読書と著作

読書の記録と著作の概要

『出雲そば街道 出雲・石見・隠岐・伯耆のそば屋めぐり』

2007-09-25 14:40:06 | Weblog
『出雲そば街道 出雲・石見・隠岐・伯耆のそば屋めぐり』

これまで本欄では、武蔵野うどん等都内のうどん店の探訪記を連載してきたが、今回は編集長のご了解のもと出雲そばに関する本の紹介をしてみたい。

『出雲そば街道 出雲・石見・隠岐・伯耆のそば屋めぐり』の発行は2007年6月29日。刊行まもない新刊書である。発行元は島根県出雲市に所在する(有)ワンライン(電話0853-21-0068)で、まさに地元の本であり、うわっつらでない綿密な取材がなされている。全部で79軒の出雲そばの店が紹介されている。全160ページ、定価は1333円+税とリーズナブル。旅行者にとっても、気軽に持っていける本である。目次は以下のとおり。

第一章 島根県のそば屋 52軒
第二章 鳥取県のそば屋 27軒
第三章 出雲そばの手打ち技術
第四章 出雲そば・三瓶そば・隠岐そば・大山そば
第五章 そば小咄

本書には合計79店の出雲蕎麦の店が登場する。どの店をここで紹介するか迷ってしまう。女優の黒木瞳さんが、エッセイのなかで「松江城の近くにあるお蕎麦屋さん」の素朴で歯ごたえのある出雲蕎麦の味・・」と、松江の旅を回想していたことを思い出した(松江観光協会編・発行『和の心 日本の美 松江 三十六人の松江物語』2007年)。さて、その店はどこだろうとページをめくっていく。黒木瞳さんに強い印象を残したのは、本書の42ページに登場する「八雲庵」ではなかろうかと思った。「八雲庵」は、松江城、小泉八雲記念館、武家屋敷と松江の観光スポットに隣接している。店の構えもレトロな木造建築。人気メニューは「鴨なんばん」。
『出雲そば街道』をみていると、「八雲庵」以外にも行きたい店はたくさんある。てんぷら、ネギ、大根おろし、とろろ、玉子、海苔、鶏肉や鴨肉とおいしそうな具の数々。そして、なによりも少々黒っぽい蕎麦が興味を惹く。本書第三章には、出雲そばができるまでの工程が写真入で詳述されている。その最初の部分の「製粉」の項を見ると、“黒っぽい色”の理由がわかる。玄そばから殻を除いた「丸抜き」と磨いた(ほこり、土、へた等を取り除いた)「玄そば」を50%ずつ混ぜて石臼で挽いて、出雲そばのそば粉ができあがる。「玄そば」の殻は、少々黒い。


畔柳修著『「言いたいことが言えない人」のための本』

2007-09-23 22:58:37 | Weblog
畔柳修著『「言いたいことが言えない人」のための本』

同僚に頼みごとができない。上司に反論できない。部下を叱れない。このような悩みをもったビジネスマンは多い。本書は、そんな悩みを解決するための一助となるかもしれない。本書の著者である畔柳修(くろやなぎ おさむ)氏は、ライブデザイン研究所所長。『こころの健康ワークブック』(PHP)等の著書がある。本書の冒頭部分で、著者は、ホテルの従業員とお客の関係から、コミュニケションの仕方を考えさせる。「顧客満足度が極めて高いことで知られるホテル、リッツ・カールトンでは、お客様と目線を合わせることを大切にしているそうです」と著者は語りかける。リッツ・カールトンでは、”紳士淑女”であるお客様にお使えするスタッフも”紳士淑女”であると定義している。お客様と同じ目線で、積極的にコミュニケーションを取ろうとする企業文化、風土が根づいているそうだ。一方、日本のホテルでは、お客様は”上の存在”。サービススタッフは下から仕えるものという認識がまだまだ強い。”こちらからお客様に話しかけたりしては失礼ではないだろうか”と考える習慣が残っている。そのためスタッフは、お客様より一段へりくだってサービスすることが常識になってしまった。スタッフはあくまでサーバント(給仕する人)なのだ。
 しかし、心が通ったサービスをするには、「お客様とスタッフが同じ目線を持って尊敬し合うことが必要不可欠ではないでしょうか」と著者は問いかける。お客様は”上”。そのような感覚を持ち続けるならば、スムーズなコミュニケーションは取れず、人間対人間の信頼関係を築くことは難しくなる。これは、ホテルの現場だけでない。一般の仕事、普段の生活でも参考になる話題ではなかろうか。これが著者の考え方である。ビジネスの現場では、相手の意見を尊重しつつ、適切に自分の考えを表明することが、業務を円滑にするだけでなく、健全な職場(社会)生活に不可欠だ。にもかかわらず、実際には、自分の意見を押し通すために高圧的に振る舞ったり、相手に萎縮して自分の考えを全く伝えられずにいることがしばしば起こっちる。これが現状であろう。これは、リッツ・カールトンの例でいえば、自分と相手が同じ目線で尊敬し合う関係になっていないからだといえよう。
自分の気持ち/考えを「攻撃的になることなく」「萎縮することなく」適切に伝える態度・ふるまいを「アサーティブ」といいう。本書では、著者の人材コンサルタントとしての経験を交えながら、ビジネスの現場で実践できる「アサーティブ」なかかわり方が紹介されている。

