読書と著作

読書の記録と著作の概要

壷阪龍哉著『7つのムダを捨てれば、すべてうまくいく!』

2006-06-28 22:21:19 | Weblog
 保険会社の新入社員は、先ず長期間の研修を受ける。職場に配属されると、先輩から多種多様の「保険に関する知識・情報」を学ぶ。ビジネスマナーやセールス話法を身に付けていく。かくて年月とともに保険マンとしての磨きがかかっていく。ところで、本書は「仕事のやりかた」の本である。例えば、「モノ探しばかりに時間をかけないためにはどうすればよいか」、「やみくもに情報を集めるといった行動様式から脱却しよう」、「携帯電話やパソコンからの情報漏洩を防ぐにはどのような注意が必要か」、といったテーマについて著者が永年培ってきた薀蓄を傾けている。これらテーマについては、明確な理論やルールが確立されているとも思えない。伝統的にまたは慣習的にルールのごときものが存在する分野であるといってよかろう。換言すると、研修や職場教育のテーマとして深く掘り下げる機会が少ない分野であると言える。
 保険、年金、社会保障、経済、経営、法律、防災、安全等々保険業界に身を置く者は様々なテキストや本を読む必要がある。そのための時間が足りない。確かにそうである。しかし、通勤時のコマギレ時間を使って、本書『7つのムダを捨てれば、すべてうまくいく!』に目を通し、その結果として「日常業務の合理化」がはかることは可能だ。ちなみに、本書の第三章のタイトルは「あなたの時間に潜むムダ―ムダな時間を迷わず取り除く―」。この章では「時間ドロボーに振り回されないように」と著者は警告する。そして、電話、上司、アポなし訪問といった時間ドロボーの“撃退方法”が具体的に伝授されている。
 本書最終章である第七章は、特に印象が深い。タイトルは、「あなたの「生き方」に潜むムダ」。本書は、単なる小手先だけの“仕事術の本”に終わっていない。ビジネスマンの「生き方」にまで及んでいる。著者は「世間に通用する能力を身に付けよ」と、読者に問いかける。本書の著者壷阪龍哉(つぼさか・たつや)氏は、一九五八年(昭和三十三年)に慶応義塾大学経済学部を卒業、鐘紡に入社する。その後、転職、起業(現在㈱トムオフィス研究所代表取締役)と、平穏どころか波乱に満ちたビジネスマン生活を送ってきた。本書は著者の体験を踏まえて出来上がっている。学者や評論家または平穏なサラリーマン生活を送った人たちによる「偉そうなアドバイス」ではない。加えて、著者は駿河台大学教授として学生を指導し、また記録管理学会(比較的ビジネス寄りの学会。学者、ビジネスマン、コンサルタント等から構成される)の会長経験もある。この「世間に通用する能力を身に付けよ」という壷阪龍哉氏の忠告は、損害保険会社のOBである神田芳雄氏の著書『実践 損保マーケティング戦略』(2005年、東洋経済新報社、2200円+税)でも指摘されている。神田氏は、損害保険会社の本部スタッフは、本当にプロ集団なのかと問いかける(同書12ページ)。例えば、火災新種保険部に配属の火災保険担当者を例にあげる。この担当者は連日火災保険の仕事ばかりに従事している。火災保険に関しては、比較的短期間で詳しくなれる。これは当たり前もことだ。しかし、著者は、「それだけではダメ」と言い切る。リスク分析、料率、約款のプロとして、「同業者間で通用するか」、「国際的に通用するか」と追及する。例えば、「リタイア後は大学教授になりたい」といった気概をもって勉強しなければならない。著者は、そのように表現していた。損害保険会社の現役社員やOBで、大学、損害保険事業研究所、代理店学校等で講義を行っている人材も出てきている。また、退職後に保険に関する著書を公刊する先輩もいる。この水準を目指すべきなのだろう。
                   (二〇〇六年、PHP研究所、一三〇〇円+税)



