曽田英夫著『幻の時刻表』
本書の著者曽田英夫(そだ・ひでお)は、一九四八年京都市の生まれ。関西学院大学経済学部を卒業、大東京火災海上保険社に入社した。現在は、あいおい損保社に勤務する損保マンである。会社勤務の傍ら、鉄道運転運輸史研究を重ねてきた。この分野で卓越した専門家としても知られ、鉄道史学会、交通権学会の会員に名を連ねている。一方、本業との関連では日本保険学会の会員となっている。著書に『列車名徹底大研究』、『時刻表昭和史探見』があり、大久保邦彦との共著『列車名大研究』、『新・列車名大研究』、大久保邦彦・三宅俊彦との共編『鉄道運輸年表〈最新版〉』(以上JTB)等時刻表や鉄道に関する多数の著書を世に送り出した。その他『JTB時刻表復刻版』の解説、交通リスクを研究した論文などを多数執筆している。また、損害調査に携わった経験を踏まえ、自転車事故に関するユニークな著作もある。この分野での文献は極めて少なく、多方面からで注目を集めた。
曽田英夫は、戦前からの“時刻表の現物”を多数所有している。これらは先に挙げた多種多様な鉄道関係の著作を生み出す貴重な源泉といえよう。折に触れ、戦前の時刻表を眺め、ページをめくる。そのような行為を繰り返していると、現在とは違う過去の鉄道の姿が見えてくる。戦後生まれで「団塊の世代」に属する著者である。戦前の時刻表から見えてくる「過去の鉄道」の姿を、著者は知らない。時刻表を眺めたり、当時の新聞や写真等の関連資料に当たったりしながら、昔の鉄道の姿を思い浮かべる。戦前の時刻表のページをめくりながら、著者は思いつく。今では「幻」と化した路線の面影をたどってみよう。以上が、本書が出来上がるまでのプロセスだ。著者の曽田英夫が、読者に代わって時刻表のページを繰る。時には乗客役に、時には車掌役になって読者を「幻」の時刻表の世界に誘ってくれる。旅支度は不要。読んでは目を閉じイメージを描く。再びページをめくる。これを繰り返していくと、読者の瞼の裏に、ありし日の路線、戦前の日本の社会や鉄道事情が浮かんでくる。本書は、そんな仕掛けのあるユニークな著作だ。
本書を手にしてみよう。まず、冒頭に収められたカラーグラビアのページにびっくりする。そこは、まさに「レトロの世界」だ。戦前の時刻表(「時間表」という表記もある)の表紙の写真が並ぶ。表紙には、「カブトビール」、「ヱビスビール」、「仁丹」、「大學目薬」など多数の広告がでている。表紙にまで広告を掲載すること。当時では普通のことだったのであろう。しかし、二十一世紀初頭の今日では少々異様だ。いや、「史料的価値がある」と言い直しておこう。
冒頭の第一章のテーマは、東京からパリまでの旅行を当時の時刻表で辿るという企画である。具体的には、一九三七年(昭和十二年)一月の時刻表が紹介されている。正式名称は鉄道省が編纂した『汽車時間表』という名称のもの。十五時丁度、東京駅発の特急寝台「富士」に乗り、下関まで行く。到着は、翌日の九時二十五分。次いで関釜連絡船で釜山に渡る。下関駅での待時間は、約一時間ある。七時間三〇分の船旅で釜山に着く。釜山からは特急「ひかり」(という名称の列車が当時あった)に乗車、京城(現ソウル)を通り満州国の首都である新京(現長春)に向かう。この間、約二十七時間かかる。パリへの旅は、新京、ハルビン、満州里と鉄道を乗り継ぎ、満州里からはシベリア鉄道に乗る。この第一章の旅程では、作家林芙美子の『三等旅行記』の引用や言及があり興味をひく。林芙美子は、一九三一年(昭和六年)秋、シベリア鉄道経由でパリに行き、『三等旅行記』という作品を残した。この作品は永らく忘れ去られていたが、最近になって注目されてきており、関連する新刊書も出版されている。