アサーティブという英語は、「自己表現」とか「自己主張」と訳される。このため、表現する、主張するという「伝える技術」に限定するものだと受け取られがちだ。また、コミュニケーションというと、どうしても、「こんなときどう伝えたらいいのだろう」「さっきはどのように断ったらよかったんだろう」と、えてして”ハウツー”になりがち。しかし、アサーティブは、自分と相手を同様に大切にしてコミュニケーションを取るための「伝え方のスキル」でありながらも、本質的には、相手とどのよう な人間関係を構築したいのかという「自分と相手との向き合い方」を考えるものである。

1章 言うべきことが言えない!思うように伝えられない!ーー対人関係の3つのタイプ
2章 なぜ素直に表現できない?ーー無意識のうちにあなたを縛る思考の”クセ”
3章 「思い込み」から抜け出そう!ーーアサーティブになるための思考レッスン
4章 言いにくいことでも素直に表現し、伝えよう!ーーアサーティブな話し方レッスン
5章 積極的に聴き、相手をほめようーーアサーティブは”聴く”ことから
                                    (2007年、同文舘出版、1300円+税)
 

岩男壽美子『外国人犯罪者 彼らは何を考えているのか』

2007-09-22 10:22:21 | Weblog
岩男壽美子『外国人犯罪者 彼らは何を考えているのか』

国際化社会の光と影。その影の部分の一つが来日外国人による犯罪の増加であるといえよう。過去25年間、来日外国人による犯罪は増加傾向にあり、これまでマスコミを通じて様々なかたちで問題提起がなされてきた。2005年度中の来日外国人の刑法犯の検挙者数約33000件に達している。これは、10年前の2倍に近い。凶悪犯についてみると、殺人51人、強盗235件、放火9件、強姦19件という数値が記録されている。外国人との共生と日本国民の安全。この課題を両立させるにはどうすればよいのか。そのためには、異なる文化背景や行動原理について実態に沿った理解しなければならない。犯罪に置けるグローバル化とは何か。これらの諸問題を端的に知る必要がある。本書は、そのような問題意識のもとで編まれた貴重な報告書である。

本書は来日外国人犯罪に関する文献であるが、類書にはない特色を持つ。著者は、全国5カ所の刑務所(男子は府中、横浜、八王子、大阪。女子は栃木、和歌山。)に服役中の犯罪者2千余名を対象に調査を行い、それをもとに、日本人と外国人の犯罪意識と行動を比較考察している。英語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、ペルシャ語等外国語を駆使した大掛かりな調査である。「外国人犯罪者はどこの国から来日しているか」、「来日回数と服役経験」、「犯罪者から見た日本」等様々な角度からの綿密な調査とその分析から本書は構成されている。来日外国人犯罪に関するデータ集という性格の本であるが、新書版として書かれているだけあって、”読ませる”内容となっている点が特色だ。

著者の岩男壽美子(いわお・すみこ)は、1935年(昭和10年)、大阪府生まれ。慶応義塾大学文学部卒業、イェール大学大学院博士課程修了、慶応義塾大学教授、武蔵工業大学教授、男女共同参画審議会会長、国家公安委員などを歴任した。現在、慶応義塾大学名誉教授、武蔵工業大学名誉教授。著書に『おんなの知恵』(三修者)、『日本で学ぶ留学生』(共著・勁草書房)などがある。著者が、外国人犯罪者について強い関心をいだき、本書を刊行するにいたる契機となったのは、上記経歴の中の国家公安委員を経験したことにある。

2005年中の来日外国人財産犯による被害総額は約83億円(前年比18億円増)、うち9割の75億3000万円は窃盗による被害額であった。その中で目立つものとして自動車やオートバイなどの乗り物盗による被害が挙げられる。これは前年より8億8000万円という大幅な増加を見せ、21億8000万円に達した。日本損害保険協会によると、2004年度の自動車盗難(車上狙いを含む)に支払った保険金は542億円に達している。ただし、これら全てに来日外国人が関係しているわけではない。日本人だけの犯行によるものの他に外国人との混成グループによるものがある。たとえば日本人の暴力団員が組織した22名の自動車窃盗集団と9名のナイジェリア人が組んで実行した500件、被害総額8億円にのぼる一連の自動車盗事件のようなケースも少なくない。このケースのような犯罪者間の(とんでもない)「国際協力」は、ますます進化するばかりである。日本損害保険協会では、車両保険の普及率が36%であることから、日本で発生する自動車盗難の損失は1000億円以上と推計している。2004年度 における偽造キャッシュカードによる被害額が10億円。同年のクレジットカードの不正使用額が186億円である。この数値と比較してみると自動車盗難による損失は桁違いに大きい。自動車盗被害は、特に高性能の四輪駆動車と高級車に集中しており、これらの日本車に対する海外での人気ぶりが想像できる。かつて自動車窃盗はキーをつけたままの車が盗まれるものが中心といわれていた。ところが、最近では車のキーを抜いてロックしておいても盗まれる強引な窃盗目的のケースが増えてきた。
2005年には盗難件数の72%に達している。これには、1995年に政府が”規制緩和”の一環として中古車の承認制度を廃止したことが原因になっているようだ。盗まれた自動車はバラバラに解体してされ海外に運ばれたり、車体番号を改竄して不正輸出される。 また、インターネット・オークションにかけられたりする。盗難車が被害者の元に戻ってくる還付率は2005年にはわずか3割にすぎない。EU諸国の中で唯一日本と同じ右ハンドルの国が英国。その英国で発見される盗難日本車が増えている。日本損害保険協会は2001年3月、英国に調査団を派遣した。その報告では、当時英国の警察には盗難日本車と認知された車が800台以上保管されていたという。しかし、実際には、認知件数をはるかに上回る盗難日本車が英国に持ち込まれていたに違いない。
                                 (2007年、中央公論新社、定価780円+税)