偕成社の偉人伝(1)

2006-06-28 21:53:35 | Weblog
偕成社の偉人伝(1)

小学生時代を通じて「お世話になった」と感謝している本に、偕成社の偉人伝シリーズがある。
黄色いカバーのかかった偉人伝は、10冊以上持っていた。先般、偕成社の社史(『偕成社五十年の歩み』1987年刊)で確認すると、“偕成社の偉人伝”というのは通称で、正式には“偉人物語文庫”と称すること、その第1巻は、1949年(昭和24年)4月に発刊の『ベーブ・ルース』であることを知った。『ベーブ・ルース』の著者は沢田謙。次いで年内に『リンカーン』、『福沢諭吉』、『コロンブス』、『エジソン』が刊行されている。当時の日本は占領中。このラインアップから、“アメリカの影”を読み取ることができる。5人のうち、3人はアメリカ人だ。加えて、コロンブスは、“アメリカ大陸発見者”である。そのような見地に立つと、コロンブスもやはりアメリカ関係者。このシリーズの最初の5冊のうち4冊(80%)までがアメリカ関連本ということになる。少々どころか大いにバランスを欠いていると批判されてもやむをえない。
『偕成社五十年の歩み』の巻末には同社創業(1936年)以来の出版リストが付いている。このリストの中から記憶をたどりつつ、私が読んだ本をリストアップしてみよう。ただし、以下のリストは“刊行順”であり、必ずしも私が“読んだ順”ではない。私が偕成社の偉人伝シリーズを読み始めたのは、小学校4年生(1951年4月から翌年3月)のことであったと思う。愛読していた偕成社の偉人伝は、高校入学時に全て近所の施設(孤児院)に寄贈した。残念ながら、手元には1冊も残っていない。

1949年(昭和24年)刊
『エジソン』 沢田謙
1950年(昭和25年)刊
『アインスタイン』 沢田謙
1951年(昭和26年)刊
『ノーベル』 沢田謙
『フォード』 沢田謙
1952年(昭和27年)刊
『ディーゼル』 川端勇男
『チャーチル』 柴田練三郎
『フランクリン』 沢田謙
1953年(昭和28年)刊
『マゼラン』 丸尾長顕
『パスツール』 沢田謙
『源頼朝』 浅野晃
1954年(昭和29年)刊
『高峰譲吉』 沢田謙

このリストを見て、いろいろなことに気づく。先ず、著者の多くが沢田謙であるということである。沢田謙については、『偕成社五十年の歩み』には「外交、政治評論家」という記述がある。この人物については今後調査を進めていきたい。また、後に剣豪小説家として有名になった柴田練三郎が、チャーチルの伝記を書き、日劇ミュージックホールの演出家だった丸尾長顕が、マゼランの伝記を書いている。ちょっとどころか、大いに驚いた。

