読書と著作

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『幻の時刻表』

2005-09-23 08:31:25 | Weblog
曽田英夫著『幻の時刻表』
 
本書の著者曽田英夫(そだ・ひでお)は、一九四八年京都市の生まれ。関西学院大学経済学部を卒業、大東京火災海上保険社に入社した。現在は、あいおい損保社に勤務する損保マンである。会社勤務の傍ら、鉄道運転運輸史研究を重ねてきた。この分野で卓越した専門家としても知られ、鉄道史学会、交通権学会の会員に名を連ねている。一方、本業との関連では日本保険学会の会員となっている。著書に『列車名徹底大研究』、『時刻表昭和史探見』があり、大久保邦彦との共著『列車名大研究』、『新・列車名大研究』、大久保邦彦・三宅俊彦との共編『鉄道運輸年表〈最新版〉』(以上JTB)等時刻表や鉄道に関する多数の著書を世に送り出した。その他『JTB時刻表復刻版』の解説、交通リスクを研究した論文などを多数執筆している。また、損害調査に携わった経験を踏まえ、自転車事故に関するユニークな著作もある。この分野での文献は極めて少なく、多方面からで注目を集めた。

曽田英夫は、戦前からの“時刻表の現物”を多数所有している。これらは先に挙げた多種多様な鉄道関係の著作を生み出す貴重な源泉といえよう。折に触れ、戦前の時刻表を眺め、ページをめくる。そのような行為を繰り返していると、現在とは違う過去の鉄道の姿が見えてくる。戦後生まれで「団塊の世代」に属する著者である。戦前の時刻表から見えてくる「過去の鉄道」の姿を、著者は知らない。時刻表を眺めたり、当時の新聞や写真等の関連資料に当たったりしながら、昔の鉄道の姿を思い浮かべる。戦前の時刻表のページをめくりながら、著者は思いつく。今では「幻」と化した路線の面影をたどってみよう。以上が、本書が出来上がるまでのプロセスだ。著者の曽田英夫が、読者に代わって時刻表のページを繰る。時には乗客役に、時には車掌役になって読者を「幻」の時刻表の世界に誘ってくれる。旅支度は不要。読んでは目を閉じイメージを描く。再びページをめくる。これを繰り返していくと、読者の瞼の裏に、ありし日の路線、戦前の日本の社会や鉄道事情が浮かんでくる。本書は、そんな仕掛けのあるユニークな著作だ。
本書を手にしてみよう。まず、冒頭に収められたカラーグラビアのページにびっくりする。そこは、まさに「レトロの世界」だ。戦前の時刻表(「時間表」という表記もある)の表紙の写真が並ぶ。表紙には、「カブトビール」、「ヱビスビール」、「仁丹」、「大學目薬」など多数の広告がでている。表紙にまで広告を掲載すること。当時では普通のことだったのであろう。しかし、二十一世紀初頭の今日では少々異様だ。いや、「史料的価値がある」と言い直しておこう。