ハンス・ニックリッシュ著『パパにはかなわない』

2007-09-19 02:17:56 | Weblog
ハンス・ニックリッシュ著『パパにはかなわない』

ドイツのユーモア小説。著者の父はドイツの著名な経営学者で、多くの日本の経営学者に影響を与えた。『パパにはかなわない』の一家は、ハンスの少年時代の体験が織り込まれている。この物語には日本人のワタナベという人物がでてくるが、ワタナベのモデルとなったのは、戦前にニックリッシュの研究室で学んでいた平井泰太郎である。平井泰太郎(神戸高商を経て東京高商専攻部卒)は、母校の神戸大学に日本で最初の経営学部を創設し、経営学博士第1号となった。『パパにはかなわない』は、1961年に筑摩書房から世界ユーモア文学全集の1冊として翻訳出版された。その際の「月報」に、平井泰太郎が戦前のニックリッシュ一家の思いでを寄稿している。

【読書案内】
ハンス・ニックリッシュ著『パパにはかなわない』(1961年、筑摩書房、「世界ユーモア全集12」所収)

南海道大地震 ー昭和21年

2007-09-17 09:43:27 | Weblog
南海道大地震 ー昭和21年

1946年(昭和21年)12月21日午前4時20分、四国地方を中心として、中部地方から九州までの広範囲を、M8.1の大きな地震が襲った。いわゆる南海道地震である。

 震源地は紀伊半島沖約40キロの地点。深さは20キロであった。地震の規模としては、関東大震災より大きかった。震源が海岸から離れた海底であったため、当初は、地震の規模に比較してそれほど大きな被害は出ていないと推測されていた。ところが被害は、四国、九州、近畿、中国、中部地方の一部という広い範囲に及んだ。和歌山県新宮市では市の3分の1を焼失するという地震が原因の火災が生じた。全国で死者1,330人、行方不明者102人、負傷者2,632人を数えた。さらに全壊家屋は11,591戸、半壊家屋23,487戸、船舶の流出ないし破損は2,991隻に達した。地震の直後、最も早いところでは地震発生のわずか10分後に、高さ六6メートルを超す津波が襲い、田辺市に隣接する新庄村(1954年に田辺市に編入)では死者が20人を数え、全戸数630のうち99戸が流出、338戸が全半壊、297戸が床上浸水の被害を受けた。三重、徳島、高知と広い範囲を襲った津波による被害は、全国で流出家屋1,451戸、浸水家屋33,093戸であった。この津波は、遠くハワイやカリフォルニア半島にも達した。大きな被災地のひとつである和歌山県の地震直後の状況を、朝日新聞は、次のように伝えている。
                          ○
 海南市に急行した。街の中には真っ黒いどろ土がいっぱい、壁土が無残に落ちひしゃげた家も散見される。(中略)同市の繁華街東浜通りには電車のホーム がひんまがり、木片が散乱、また潮水が浅いところで四尺(約1.2メートル)余、高潮が小刻みに襲ってくる。黒江軍港付近の電車道には、十数トンの機帆船が二隻打ち上げられ、省線海南駅前道路には倒壊家屋が横たわって行く手をはば む。
                          ○
 以上のような大きな被害をもたらした直接的な原因は、もちろん地震の規模が極めて大きかったことにある。しかし、戦災による物資不足のために間に合わせの建造物や、不十分な地盤基礎工事、そして救済活動を行う組織の整備がまだ不十分だったことも大きな原因だった。この災害には、在日米軍から贈られた医療品、ローマ法王ピオ12世からの救援資金など、世界中から救いの手が差しのべられた。しかし、この地震は戦争の痛手から立ち直っていない日本にとって、実に大きな「自然の追いうち」であった。なお、2月23日付朝日新聞によると、元東大教授今村明恒博士が、この地震を予知する手紙を高知県室戸町宛2月13日に発信していたという。ちなみに、当時の朝日新聞は裏表2ページという貧弱なものであった。

参考文献
『昭和二万日の全記録……第7巻 廃墟からの出発 昭和20年・21年』(1989年、講談社)