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『新・環境倫理学のすすめ』

2005-09-10 01:23:19 | Weblog
 加藤尚武『新・環境倫理学のすすめ』を読む。テーマには興味をそそられるが、「環境倫理学」という”学”の立場から説きおこしていることもあって、マルクス、へ-ゲル、ミル、。ジョン・ロックといった学者たちの名が頻出する。西欧人だけではない。熊沢蕃山も登場する。比較的おなじみの学者に混じり、一般にはなじみのない学者の名や理論の解説が出てくる。したがって、内容は少々難解だ。しかし、著者の提起する問題は極めて的を得たもの。そして単純でさえある本書をスラスラ読めなくても概要は充分に理解できる。

一例を挙げてみよう。京都の「北山杉」が、俎上に乗せられている。「北山杉」というのは、ある時代に金銭的収益を最大にすることを目的につくられた人工的な生態である。樹木の種類は単一、樹幹部分に枝が出ないよう剪定されている。炭酸同化作用という観点からは、”極めて粗悪な生態”と著者はバサリと切り捨てる(72ページ)。

 かつての日本では「環境問題を倫理的に考察する」ことが、受け入れられていなかった。そのような時期に本書の著者加藤尚武は、『環境倫理学のすすめ』(丸善ライブラリー)を世に送った。これが1991年のこと。「気候変動枠組条約」加盟の各国が京都に集まり、第三回会議が開かれたのが1997年。このとき、京都議定書が採択されたというから、著者の前著が如何に先駆的であったかが良く分かる。現在、不動の地位を確立している市場経済、民主主義、基本的人権の三原則。しかし、”持続的可能という長期的尺度に基づく最善の選択”という観点からは、これら三原則だけでは不十分である。この考え方が本書を貫いている心棒であるといってよい。
 まだ誰の財産でもない資源の枯渇。誰もが所有権を放棄した廃棄物の累積。これらは、市場経済の原則からみると、経済的な取引の外部には乱してしまう。この点については例えば第2章(持続可能性とは何か)で、取り扱っている。民主主義の原則は、ある時期の、ある国の人々の合意という前提がある。したがって、他の国、未来の世代(すなわち人類の子孫)の利益擁護とは無関係の存在である。第9章(国際化)では、先進国と後進国の環境責任の配分について考察している。また、基本的人権の原則の対象はヒトにのみ適用される。ヒト以外の動植物の擁護とは無関係な存在である。この点に関しては、本書第5章(自然保護と生物多様性)で論じられている。

 著者は京都大学名誉教授。鳥取環境大学学長をつとめた(現在は名誉学長)環境倫理学、応用倫理学の第一人者である。

(2005年、丸善ライブラリー、780円+税)