 冒頭の第一章のテーマは、東京からパリまでの旅行を当時の時刻表で辿るという企画である。具体的には、一九三七年(昭和十二年)一月の時刻表が紹介されている。正式名称は鉄道省が編纂した『汽車時間表』という名称のもの。十五時丁度、東京駅発の特急寝台「富士」に乗り、下関まで行く。到着は、翌日の九時二十五分。次いで関釜連絡船で釜山に渡る。下関駅での待時間は、約一時間ある。七時間三〇分の船旅で釜山に着く。釜山からは特急「ひかり」(という名称の列車が当時あった)に乗車、京城(現ソウル)を通り満州国の首都である新京(現長春)に向かう。この間、約二十七時間かかる。パリへの旅は、新京、ハルビン、満州里と鉄道を乗り継ぎ、満州里からはシベリア鉄道に乗る。この第一章の旅程では、作家林芙美子の『三等旅行記』の引用や言及があり興味をひく。林芙美子は、一九三一年(昭和六年)秋、シベリア鉄道経由でパリに行き、『三等旅行記』という作品を残した。この作品は永らく忘れ去られていたが、最近になって注目されてきており、関連する新刊書も出版されている。
 第一章の例の如く、この本は、時刻表マニアの手により書かれたマニックな本ではない。時刻表に発する“多面的な広がり”を持つ一般読者を対象にした作品である。林芙美子の登場は、その一例にすぎない。森鴎外の“小倉行き”に際して、『鴎外日記』を辿りながら、乗った列車を確認していく。そんな場面もある(第三章)。食堂車、展望車に関しての著者の薀蓄も楽しい。また、芥川龍之介の著名な作品「トロッコ」で描かれた熱海・小田原間の軽便鉄道に関する周辺事情は、特に興味深く読んだ(第二章)。といっても、本書が提供する情報は、とりあえずは知らなくても何の支障もない事柄である。「どうでもよいこと」なのかもしれない。しかし、本書を読むと、随所で「ああ、そうであったのか!」との感懐を持つ。したがって、「どうでもよいこと」が書き連ねてある本書を読んで「損した」と思う読者は少ないであろう。
本書を、実用的に読むこともできる。本書で知りえたネタを使って、保険のセールス上の話題とするという方法だ。例えば、神戸の舞子駅付近に住む(または故郷に持つ)顧客に対しては、前記森鴎外のエピソードを提供してみよう。この情報(198,199ページ)は、顧客に対して極めて有効に作用するだろう。また、十六年の歳月をかけて一九三四年(昭和九年)に完成した丹那トンネルに関するエピソードも興味をひく。トンネルの開通とともに一夜にして“支線”に転落した御殿場線。芥川龍之介の短編『トロッコ』。御殿場線や『トロッコ』は、小田原、熱海、沼津、御殿場周辺の在住者・出身者とのコミュニケーションをはかるためには、格好の話題だ。このように、本書にはローカルな話題が満載されている。本書を活用して「保険を売る」ことは成功しなくても、初めて出会った顧客と親しくなるきっかけを作ることは可能であろう。




『海のテロリズム 工作船・海賊・密航船レポート』

2005-09-23 08:26:45 | Weblog
山田吉彦著『海のテロリズム 工作船・海賊・密航船レポート』

海洋国家日本が直面する海上保安の実態を生々しく描き“警鐘を鳴らす”。山田吉彦著『海のテロリズム 工作船・海賊・密航船レポート』(PHP新書)は、そんな本である。本書は、専門家が読んでも充分役に立つ。一方、一般市民の教養書として楽しむことできる。その内容は「アット驚く」もので、断片的にしか知らず認識していなかった日本の「海の安全」についての理解を深めてくれる啓蒙の書だ。著者は一九六二年の生まれ。学習院大学経済学部卒業後金融機関勤務などを経て、現在は日本財団海洋船舶部長の職にある。日本の海上保安体制、マラッカ海峡の航行安全対策に関する専門家で、「海賊、マラッカの風の中で」により、一九九九年第三回海洋文学大賞の佳作に入選した。本書はこれらの実績を踏まえて書かれている。本書は、次の三部から構成される。

第一部 日本を取り巻く海の犯罪
第二部 アジア海賊事情
第三部 海の安全をまもるために
第一部では北朝鮮工作船、放置外国船を扱う。
第二部は、本書の中核をなす部分。海賊、とりわけマラッカ海峡の海賊の実態に迫る。
七十七ページから百八十八ページと、本書では最も多くのページを割いている。
第三部は、海上保安庁がとっている安全対策、シンガポールやアメリカなど各国が実施している安全対策を紹介している。

