私は 小包を送るために 住む街の最寄りの郵便局ではなくて KLセントラル駅のところの POSLAJUに
行きました。
それには 訳があります。
今 日本では 荷物を出すときに 宅配便が 何社もあって 簡単に荷物を送ることができます。
受け取りも 自宅で 時間指定まで できます。
便利です。
マレーシアには そこまでの配達システムは ありません。
もしかすると 日本は 世界一べんりかもしれません。
あたり前のようなことですが 私が子どもの頃は 違いました。
荷物と言えば 郵便局と鉄道でした。
小さい小包は 郵便屋さんでしたが 大きな荷物は 鉄道便でした。
JRが国鉄の時代です。
母の里は 北陸の街。
里から 母宛の荷物は 母の楽しみでした。
母の里は 和菓子屋でしたから 母の大好物のお菓子や海産物が 詰められていました。
母の父 私の祖父は 細やかな人で 母に 食器やこまごましたものまで 贈ったようです。
荷物は 鉄道で送られてきます。
たいてい 「駅留め」扱いで 駅から電話があると 母は うれしそうに荷物を 駅まで 取りに行ったのでした。
昔は トラックなど少ない時代で オート三輪が家にありました。
トラック運送がない時代です。
鉄道の荷物は きちんと 包まれて 紐を十字び結び 荷札がついていました。
詳しくは覚えていませんが そのような規則があったのでしょう。
今のように 簡便で おしゃれではありませんが ちゃんと届くように 送り主が 心をこめて 荷造りしたのです。
それが 鉄道の電車に揺られて やってくるのは 待ち遠しい気持ちのドラマです。
今は ネットで 欲しいものが すぐ わかるし 手に入りますが 昔は そうではありませんでした。
故郷の特産物は 都会には ありませんでした。
知り合いに送ってもらうしか 故郷の味を楽しむことは出来なかったのです。
そういう意味では 海外で暮らす人が 日本の味を 思うのと似ています。
手に入らないからこそ なつかしい。
そんなことを想って 駅まで 荷物を出しに行ったのです。
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