第一章の例の如く、この本は、時刻表マニアの手により書かれたマニックな本ではない。時刻表に発する“多面的な広がり”を持つ一般読者を対象にした作品である。林芙美子の登場は、その一例にすぎない。森鴎外の“小倉行き”に際して、『鴎外日記』を辿りながら、乗った列車を確認していく。そんな場面もある(第三章)。食堂車、展望車に関しての著者の薀蓄も楽しい。また、芥川龍之介の著名な作品「トロッコ」で描かれた熱海・小田原間の軽便鉄道に関する周辺事情は、特に興味深く読んだ(第二章)。といっても、本書が提供する情報は、とりあえずは知らなくても何の支障もない事柄である。「どうでもよいこと」なのかもしれない。しかし、本書を読むと、随所で「ああ、そうであったのか!」との感懐を持つ。したがって、「どうでもよいこと」が書き連ねてある本書を読んで「損した」と思う読者は少ないであろう。
本書を、実用的に読むこともできる。本書で知りえたネタを使って、保険のセールス上の話題とするという方法だ。例えば、神戸の舞子駅付近に住む(または故郷に持つ)顧客に対しては、前記森鴎外のエピソードを提供してみよう。この情報(198,199ページ)は、顧客に対して極めて有効に作用するだろう。また、十六年の歳月をかけて一九三四年(昭和九年)に完成した丹那トンネルに関するエピソードも興味をひく。トンネルの開通とともに一夜にして“支線”に転落した御殿場線。芥川龍之介の短編『トロッコ』。御殿場線や『トロッコ』は、小田原、熱海、沼津、御殿場周辺の在住者・出身者とのコミュニケーションをはかるためには、格好の話題だ。このように、本書にはローカルな話題が満載されている。本書を活用して「保険を売る」ことは成功しなくても、初めて出会った顧客と親しくなるきっかけを作ることは可能であろう。
本書の著者曽田英夫(そだ・ひでお)は、一九四八年京都市の生まれ。関西学院大学経済学部を卒業、大東京火災海上保険社に入社した。現在は、あいおい損保社に勤務する損保マンである。会社勤務の傍ら、鉄道運転運輸史研究を重ねてきた。この分野で卓越した専門家としても知られ、鉄道史学会、交通権学会の会員に名を連ねている。一方、本業との関連では日本保険学会の会員となっている。著書に『列車名徹底大研究』、『時刻表昭和史探見』があり、大久保邦彦との共著『列車名大研究』、『新・列車名大研究』、大久保邦彦・三宅俊彦との共編『鉄道運輸年表〈最新版〉』(以上JTB)等時刻表や鉄道に関する多数の著書を世に送り出した。その他『JTB時刻表復刻版』の解説、交通リスクを研究した論文などを多数執筆している。また、損害調査に携わった経験を踏まえ、自転車事故に関するユニークな著作もある。この分野での文献は極めて少なく、多方面からで注目を集めた。
曽田英夫は、戦前からの“時刻表の現物”を多数所有している。これらは先に挙げた多種多様な鉄道関係の著作を生み出す貴重な源泉といえよう。折に触れ、戦前の時刻表を眺め、ページをめくる。そのような行為を繰り返していると、現在とは違う過去の鉄道の姿が見えてくる。戦後生まれで「団塊の世代」に属する著者である。戦前の時刻表から見えてくる「過去の鉄道」の姿を、著者は知らない。時刻表を眺めたり、当時の新聞や写真等の関連資料に当たったりしながら、昔の鉄道の姿を思い浮かべる。戦前の時刻表のページをめくりながら、著者は思いつく。今では「幻」と化した路線の面影をたどってみよう。以上が、本書が出来上がるまでのプロセスだ。著者の曽田英夫が、読者に代わって時刻表のページを繰る。時には乗客役に、時には車掌役になって読者を「幻」の時刻表の世界に誘ってくれる。旅支度は不要。読んでは目を閉じイメージを描く。再びページをめくる。これを繰り返していくと、読者の瞼の裏に、ありし日の路線、戦前の日本の社会や鉄道事情が浮かんでくる。本書は、そんな仕掛けのあるユニークな著作だ。