海上保安庁の資料によると、一九八九年以降二〇〇二年迄に日本関係の船舶が海賊の被害にあった件数は百八十二件。一九九六年以降急増している。すなわち一九八九年から九五年までは毎年二~八件の被害であったものが、九六年以降は十一~三十九件といった具合。特に一九九九年、二〇〇〇年は二年連続して三〇件を超えた(七九ページの表による)。上記百八十二件のうち、一二七件が東南アジアで発生している。世界的規模でみると二〇〇二年に発生した海賊発生件数は三七〇件。うちアジアで発生したものは二二二件と過半数を占める。それでもピーク時の二〇〇〇年の四六九件(アジア三五五件)に比べると減少はしている。国際的な海賊対策は一九九三年に始まった。国際海事機関(IMO)は「マラッカ海峡に関するワーキンググループ」を設置、東南アジア海域の海賊被害状況の調査団を現地に派遣した。その後、国際的に海賊を押さえ込むための施策・情報交換が行われてきている。一方、同じ時期に海賊も進化してきた。「シンジケート型海賊」というのがそれで、多国籍で海賊行為をシステム化してきている。海賊により盗取された船舶は、専門の業者により色が塗り替えられ“別な船”になりすまし、新たな犯罪に使用される。襲った船から持ち出した積荷は、別な船に積み替えられ東南アジア各国の港に移送。その地のブラックマーケットで処分される。ガソリン、アルミインゴットなど付加価値の高い商品が狙われる。
マラッカ海峡に浮かぶカリムン島。ここには、別名「海賊の島」といわれ、先祖代々海賊を業とする家族が住む村がある。この地を著者は訪れ取材している(一六四ページ以下)。本書はデータの裏づけとともに著者の足を使って集めた情報が多く使われ、叙述にリアリティーがある。
(二〇〇三年・PHP新書・六八〇円)

『神戸大学柔道部回顧録(戦前編)』『同(戦後編』

2005-09-23 07:46:47 | Weblog
『神戸大学柔道部回顧録(戦前編)』『神戸大学柔道部回顧録(戦後編)』を読んで


日露戦争開戦の前年である一九〇三年(明治三十六年)。この年、旧神戸高等商業学校に柔道部ができた。昨年(二〇〇三年)は神戸大学柔道部創部百年にあたり、それを記念して「神戸大学柔道部回顧録(戦後編)」が刊行された。すでに一九八五年(昭和六十二年)に刊行された「神戸大学柔道部回顧録(戦前戦中編)」と同一の体裁で作成されており、二冊セットで五百五十ページというボリューム。百年の重みをずっしりと感じる。今般、柔道部OBのご好意でこれら二冊に目を通す機会を得た。本稿は柔道部関係者外のからの印象記である。

