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「抗がん剤がなんぼのもんじゃい」改め「肉腫も腎臓ガンもなんぼのもんじゃい」

青天の霹靂の大腸肉腫発覚、抗がん剤治療を終了したら今度は腎臓ガン発覚。治療を記録することにしました。

母の一周忌

2014-06-30 10:39:39 | 母の緩和ケア日記
早いもので母が亡くなってから一年が経った。

我が家は神式なので一周忌は「一年祭」。
祭壇に簡単にお供え物をそろえ、神主さんに自宅に来ていただいてお祓い、祝詞をあげていただいて玉串を捧げる。
式自体は20分ぐらい。
神式はあっさりと簡素なものだ。

式の後、神主さんからちょっとしたお話。
柔らかい雰囲気だがざっくばらんな神主さんなので堅苦しいことは一切なし。
その神主さんによると「一年祭が終わるといろいろ不思議なことが起こることがあるんですよ。家の中で音がしたり物が動いたり」って、へえ。
仏教だと49日を過ぎると成仏してあの世へ行くが、神道では死者は神様になる。
その神様は身近にいて、家族を見守っている、と言うことだろうか。

母が亡くなってから実はあまり悲しいとは感じていない。
家の中に母の姿はないが、どこかに旅行にでも出かけていないような感じ。
母がいたらこんなことを話すのに、ということは心の中で会話している。きっとこう言うだろうな、と返事を予想しながら。
死者が身近にいるとはこういうことなんじゃないかと思う。

神主さんによると、おじいさんはよくいろいろなものが見えたが、自分は修行が足りなくてはっきり見えたのは2回だけ。
そのうちの一回は床屋で散髪中にいきなり肩におばあさんの手が現れ、その後にその方が亡くなったと連絡が入ったとか。床屋さんもその手を見て、以後は気味悪がって散髪してくれなくなったそうだ。

お寺さんも神主さんも、宗教関係者はお話が上手だ。


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葬儀を終えて

2013-07-14 15:36:43 | 母の緩和ケア日記
母の葬儀を終えた。

病院で亡くなってから葬儀の終了まで、次々に決めたり手配したりすることが続いて感慨にふける暇もなかった(葬儀の準備に関してはこちら)。

葬儀を済ませたところで入院していた病院で精算も終了。
ついでに病棟の看護師さんたちに挨拶に行ったが、シフトがあるので全員にお目にかかるわけにはいかず、特にお会いしたかった看護師さんに直接お礼を言うことができなかったのは残念。

主治医の先生もなかなかいらっしゃらず、いまだにご挨拶ができない。
亡くなってしまった患者よりも闘病中の患者さんの方が大事だからしかたないか。

長くお世話になった病院だが、縁が切れる時はあっさりしたものだ。


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母、逝く

2013-07-09 17:33:06 | 母の緩和ケア日記
緩和ケア病棟に入院から丸1ヶ月、今朝未明に母がとうとう旅だった。

以前にも書いたとおり、ガンの最末期とは言え疼痛ケアが奏功して痛みで苦しむことはあまりなかった。
大体乳がんの肺転移発覚から抗がん剤治療の1年を含めて丸3年、骨転移発覚からでも丸1年、最後の半年は弱る一方だったとはいえ、その間に家族で温泉に行ったり、おいしいものを取り寄せたり、楽しく過ごす時間は十分にもらうことができた。

この医療の進歩はいつガンが再発、転移するかわからない身としては実にありがたい発見。
ガンで死ぬことを恐れる必要はないと、母が身をもって示してくれたような気がする。

とは言えこの1ヶ月は吐き気などでまったく食事ができず、ひたすら牛乳だけを飲んでがんばった。
最後は文字通り骨と皮だけになってしまって、そのような状態が続くのは見るのもつらいものがあった。

緩和ケア病棟での最後は余計な機器につながれることもなく、家族で静かに看取らせてもらえたのが本当にありがたかった。
亡くなった後の顔が眠っているかのように穏やかだったのもうれしい。

心の準備をする時間がたっぷりあったし、また今日はもろもろバタバタしていたのでまだ悲しいという気持ちはわいてこない。
寂しいという思いはこの先に来るのだろう。

ともかく我が母にお疲れさまと言いたい。


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緩和病棟のケア

2013-06-26 10:59:01 | 母の緩和ケア日記
しぶしぶと緩和ケア病棟に再入院した母、入院した日には何とかマンションの玄関まで自分の足で歩くことができたが、その後は日に日に体力が衰え、個室内にあるトイレまでも行くことができなくなってしまった。

