十勝沖地震ー昭和27年
”十勝沖地震”は、北海道の十勝地方の沖合を震源として起こる地震。十勝沖では、過去に数回大きな地震が発生、”十勝沖地震”の名称が付けられている。記憶に新しいところでは、2008年9月11日(震源:北海道襟裳岬東南東沖、M 7.1、最大震度5弱(暫定値))や、2003年9月26日(震源:十勝沖、M7.1 、震度6弱)の”十勝沖地震”がある。
ここに紹介するのは、1952年(昭和27年)3月4日午前10時22分44秒に発生した“十勝沖地震”。震源地は、北海道襟裳岬東方沖約50km 、M8.2、震度6の地震であった。この地震は、北海道南部と東北地方北部に被害をもたらしている。地震のあとに、北海道から関東地方にかけての太平洋沿岸に津波が襲来した。特に、道東の厚岸湾・浜中湾では、津波が沿岸の流氷を砕き、氷片が陸地に押し寄せた。このため、家屋や漁船、ノリ・コンブ・カキ等の養殖施設に多大の損害をもたらす。地震による被害が特に大きかったのは、十勝川・大津川下流域等の泥炭地帯。大津、浦幌、豊頃では、家屋の全半壊率が50%を超えた。死者は33人。家屋全壊815戸、家屋半壊・破損7719戸、家屋流失91戸、家屋浸水328戸という被害状況であった。また、船舶の被害が451隻に達した。牧場にあるサイロも破損または倒壊する。サイロの全壊90、中壊156、亀裂104といった状況であった。鉄道の被害も大きい。特に橋梁の損壊が多く、古い設計で下部構造がレンガ造のものの被害が大きかった。
高さ3メートルの津波が厚さ1メートル以上の流氷を押し上げてきて沿岸を襲う。このタイプの災害は前例がない。3月6日付朝日新聞では、「暴威振った流氷 霧多布 一瞬、津波にのまる」のタイトルで、流氷による被害をやや詳しく報じている。厚岸郡浜中村霧多布地区は全600戸のうち半数が流失または浸水した。流氷により家屋の柱は折れ、戸には穴があく。被災の翌日の午後になっても地区の中央の道路は腰まで水に浸かるという状態、冷たい海水には氷が混じる。この地区には、救援物資として米軍機から毛布900枚が投下されたことも報じられている。
たまたま、この地震の前日が1933年(昭和8年)の大津波を伴った三陸沖地震の記念日にあたった。三陸沖地震の被災地では、これに因んだ防災訓練を実施していた。そのために、津波予報が有効に機能し、被害を軽減することが出来たという。
なお、“十勝沖地震”は、1968年(昭和43年)5月16日にも発生している。この地震の震源地は、北海道襟裳岬東南東沖120km。M7.9、震度5の規模の地震であった。函館市、苫小牧市、浦河町、広尾町(以上北海道)のほか、青森、岩手両県にも被害をもたらした。
【参考文献】
力武常次・竹田厚監修『日本の自然災害』1998年、国会資料編纂会
十勝沖地震ー昭和27年
”十勝沖地震”は、北海道の十勝地方の沖合を震源として起こる地震。十勝沖では、過去に数回大きな地震が発生、”十勝沖地震”の名称が付けられている。記憶に新しいところでは、2008年9月11日(震源:北海道襟裳岬東南東沖、M 7.1、最大震度5弱(暫定値))や、2003年9月26日(震源:十勝沖、M7.1 、震度6弱)の”十勝沖地震”がある。
ここに紹介するのは、1952年(昭和27年)3月4日午前10時22分44秒に発生した“十勝沖地震”。震源地は、北海道襟裳岬東方沖約50km 、M8.2、震度6の地震であった。この地震は、北海道南部と東北地方北部に被害をもたらしている。地震のあとに、北海道から関東地方にかけての太平洋沿岸に津波が襲来した。特に、道東の厚岸湾・浜中湾では、津波が沿岸の流氷を砕き、氷片が陸地に押し寄せた。このため、家屋や漁船、ノリ・コンブ・カキ等の養殖施設に多大の損害をもたらす。地震による被害が特に大きかったのは、十勝川・大津川下流域等の泥炭地帯。大津、浦幌、豊頃では、家屋の全半壊率が50%を超えた。死者は33人。家屋全壊815戸、家屋半壊・破損7719戸、家屋流失91戸、家屋浸水328戸という被害状況であった。また、船舶の被害が451隻に達した。牧場にあるサイロも破損または倒壊する。サイロの全壊90、中壊156、亀裂104といった状況であった。鉄道の被害も大きい。特に橋梁の損壊が多く、古い設計で下部構造がレンガ造のものの被害が大きかった。
高さ3メートルの津波が厚さ1メートル以上の流氷を押し上げてきて沿岸を襲う。このタイプの災害は前例がない。3月6日付朝日新聞では、「暴威振った流氷 霧多布 一瞬、津波にのまる」のタイトルで、流氷による被害をやや詳しく報じている。厚岸郡浜中村霧多布地区は全600戸のうち半数が流失または浸水した。流氷により家屋の柱は折れ、戸には穴があく。被災の翌日の午後になっても地区の中央の道路は腰まで水に浸かるという状態、冷たい海水には氷が混じる。この地区には、救援物資として米軍機から毛布900枚が投下されたことも報じられている。
たまたま、この地震の前日が1933年(昭和8年)の大津波を伴った三陸沖地震の記念日にあたった。三陸沖地震の被災地では、これに因んだ防災訓練を実施していた。そのために、津波予報が有効に機能し、被害を軽減することが出来たという。
なお、“十勝沖地震”は、1968年(昭和43年)5月16日にも発生している。この地震の震源地は、北海道襟裳岬東南東沖120km。M7.9、震度5の規模の地震であった。函館市、苫小牧市、浦河町、広尾町(以上北海道)のほか、青森、岩手両県にも被害をもたらした。
【参考文献】
力武常次・竹田厚監修『日本の自然災害』1998年、国会資料編纂会
十勝沖地震ー昭和27年