療保険;保険募集の常識の再検討1―「貯蓄は三角、保険は四角」という販売話法;保険募集の常識の再検討2―「一人は万人のために、万人は一人のために」理念募集の限界;保険家族会議のすすめ;エピローグのエピローグ)

 本書を執筆するにあたって、著者はできるだけ研究室や図書館を使わないように努めたそうだ。特に調べ物が必要な時以外は、研究室では執筆していないそうだ。このあたりは、「いい訳」めいているが、まあいいだろう。この本を、研究室で執筆したといって、咎める人物はいないだろう。原稿のほとんどの部分は、各地の喫茶店などで書き貯めたというから面白い。都心や地方で仕事があり、隙間の時間があればパソコンを開いて原稿を書く。メタボ対策を兼ねて自転車通勤する際に、隣町にまで遠征して喫茶店で原稿を書いたりもした。そんな体験が、本書の片隅に記録されている。国立の「ドトール」と「無伴奏」、国分寺の「コロラド」と「ドリップ」、京都の「イノダコーヒー三条店」等、執筆した喫茶店の名前も出てくる。確かに、本書の雰囲気は“喫茶店”の自由闊達な会話や思索を感じさせるものがある。
(2008年、日本経済新聞社、1600円+税)






鴨下信一著『誰も「戦後」を覚えていない〔昭和30年代篇〕』

2009-01-05 20:19:44 | Weblog
鴨下信一著『誰も「戦後」を覚えていない〔昭和30年代篇〕』

本書の著者鴨下信一(かもした・しんいち)氏は、1935年東京の生まれ。1958年東京大学美学科を卒業後TBSに入社する。TBSでは、ドラマや音楽などの番組を数多く演出してきた。現在は、TBSテレビ相談役。主な著書に『面白すぎる日記たちーー逆説的日本語読本』、『会話の日本語読本』、『誰も「戦後」を覚えていない』、『誰も「戦後」を覚えていない〔昭和20年代後半篇〕』等がある。以下は、本書の目次の抄録。

・昭和30年代はなんでこんなに懐かしいのだろう
・「この幸せを手放せない」60年安保の気分
・「清張」も「風太郎」も必要だった
・アッという間に水が来た

映画「ALWAYS 3丁目の夕日」が根強い人気を得ている。懐かしい昭和30年代。しかし、その10年間には単なるノスタルジーに浸ってばかりはいられない様々な事件や災害も多々あった。第一に挙げられる特徴は”テロ・暗殺”だ。日比谷公会堂で演説中刺殺された日本社会党委員長淺沼稲次郎(昭和35年10月12日、犯人の山口二矢(やまぐち・おとや)少年は留置中に自殺)の前に、同じ日本社会党の重鎮で顧問の河上丈太郎(6月17日)、更には首相の岸信介までが刺される(7月14日)。
森永砒素ミルク中毒事件、水俣水銀中毒事件も昭和30年代に発生している。鉄道事故として大きかったのが、三河島事故(昭和37年5月3、死者160人)、鶴見事故(昭和38月11月9日、死者161人)。また、昭和30年10月1日発生の新潟市大火にはじまり、鹿児島県名瀬市、秋田県能代市等各地で続発した数々の大火が発生した。東京オリンピックを直前に控えた昭和39年6月16日の新潟地震。「4階建ての鉄筋アパートが倒壊ではなく、壁に亀裂一つ走らず、そのまま基底部からゴロンと、文字通り転倒した奇妙な写真が残っている」と、著者は新潟地震を回想する。「伊勢湾台風」と後に呼ばれるようになる昭和34年秋の台風15号。その被害は突出していた。史上最悪の風水害の大部分は、台風通過と満潮が重なった名古屋市 南部の高潮被害。堤防を軽々越えた海水は、恐るべき濁流と泥の海となって襲って来る。死者行方不明は5000人という大被害を被った。
目次で紹介した”・アッという間に水が来た”というのは、この伊勢湾台風を指す。この時代にシンボリックなのは炭鉱事故。長崎県安部鉱業所の豪雨によるボタ山崩落(昭和30年4月16、死者73人)。福岡県三井三池鉱業所の炭塵爆発(昭和38年11月9日、死者458人)についても本書は記録している。
                                      (2008年、文春新書、750円+税)