トイレの世話から体を拭くことまで看護師さんにお願いしなければならなくなったことがショックだったようだが、ようやく「自宅でここまで世話をしてもらうことはできなかった。いいタイミングで入院させてもらった」と納得してくれたよう。

下の世話なども実にありがたいが、こちらとしてそれ以上にありがたいのは痛み止めの量などをこまめに調節して苦痛を軽減してもらえていること。すでに24時間、強力な麻薬を使っている状態だと思うが、まだ意識はちゃんとしているので話もできる。
ガン最末期の疼痛管理もここまで進歩していると知ればいずれは来るかもしれない自分の将来についてもあまり心配しないで済む。

今は毎日顔を見に行くだけだが、しかしお互いにわかっている最後の日をただ待っている状態が続くのは結構きついものがある。
決して早く逝ってほしいわけではないが、「こんな中途半端な状態が続くのはいやでしょう、ごめんね」と母に言われてしまった。さすが母親、こちらの性格を知りすぎている。

最後の日々、なにをしてあげればいいのだろう。


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ガン最末期をどう過ごさせるか

2013-06-07 23:18:18 | 母の緩和ケア日記
2月に緩和病棟に入った母、その後は状態が持ち直し、そうなると病院は退屈だし、食事が口に合わないと言うので自宅に戻った。

自分が腎臓の手術のために入院した時にも緩和病棟で預かってもらったが、食欲がすっかりなくなり、体力もめっきり落ちているのに早々とまた家に戻ってしまった。

その後は日増しに全身が衰弱していくのが目に見えるようになり、一日中ベッドでうとうとしている状態。主治医からもそろそろ入院した方がいいと言われたが頑固に入院を拒否する。
今度入院したらもう帰宅できないとわかっているのでいやがるのだろう。

その気持ちもよくわかるし、少しでも家で好きにさせてやりたい。強力な痛み止めを処方してもらっているのでガン最末期といえども痛みに苦しむ様子もない。
しかしこれ以上衰弱するといつ何が起こるかわからず、特に夜間や休日に救急搬送となると主治医の元に無事に行き着けるかどうかもわからない。

最後の最後に変な病院に送り込まれて、本人の希望していない延命処置をされるのもいやだろうと、なんとか説得してまた緩和病棟に入院してもらった。
これで急な状態の悪化にも対処してもらえるので一安心ではあるのだが、最後まで家にいたがった本人の気持ちを考えると罪悪感も感じてしまう。少々苦しくとも家で死なせてやるべきなのだろうか。

ガン最末期の過ごし方、自分の将来も含めて考えてしまう。



母、緩和ケア病棟へ

2013-03-17 13:36:44 | 母の緩和ケア日記
末期がんの疼痛管理のために入院している母親、部屋が空いたということで緩和ケア病棟の個室へ移った。

差額ベッド代の不要な部屋は満室ということで一日6000円かかるそうだが、さすがに広く、景色もよくて快適。
部屋には収納も多く、出来る限り最後は自分の好きなものに囲まれて過ごせるようにと言うことだろう。

病棟内には手料理を食べさせられるように調理器具や食器のそろったキッチンがあるし、部屋の中にも電子レンジがある。
面会時間の制限はないし、病室内からの電話も自由。
最後のQOLを少しでも良くするために、緩和ケア病棟に移れたのは幸運だと思う。

それにしても気になるのは病棟の飾りつけ。
廊下に他にはない絵画が飾ってあるのはいいが、ナースステーションや談話室にやたらに折り紙の花が張り付けられ、ぬいぐるみなど置かれているのはいかがなものか。
まるで幼稚園のようで、体が弱っていて介護が必要だからと言って頭まで幼児化しているわけではない。
少しでも気持ちを明るく、という意図はわかるがセンスを疑ってしまう。

あとは疼痛管理がうまく行って今のところ元気が戻っている母の暇つぶし方法を考えないといけない。
老眼で細かい文字は読めないとなると、これが結構大変なのだ。


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また一人がん患者

2013-03-08 10:37:22 | 母の緩和ケア日記
先月から二度目の抗がん剤治療を開始する予定だった母、その後また体調が悪化して、結局もう体力的に無理だろうということで積極的な治療はしない方針になった。