神戸大学柔道部の歴史。それは神戸高商創立の翌年一九〇三年(明治三十六年)六月にまで遡ることができる。当時の名称は武術部柔道科。明治期のメンバーには出光佐三氏(出光興産創業者)、石井光次郎氏(元衆議院議長・元横綱審議会委員長)の名がある。「戦前戦中編」の五十六ページ以下には「草創期の神戸高商柔道部 ―石井光次郎大先輩にきくー」が掲載されている。これは、一九七七年(昭和五十二年)に石井光次郎氏邸で開かれたもの。大正、昭和期の卒業生が明治期最後の卒業生石井光次郎氏から在学中の柔道部事情を拝聴している。初期の柔道部では大阪高等工業(現大阪大学工学部)、御影師範(現神戸大発達科学部)、試合をしていたという記録がある。第六高等学校(現岡山大学)との対抗戦もあった。また、いかにも港町神戸らしい話題として、在留外国人との試合をした記録も残っている(例えば、「戦前戦中編」四十三ページ、ビショップ君との対戦)。
二十一世紀初頭の今日に引き継がれている旧三商大戦とのルーツは一九一六年(大正五年)に始まる東京高商(現一橋大)と神戸高商(現神戸大)との対抗戦。神田一橋の東京高商講堂で第一回大会が開催された。来賓として渋沢栄一、嘉納治五郎、内田信也といった「歴史上の人物」が名を連ねている。講道館長嘉納治五郎師範は審判員の一人だった。第一回大会は接戦の末大将同士の対戦で神戸が勝つ。この定期戦は一時の中断の後、一九三一年(昭和六年)に大阪商大(現大阪市大)を加えて三商大柔道連盟戦として復活する。更に、戦時中に事実上中断(開催の無期延期)の後一九五三年(昭和二十八年)に復活し現在に至っている。「戦後編」四十三ページ以下には、一九三一年以来の三商大戦・旧三商大戦の戦績が掲載されている。最近の神戸大の戦績は極めて良好。一九九四年(平成六年)から二〇〇二年(平成十四年)まで、一橋大に優勝を譲った一九九八年(平成十年)を除き優勝を続けている。
今日では全く考えも及ばないこと。それは戦後の一時期にGHQの意向で学生柔道は禁止されていたことである。一九五〇年(昭和二十五年)ようやく禁止令が解かれ、翌年入学した学生たちにより柔道部は再興されていく。当時の教養課程は御影と姫路に分かれていたことも加わり、柔道部の再興には苦労が多かった。「戦後編」三十七ページ以下には、柔道部再興当時に活躍した七名の卒業生を囲む座談会(二〇〇二年東京・九段会館)の模様が収録されている。座談会出席者のひとりに清水國弘氏(一九五六年文学部卒)がいる。清水氏は奈良県柔道連盟会長・柔道七段、天理高校柔道部長・天理高校校長を歴任。天理高校柔道部の礎を築いた。清水氏のように学生柔道界の発展のために活躍している神戸大柔道部OBの氏名が「戦後編」二四二ページ以下にリストアップされている。
明治から昭和初期まで二十五年間にわたり柔道部初代師範をつとめた安国幸左右衛門氏(嘉納治五郎直弟子、早稲田大学卒)およびその御遺族と神戸大学柔道部の間に百年にわたり続く暖かい交流。北川宗蔵作詞・田中銀之助作曲の柔道部歌「陣鼓」。六甲登山口にあった喫茶店エクラン店主広瀬茂子さんが座談会へ参加、柔道部員たちとの交流を語っている(エクランは一九三四年に開店)こと。女子部員の対外試合初出場(一九九一年)。阪神大震災による六甲台道場の被災とその復興。以上のほか本稿で紹介、言及したいことは種々あるが、割愛せざるをえない。「神戸大学柔道部回顧録(戦後編)」、「神戸大学柔道部回顧録(戦前戦中編)」は、本来神戸大学柔道部関係者のために編纂・出版されたものである。しかし、ページをめくっていくと神戸大学百年の歴史のみならず、港町神戸の社会・風俗・文化史としても貴重な文献であることに気がつく。寄贈を受けた神戸市立中央図書館からは「大歓迎」を受けたと聞いている。



ご労作、拝読しました。
柔道部OBの私としては、できれば、柔道マンとしての石井先輩も取り上げてほしいところです。
明治41年の対六高戦の4人抜きは斯界の伝説であり、また、戦後復活柔道部後援会
の名誉会長でした。
この間の事情は、柔道部回顧録戦前戦中編のP53~64、同戦後編のP13、P242
をご参照下さい。
毎々、勝手なことばかり申し上げ、恐縮ですが、よろしくお願いします。」
                          

お申し込み先・お問い合わせ


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(現金書留)
〒651-1141 神戸市北区泉台3-11-14
田中稔 気付 「神戸大学柔道部後援会」
TEL 078-591-8109





『日本の経済学を築いた五十人 ノン・マルクス経済学者の足跡』

2005-09-23 07:42:05 | Weblog
上久保敏著『日本の経済学を築いた五十人 ノン・マルクス経済学者の足跡』から

経済学分野でユニークな著作が刊行された。大阪工業大学上久保敏(かみくぼ・さとし)助教授の手による『日本の経済学を築いた五十人 ノン・マルクス経済学者の足跡』(2003年・日本評論社・2500円)が、その書名。福田徳三(1874-1930)以下50人の経済学者の経歴と業績が、簡明に纏められている。50人の中には神戸大学経済・経営・法学部の前身校である神戸高等商業学校で教授をつとめた津村秀松、坂西由蔵、飯島幡司が登場する。また、神戸高等商業学校が大学に昇格して神戸商業大学教授をつとめ、更に戦後の学制改革により誕生した神戸大学経済学部教授となった宮田喜代蔵も50人のひとりとなっている。以上のほか、本書の索引には内田銀蔵、田中金司、丸谷喜市、水島銕也、水谷一雄等神戸高等商業学校から神戸大学に至る間で校長や教授をつとめた諸先生の名が出てくる。