森岡孝二著『働きすぎの時代』

2006-06-28 21:51:31 | Weblog
本書の著者森岡孝二は、関西大学経済学部教授。専門は株式会社論、企業社会論、労働時間論である。これら三つの専門分野は、一見無関係かのように見える。しかし、本書のテーマ「働きすぎ」は、これら専門分野が相互に関連を持ち絡み合っているといえよう。本書の特色は、今日の社会を「働きすぎ」というキーワードで多角的、実証的に分析している点だ。このため説得力があり、かつユニークな啓蒙書となっている。過労死が社会問題とされるようになってから久しい。2002年1月、『オックスフォード英語辞典』のオンライン版に、新語「karoshi」が新たに登録されたという(27ページ)。この単語は、もちろん日本語の「過労死」から由来する。過労死の背後には、残業手当なしの仕事、所謂「サービス残業」が存在する。最近では、残業手当不払いの企業が公表されるようになった。中部電力、東京電力のように、その総額が60億円以上に達するケースもある。サービス残業がやりにくくなると、企業の側は早朝出勤を強いるようになる。数年前、某経済雑誌が早朝出勤する社員の列を捉えた写真を掲載して「早朝出勤」を告発していたことを思い出す。休日もなく、早朝から深夜まで働き続けるIT技術者。外食産業やコンビニで深夜労働するパート社員やフリーターたち。連日の超過労働勤務にもかかわらず高速道路を猛スピードで走る長距離トラック運転手。これは、死者を多数出す高速道路上の多重衝突の原因となる。午後8時、オフィスの電気がいっせいに消えた後、パソコンの光で密かに残業を続ける社員たち・・・。大学教授として学生を教育し卒業させ社会に送り出す。これは著者の仕事であり使命でもある。ところが、卒業生たちは”企業戦士”として働きすぎの世界に埋没、家庭・家族を犠牲にし、健康を害し、ひいては心の健康(例えば、鬱病)までも害してしまう。恐らく、そんな身近な危機感もあったに違いない。本書の全編に、著者の怒りと苦悩が感じられる。人口が減る、若年者がなかなか結婚しない(結婚できない)。フリーターやニートが増加する。高速道路での居眠り運転による死傷者の続出。著者は、福知山線の脱線事故は、JR西日本の収益第一のスピード競争や余裕のないダイヤ編成だけが原因ではなく、それを肯定した利用者の側にも「働きすぎ」の問題があったと分析する。一刻も早く職場に到着したい、遅刻すると会議や商談に遅れ、ひいては人事評価に響く。そう考えて、鉄道会社に無理なダイヤ編成や定時発車を無言のうちに強いてきたのではなかろうか。病んでいるのは、一人の従業員、一会社だけでなく”社会全体”ということになる。
著者は、容赦なく拡大する「働きすぎ」の原因を解明し、それに一定の歯止めをかけなければならないと主張する。最後の終章(働きすぎにブレーキをかける)では、働きすぎの結果として生じる数々の問題点と弊害をとりまとめ、そのうえで「働きすぎの防止の指針と対策」として具体的な提案を行っている。これらの提言は、①労働者、②労働組合、③企業、④法律と制度の4者それぞれの立場からの提言となっている。
(二〇〇五年、岩波新書、七八〇円+税)

改正・平成18年度版『保険業法のポイント』

2006-06-28 21:46:11 | Weblog
 本年4月1日から、「根拠法のない共済への業法の適用」など、保険業法およびその関連法規が大幅改正となった。この改正に合わせて、保険教育システム研究所が刊行する『保険業法のポイント』が大幅改訂、出版されている。本書は、平成18年4月施行の最新情報を網羅し、保険業法と関係法規のポイントを図解等により分かりやすく解説した。旧版に比べて、より便利に充実した内容になっている。保険会社、代理店をはじめ、銀行、共済、大学等で保険に携わる業務・研究に従事する関係者の必携の一冊である。身近に置いて、辞書のように適宜参照する。また、近年ますます重要となってきたコンプライアンスの一助として本書の活用をお勧めしたい。
 本書の特色は、次の3点に集約される。

1.保険業法の等の主要ポイントを約80の「Q&A」で簡明に解説
Q.保険業法の全体像は?
Q.共済は保険業法上どう取り扱われるか?
Q.会社法と保険業法の関係は?
Q.保険金等の支払いについての留意点は?
Q.保険計理人とは?役割は?
Q.金融庁の検査はどんな考え方で行われるか?
Q.早期是正措置制度とは何か?

