「抗がん剤がなんぼのもんじゃい」改め「肉腫も腎臓ガンもなんぼのもんじゃい」

青天の霹靂の大腸肉腫発覚、抗がん剤治療を終了したら今度は腎臓ガン発覚。治療を記録することにしました。

ガン最末期をどう過ごさせるか

2013-06-07 23:18:18 | 母の緩和ケア日記
2月に緩和病棟に入った母、その後は状態が持ち直し、そうなると病院は退屈だし、食事が口に合わないと言うので自宅に戻った。

自分が腎臓の手術のために入院した時にも緩和病棟で預かってもらったが、食欲がすっかりなくなり、体力もめっきり落ちているのに早々とまた家に戻ってしまった。

その後は日増しに全身が衰弱していくのが目に見えるようになり、一日中ベッドでうとうとしている状態。主治医からもそろそろ入院した方がいいと言われたが頑固に入院を拒否する。
今度入院したらもう帰宅できないとわかっているのでいやがるのだろう。

その気持ちもよくわかるし、少しでも家で好きにさせてやりたい。強力な痛み止めを処方してもらっているのでガン最末期といえども痛みに苦しむ様子もない。
しかしこれ以上衰弱するといつ何が起こるかわからず、特に夜間や休日に救急搬送となると主治医の元に無事に行き着けるかどうかもわからない。

最後の最後に変な病院に送り込まれて、本人の希望していない延命処置をされるのもいやだろうと、なんとか説得してまた緩和病棟に入院してもらった。
これで急な状態の悪化にも対処してもらえるので一安心ではあるのだが、最後まで家にいたがった本人の気持ちを考えると罪悪感も感じてしまう。少々苦しくとも家で死なせてやるべきなのだろうか。

ガン最末期の過ごし方、自分の将来も含めて考えてしまう。




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2 コメント

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難しい問題ですね (SORA)
2013-06-20 21:17:56
その後、お母様のご様子はいかがですか?

Luntaさん自身も まだまだ身体が大変なのに
お母様のこともあって心労が絶えないですね。

私は主人の家族と同居なのですが、
数年前に
主人の祖母が痴呆→寝たきりをへて亡くなりました。まぁ94歳でしたから、病気というより加齢による自然の流れでしたが、介護する側としては、なかなか大変な月日でした。
うちの場合、病院には一度も入院することなく
施設などにも入所せず、全部を家族が介護しました。 あの頃は、私も元気で若かったので必死で日々乗り切りましたが、今では完全に無理だなぁ~と感じます。

自宅に居たいというお母様の気持ちも十分にわかりますが、Luntaさんの選択は間違ってはないと思います。それぞれが、それぞれの状況に合わせて・・・色んな意見があると思いますが、
先は我が身・・色々考えさせられますね。

お母様の看病など大変かと思いますが、
どうぞLunta自信の身体もお労りくださいね。

PS.Luntaさんのブログを私のブログにBOOKマークさせていただきました。事後報告ですいません。もし不都合がありましたら、連絡頂ければ幸いです。
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SORA様、 (Lunta)
2013-06-21 09:14:41
おばあ様を最後まで自宅介護、大変でしたでしょう。頭が下がります。

母は日に日に体力が落ちてほとんど何も自力ではできなくなり、ようやく自宅では無理だったことを納得してくれました。
緩和病棟の看護師さんたちの働きには本当に感謝です。

今は毎日顔を見に行くだけなのですが、カウントダウンを見守るのもなかなかつらいものがあり、これが思いのほか長引いているのも複雑です。
おかげさまで自分の体はまったく手術前の状態に戻りましたので、余計なことを考えないで済むのはありがたいのですが。

Bookmarkの件、こちらもSORAさんをいれさせていただきますね。これからもよろしくお願いいたします。
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