そのほか、神戸大学関係者として、神戸高等商業学校を卒業して一橋大学の前身校東京商科大学で学び一橋大学教授をつとめた中山伊知郎、鬼頭仁三郎、赤松要や、小樽商大の前身小樽高等商業学校の名物教授大西猪之助等も50人の経済学者の一人として取り上げられている。また、「50人」の中に入っていないが索引に名が出ている大塚金之助、高垣寅次郎(ともに一橋大学教授)も神戸高等商業学校の卒業生。

上久保敏教授は1963年の生まれ。東京大学経済学部で早坂忠教授の指導を受けた。三和総研(現UFJ総研)を経て2002年から現職。古書店をまわり戦前の経済書をあつめるという地道な努力により、本書ができあがった。本文中に、ところどころで「感動的な古本との出会い」も語られている。このような経済書は珍しい。

『価値創造型リスクマネジメント-その概念と実例』

2005-09-23 07:38:57 | Weblog
上田和勇著『価値創造型リスクマネジメント-その概念と実例』(第2版)

本書の初版は、二〇〇三年十月の刊行。翌年、日本リスクマネジメント学会賞を受賞した。著者である上田和勇(うえだ・かずお)氏は、専修大学商学部教授(商学博士)。一九五〇年、愛媛県に生まれ、早稲田大学商学部を卒業後、安田火災海上保険に入社する。その後、母校の大学院を修了(修士および博士)した。専修大学では保険論、リスクマネジメント、金融サービスの講義を担当している。一九八三年に刊行した『保険マーケティング入門』(損害保険企画)にはじまり、保険と消費者の接点を理論と実際の双方から分析した著書が多数ある。イギリス、オーストラリアへの留学を経て、最近の関心は「企業のリスクマネジメント問題を国際的視点からの分析」にある。
現代の企業は、企業目標をベースにしたリスク分析を行ったうえで、必要に応じてリスクをとり、リスクがもたらす損失の最小化と利益の最大化の双方の可能性を高めていかなければならない。同時に、その状況を企業の利害関係者(ステークホルダーズ)に対して説明する責任(アカウンタビリティー)が求められている。それに応えうるリスクマネジメントの存在が不可欠だ。ところが、ここ数年の一流企業において発生した数々の不祥事(雪印乳業集団中毒事件、三菱自動車のリコール隠し、三井物産の国後島不正入札問題、日本ハム食肉偽装表示問題等)を見ていくと、リスクに対する対応が極めて不満足な状況にある。事後的、場当たり的と批判されても抗弁のしようがない。一方、わが国では企業内に効果的で総合的なリスクマネジメントを行うための部署を設けているのは、ほんの僅か。一割以下にすぎないという調査結果もでている。
 海外に目をむけてみよう。イギリスでは法律等により上場企業の利害関係者への「リスク情報の開示」が、二〇〇〇年以降要請されるようになった。このような背景から、イギリスではリスクマネジメントをいかに企業内に組み込むかという視点からの“企業改革”が進んでいる。また、ドイツでは、一九九八年以降企業の取締役会に合理的なリスクマネジメントシステムの確保を要請する法律(Kon Trag)が施行されている。
 オーストラリアの動向も注目されている。ここでは上場企業の二五%から三〇%が、企業全体の統合的リスク管理についての責任者チーフ・リスク・オフィサーのポストを設けているという。一九九五年、世界最初のリスクマネジメントの規格が開発された。これはオーストラリアとニュージーランドの共同開発によるもの。更に、この規格は一九九九年に改定されている(AS/NZS4360:1999)。
 以上のように海外では、リスクマネジメントは現代企業にとってネガティブな存在ではなく、“企業価値向上に貢献”させるというポジティブな方向にある。残念ながら、この点においてわが国は遅れている。本書は、リスクマネジメント分野における著者の永年の研鑽に加え、最新の海外動向を踏まえた労作。本書のタイトル『価値創造型リスクマネジメント』には、著者の強い思いと問題意識が込められている。
 (二〇〇五年、白桃書房、二五二〇円)