2.保険業法とその関連法令、「Q&A」をリンクすることにより、条文の内容が的確・スムーズに検索・把握できる

3.保険業法をはじめとする保険業務に関連する最新法令等を満載
①保険業法
②保険業法施行令
③保険業法施行規則
④金融機関等の更生手続の特例等に関する法律
⑤保険契約者等の保護のための特別の措置等に関する命令
⑥保険業法第132条第2項に規定する区分等を定める命令
⑦保険業法第272条の25第2項に規定する区分等を定める命令
⑧損害保険料率算出団体に関する法律
⑨損害保険料率算出団体に関する法律施行令
⑩損害保険料率算出団体に関する内閣府令
⑪金融商品の販売等に関する法律
⑫金融商品の販売等に関する法律施行令
⑬消費者契約法
⑭不当景品類及び不当表示防止法
⑮個人情報の保護に関する法律
⑯個人情報の保護に関する法律施行令
⑰保険会社向けの総合的な監督指針(骨子)

仕様:A4版・1色刷・598ページ
定価:5,000円(本体4,762円+税5%)

企画・制作: ㈱保険教育システム研究所
申し込み先: ㈱日企〒103-0026 東京都中央区日本橋兜町20-6
TEL 03-3669-3741 FAX 03-3808-1650 ホームページ http://www.nkgp.co.jp


多田鐵之助『うまいもの』に関する若干の考察

2006-06-21 23:03:10 | Weblog
多田鐵之助『うまいもの』(昭和二十九年、現代思潮社)という本が手元にある。二十一世紀に入ってから間もない頃、JR中央線武蔵小金井駅近くの古書店で、やや衝動的に購入したものだ。昭和二十九年は、西暦でいうと一九四九年。五〇年以上前の“グルメ本”を買ってしまったという訳である。この本の定価は三二〇円。それに対して古書価は二〇〇円だった。『うまいもの』は、“グルメ本”本来の役に立つことはない。それは承知のうえで買った。惹かれたのは巻頭のチマチマした写真である。そこには、戦後の東京の“貧しい風景”が写っている。渋谷・二葉亭(洋食)の前には外車が三台駐車している。街を走っている自動車の多くは外車だったことを思い出す。昭和二十九年と言えば、私が小学校を卒業し、中学に入学した年。その時代の雰囲気を、『うまいもの』掲載の写真の数々が見事に伝えている。古書店でつけた売値も適正と感じた。五〇〇円だったら買わなかったかもしれない。『うまいもの』の著者多田鐵之助は、時事新報社に勤めていたことがあるジャーナリスト。会社役員のかたわら現代食味研究所所長の職にあり、月刊食味評論「たべあるき」を主宰している。『うまいもの』は七冊目の著作の由。この本に掲載されている約百二十店の殆どは東京の店。神奈川、静岡の店が少しある。寿し、てんぷら、うなぎ、洋食、中華に加えて、ケーキの店も登場する。知らない店ばかりかというと、そうでもない。人形町「玉ひで」(鳥料理)、神田神保町「柏水堂」(フランス菓子)、神田淡路町「連雀の藪」(蕎麦)といった店は行ったことがある。半世紀前の記述には興味をおぼえる。
ところで、『うまいもの』には“うどん”の店は全く登場しない。一方、蕎麦屋は、日本橋室町の「砂場」を先頭に十店舗近くが紹介されている。これは本書の著者多田鐵之助の嗜好や出身地(関東以北?)、対象地域(殆どが東京)等にもよるだろうが、当時のグルメ本における“うどんの地位”を反映しているともいえよう。また、「フランス料理」の店はあっても、「イタリア料理」の店は出ていない。したがって、スパゲッティやマカロニといった用語も出てこない。一方、たこ焼き、お好み焼きも出てこない。これらはそもそも「グルメの対象外」と考えられていたのだろう。また、当時東京では、たこ焼きの店は無かったのかもしれない。うっすらとした記憶では、一九六五年頃に渋谷・道玄坂に、たこ焼きの店ができたという記事を読んだことがあった。東京初かどうかは確認できないが、珍しいので記事になったのだろうか。戦後のグルメ本を百冊ぐらい集めて、「うどん」、「スパゲッティ」の頻出度に関する“研究”を行うのも一興であろう。