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海野十三著 橋本哲男編『敗戦日記』を読む

2005-09-01 05:41:52 | Weblog
海野十三著 橋本哲男編『敗戦日記』(2005年、中公文庫)を読んだ。以下は、読書メモ。

今年の夏は終戦六十年に当たり、太平洋戦争に関する書籍が多数刊行された。中公文庫の一冊として出た海野十三著 橋本哲男編『敗戦日記』(定価七百四十三円+税)も、その一冊である。本書は、戦前から戦後にかけて空想科学小説の分野で活躍した海野十三(うんの・じゅうざ、一八九七-一九四九)による戦中日記である。期間は、敗戦直前の一九四四年(昭和十九年)末から約一年間。

東京・若林(世田谷区)の海野家の上空には米軍機が轟音をたてて飛び交う。その状況が、科学小説作家らしい正確さとリアリティをもって記録されている。米機による最初の空襲は、昭和十九年十一月一日。以後、空襲は日増しに激しくなる。海野十三は既に昭和十六年一月に、自宅に防空壕を作り上げていた。如何にも科学者らしい。空襲警報が出ると、家族ともども防空壕に逃げ込む。解除されると家に戻る。間隙をぬって、食料や日用品を買いに町へ出る。一方、作家仲間や旧友と交流し、情報交換や生活用品の物々交換をする。そんな日々が続く。

東京から鹿児島に向かう列車の車窓から、神戸南部の工場地帯が炎々と燃えている。そんな記録も出てくる(昭和二〇年三月)。広島への原爆投下は八月十日の新聞で知る。「これまでに書かれた空想小説などに原子爆弾の発明に成功した国が世界を制覇するであろうと書かれているが、まさに今日、そのような夢物語が登場しつつある」と感想を記していた。日本のSF界の父といわれる海野十三による同時代の記録は、新鮮でかつ内容が深い。

海野十三の本名は佐野昌一。一八九七年(明治三十年)に徳島市の生まれ、一九〇六年、小学校三年のとき父の神戸税関への転職で神戸に転居する。海野十三は、徳島の福島小学校から神戸の大開小学校に転校する。ちなみに、『海野十三全集別巻2』(一九九三年、三一書房)に所収の年譜では「大開小学校」を「大関小学校」と誤記している。神戸一中(現神戸高校)に学び、早稲田大学理工学部を卒業、逓信省電気試験所に勤務の後、佐野電気特許事務所を開く。昼は事務所、夜は小説を書き、ついには科学小説家となる。「新青年」や少年雑誌等を舞台に空想科学小説を書いたことで広く知られている。残念なことに、戦後間もない一九四九年(昭和二十四年)に、結核のため死去。享年五十一歳、生前、江戸川乱歩や同じく神戸出身の横溝正史(神戸二中(現兵庫高校)卒)と交流があった。