つまり後はもう緩和ケアだけ、ということで、今も痛みのコントロールのために一般病棟に入院中だが、緩和ケア病棟に空きが出たらそちらに移ることになっている。

「最後まで僕が診ますからね」と主治医に言われた時はある程度の覚悟はできていたもののショックだったらしいが、その後は自分名義の保険やら貯金やらの整理を始めた。

今のところ転移や再発などの兆候はない自分もいつどうなるかはわからない。
がん患者の先輩として母がいろいろ教えてくれているような気がして、やはり親はありがたい。

とそんなところへ北陸に住む叔母から電話があり、こちらも健康診断で肺がんが見つかり、今月末に手術とのこと。
この叔母は父方なので母と血縁はないが、連れ合いをやはりがんで亡くしている。

いかにがんが一般的な病気か、家族で実感。


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母、二度目の抗がん剤

2013-02-06 12:23:16 | 母の緩和ケア日記
今話題のAKBの坊主頭、現在の自分の頭とそっくり。
あれがOKならもう帽子なしで外が歩けるな。
寒いから帽子かぶるけど。

さて、昨夏から乳がんの骨転移をゾメタで抑え、痛みの緩和にも成功していた母親、大晦日から急に体調が悪くなり、定期健診の日までがまんしていたら腎不全になっているとのことで入院。

すでに人工透析をしてもよいぐらい悪く、もう退院はできないかもしれない、とひどく悲観的なことを言われて覚悟をしたらなんと、翌日の検査の結果はカリウム値が改善しているので腎臓はもうそれほど心配ないとのこと。
前回の検査から1週間カリウムを下げる薬を飲んでいたのが奏功したらしいが、一日でこのどんでん返しはなんなんだ。

しかし今度は肝臓に転移が見つかったとのことで、今月末からは通院しながらまた抗がん剤を受けることになった。
前回の抗がん剤終了から1年、髪などはとっくに戻っていたが、今回は脱毛確実のタキソールなのでちょっとかわいそう。
肝転移まできたらもう余命は長くないのかもしれないが、QOLを下げることなく、何とか前向きにがんばってもらいたいものだ。


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骨転移の緩和ケア

2012-10-04 14:37:14 | 母の緩和ケア日記
母親の骨転移が発覚して2ヶ月、自分の通院の合間(?)には実家に戻って家事手伝い。

転移の発覚以降、はじめは痛みがひどくまずはこの痛みを緩和することが急務で、これは点滴による薬の投与でかなり軽くなったが、わが母は鎮痛剤との相性が悪いらしく、通常は2週間もすれば納まるはずの吐き気がひどくていつまでも治まらない。なにか口にするとすぐに吐いてしまうので、点滴をしながら1ヶ月入院して鎮痛剤と吐き気止めをいろいろ試すことになった。

さらに痛みを抑えるための放射線もかけてようやく退院。
帰宅後しばらくは横になっていることが多かったが、1、2週間でやっと動けるようになって徐々に食欲も戻り、家事や買い物も以前のようにとはいかないもののなんとかこなせるようになってきた。

現在痛みはフィルム状の鎮痛剤で抑えているが、これがよく効くらしい。
おかげで変化がない限り通院も1ヶ月に一度でよくなった。

いつまでも吐き気が止まらない時はどうなるかと思ったが、現在の緩和ケアもたいしたもの。
ゾメタで骨転移の進行も抑えているので、これでしばらくは普通に暮らせることを期待したい。


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母親の骨転移

2012-07-25 19:47:18 | 母の緩和ケア日記
昨晩父親から珍しく電話があり、何事かと思ったら母の癌に転移が見つかったとのこと。

我が母親は乳がんを患い、手術の後10年近くも経ってから肺に転移が発覚。
一年間抗がん剤治療をしたところマーカーの数値が安定しているということで休薬、薄くなっていた髪もすっかり元通り、黒々と生えそろったところだった。

今回の転移は背骨、肋骨、頭蓋骨への骨転移。
腰の痛みがひどくて検査をしたところ見つかったという。
抗がん剤の後も定期的に病院には検査に行っているのに、もっと早く見つからなかったものかと思う。

以前だったら骨に転移したらもうだめか、と思っただろうが、最近はいろいろ検索しまくり、他の方の闘病記なども読んで薬が奏功することを学習。年を取っているので進行が遅いことにも期待したい。

ただ80歳を過ぎているので、たとえ癌がなくてもいつまでも生きるわけではない。
とにかく痛みや不便なく暮らしたいと本人も望んでいるし、こちらもそう願う。

それにしても母子でがん治療とは、仲がいいんだか何だか。

なにもしない(できない)父親をどうするかも考えねばならず、ちと憂鬱。


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