本書を手にしてみよう。まず、冒頭に収められたカラーグラビアのページにびっくりする。そこは、まさに「レトロの世界」だ。戦前の時刻表(「時間表」という表記もある)の表紙の写真が並ぶ。表紙には、「カブトビール」、「ヱビスビール」、「仁丹」、「大學目薬」など多数の広告がでている。表紙にまで広告を掲載すること。当時では普通のことだったのであろう。しかし、二十一世紀初頭の今日では少々異様だ。いや、「史料的価値がある」と言い直しておこう。
冒頭の第一章のテーマは、東京からパリまでの旅行を当時の時刻表で辿るという企画である。具体的には、一九三七年(昭和十二年)一月の時刻表が紹介されている。正式名称は鉄道省が編纂した『汽車時間表』という名称のもの。十五時丁度、東京駅発の特急寝台「富士」に乗り、下関まで行く。到着は、翌日の九時二十五分。次いで関釜連絡船で釜山に渡る。下関駅での待時間は、約一時間ある。七時間三〇分の船旅で釜山に着く。釜山からは特急「ひかり」(という名称の列車が当時あった)に乗車、京城(現ソウル)を通り満州国の首都である新京(現長春)に向かう。この間、約二十七時間かかる。パリへの旅は、新京、ハルビン、満州里と鉄道を乗り継ぎ、満州里からはシベリア鉄道に乗る。この第一章の旅程では、作家林芙美子の『三等旅行記』の引用や言及があり興味をひく。林芙美子は、一九三一年(昭和六年)秋、シベリア鉄道経由でパリに行き、『三等旅行記』という作品を残した。この作品は永らく忘れ去られていたが、最近になって注目されてきており、関連する新刊書も出版されている。
第一章の例の如く、この本は、時刻表マニアの手により書かれたマニックな本ではない。時刻表に発する“多面的な広がり”を持つ一般読者を対象にした作品である。林芙美子の登場は、その一例にすぎない。森鴎外の“小倉行き”に際して、『鴎外日記』を辿りながら、乗った列車を確認していく。そんな場面もある(第三章)。食堂車、展望車に関しての著者の薀蓄も楽しい。また、芥川龍之介の著名な作品「トロッコ」で描かれた熱海・小田原間の軽便鉄道に関する周辺事情は、特に興味深く読んだ(第二章)。といっても、本書が提供する情報は、とりあえずは知らなくても何の支障もない事柄である。「どうでもよいこと」なのかもしれない。しかし、本書を読むと、随所で「ああ、そうであったのか!」との感懐を持つ。したがって、「どうでもよいこと」が書き連ねてある本書を読んで「損した」と思う読者は少ないであろう。
本書を、実用的に読むこともできる。本書で知りえたネタを使って、保険のセールス上の話題とするという方法だ。例えば、神戸の舞子駅付近に住む(または故郷に持つ)顧客に対しては、前記森鴎外のエピソードを提供してみよう。この情報(198,199ページ)は、顧客に対して極めて有効に作用するだろう。また、十六年の歳月をかけて一九三四年(昭和九年)に完成した丹那トンネルに関するエピソードも興味をひく。トンネルの開通とともに一夜にして“支線”に転落した御殿場線。芥川龍之介の短編『トロッコ』。御殿場線や『トロッコ』は、小田原、熱海、沼津、御殿場周辺の在住者・出身者とのコミュニケーションをはかるためには、格好の話題だ。このように、本書にはローカルな話題が満載されている。本書を活用して「保険を売る」ことは成功しなくても、初めて出会った顧客と親しくなるきっかけを作ることは可能であろう。